2019年9月の旅行八日目の最後、六番目の目的地はEscaló。イシル(Isil)から南に約19km、車で行けるところまでは、約18分の道のりです。
ここでの目的は、Sant Pere del Burgal。車を停めた後、15分くらい山登りしました。
Google マップのナビは川があることなんてお構いなしに案内するので、私は最初ナビに従ってC-13道路を教会の真下あたりまで行ったんです。で、ここからじゃ川を渡れないぞ、とUターンして、ホテル(Hotel Castellarnau)の受付で行き方を教えてもらいました。
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受付にいた女性は「あまり英語が得意では無いから娘がお答えしますね」と笑顔で娘さんを紹介してくれて、学生っぽい年頃の娘さんが「橋を渡って右に15分くらい歩いた所です。すぐ分かります。」と教えてくれました。
さらに、車では行かれないから、ここに停めて行けば良いとのこと。ありがたい。
さて、出発です。
バス停の辺りで橋を渡るのですが、ちゃんと表示がありました。
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「Sant Pere del Burgalはこちら」という表示は、それはもう、たくさん。ホテルのお嬢さんが「すぐ分かります」と二回も断言したのも、これを見て納得。
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橋の上から川を見ると、清らかな水がとうとうと流れていました。
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さっき、イシル(Isil)でこの川が川上でごうごうと流れる様子を見たわけですが、それに比べると穏やかに、よどみなく流れています。
川を渡ると、右に曲がって、、、
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歩いていると、しだいに道幅が狭くなり、山登り感が増します。
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ようやく、到着。
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上の写真にも写っている通り、現地に案内板↓があり、
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この案内板によると、
起源
あなたは修道院の入り口にいます。この場所に関して最初に言及したのは859年、デリガ大修道院長が依頼し免罪の戒律を求める、レーモン・デ・トゥールーズ伯爵兼侯爵の文書です。11世紀には教会が建設され、その遺構が現在も残っていますが、ベネディクト派の修道院の構成となっています。建築的には非常に特徴的で、東に三後陣、西に2段の一後陣という、向かい合う二つの聖域が特徴的です。これはカロリング朝様式で、当時のカタルーニャ建築では非常に珍しく、他の例はあまり知られていません。それ以外はロンバルディア・ロマネスク様式の基準を満たしており、東側の柱の間に二つのアーチが連続していることからも分かるように、東側の後陣の装飾が特徴的です。
衰退
1488年に最後の伯爵、カテリーナ・アルベルト(Caterina Albert)とウーグ・ロゲール3世(Hug Roger III)が伯領を失い、崩壊が進みました。1770年に訪問した司祭により修道院がほとんど無人であったことがわかっており、1787年にはフランシスコ・デ・ザモラの質問状によって修道院は決定的に放棄されたと書かれています。
ロマネスクの壁画
この修道院は、他の多くの宗教施設と同様に、良くも悪くも、この地域の政治的変動と密接に結びついていました。内部には、ペドレの親方の工房で描かれた壁画の複製が展示されており、その証拠が残されています。その中には、パジャルス(Pallars)伯爵夫人のルシア・デ・ラ・マルカ(Llúcia de la Marca)が描かれています。彼女が結婚したアルタウ1世は、サラセン人と協定を結び、教会の財産を何度も簒奪したために破門されて亡くなりました。ルシアとその子供たちは、この財産を返還し、おそらく絵画の代金を支払って許しをこい、聖なる地に埋葬できるようにしました。ルシアは1081年から1090年にかけて統治しました。これらは、絵画が制作されたときの状況を示しています。
その他の訪問のお勧め
この地域には、ペドレの親方の工房によって行われた装飾が、この修道院の他にもあります。すぐ近くのSanta Maria d’Àneuで、複製を見ることができます。この二つの作品には、青色を使用していること、絵画にお金を払ったと思われる人々の表されていることなど明確な共通点があります。これら二つの場所を含む近隣の教会への訪問はEcomuseu de les Valls d’Àneuがガイドツアーを行っており、夏期は定時での相談、他の時期はグループのみで手配が必要です。詳細については、973 626436にお電話ください。
900年以上前、その伯爵夫人はこの地を訪れたのかなあ。
そうそう。登ってくる前に、フロアプランつきの案内板もありました。
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フロアプランつきの案内板によると、修道院の起源は不明ですが、最初の言及は859年にさかのぼります。ジェリ(Gerri)修道院は当初からこの修道院を所有しようとしていましたが、11世紀にラングドックのラ・グラッサ(la Grassa)修道院の所属となり、その後1337年から1835年に廃止されるまで、ジェリ修道院の所有となりました。
古い建物の遺構は、教会の主後陣の礼拝堂が残されました。これは11世紀のロマネスク様式またはロンバルディア様式のバシリカ・プランであり、西後陣と主後陣の二つが向かい合う独特の特徴を持っています。1998年に開始された修復によってロマネスクの壁画の面影がさらに明らかになり、以前にバルセロナのカタルーニャ国立美術館に移設された部分の複製が描かれました。壁画は11世紀末の非常に傑出した作品です。
フロアプランで、網掛けになっているところが残っている部分です。かなり残っているのかと思っていたら、行ってみてビックリ。ほぼ後陣しか残ってないんです。
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前置きが長くなりました。中をご紹介します。
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中の様子の動画をYouTubeにアップしました。
北小後陣を、ガラス部分からのぞいたんです。
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南小後陣を、ガラス部分からのぞく。
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主後陣をガラス部分からのぞく。
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主後陣の壁画のオリジナルはバルセロナのカタルーニャ美術館に移設されています。
Museu Nacional d’Art de Catalunya, Barcelona で、2019年9月5日に撮った写真をご紹介。
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右下の、ニンブスなしの女性が、資金を提供したパジャルス(Pallars)伯爵夫人のルシア・デ・ラ・マルカ(Llúcia de la Marca)。豪華な衣装をまとい、火の灯った蝋燭を持っています。カタルーニャ美術館の掲示によると、これは故人を表しますから、伯爵夫人は壁画の完成前に亡くなったようです。
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この、輝くような衣のひだ、窓枠に描かれた植物の生き生きとしている様子。素晴らしい。
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現地の見学に話を戻します。
東後陣を、外側から見ることにしました。
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きっと、11世紀から12世紀にかけての、気候が温暖で、改良された農機具のおかげで農産物が豊かに収穫できて人口が急増した時代、この山の中の修道院にも多くの修道僧がいて、鮮やかな壁画で彩られた聖堂で祈りの日々を過ごしていたのでしょう。
Sant Pere del Burgal、素晴らしい11〜12世紀の壁画はバルセロナのカタルーニャ美術館に移されていますが、現地の教会では特徴的な東西向かい合う後陣が、ロマネスクが華やかだった頃をしのばせてくれます。
さて、この日のロマネスク見学は、これでおしまい。
明日からのロマネスク巡りの予定地、アンドラに予約してある宿を目指して、、、
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東に約62km、車で約90分かけて移動。
途中、国境を越えました。
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アンドラでの宿は、こちら。
Confort Escaldes
Ctra. d’Engolasters, 29-27, AD700 Escaldes-Engordany
寝室一つ、バスタブ付き風呂、トイレ、台所、リビング、ダイニング、駐車場つきで2泊総額€184.50でした。洗濯機も台所の設備も最新式だし、ネットは超高速でつながるし、駐車場は広くて屋内だし、すごく過ごしやすかった!アンドラ、良いわあ!!!
アンドラのスーパーで買い物し、
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部屋で夕食をとりました。
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この日に訪れたロマネスクは、六箇所。
八日目、9月11日(水) アネウ谷
29. エステリ・ダネウ(Esterri d’Àneu)
30. ソルペ(Sorpe)
31. ソン (Son)
32. アロス・ディシル(Alós d’Isil)
33. イシル(Isil)
34. エスカロ(Escaló)
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アネウ谷では教会の中を見学できずじまいでしたが、どの場所も行って良かった、と思える素晴らしい立地でした。また行きたい、と強く思っています。
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こんにちわ!
素敵な記事ありがとうございます。
以前イタリアに行った時、ロマネスク建築のドーモや建物をみました。歴史があって感動したことを思い出しました。
今は旅行も出来ませんが、懐かしかっです。
ネコシバさん、コメントありがとうございます!
歴史がある場所に行くと、感動しますよね。
私は早く旅行を再開したくて、よく旅の夢をみてしまいます。
ブログはこの後、アンドラ→スペイン→イタリアと続く予定です。
懐かしい旅の楽しい記録です、どうぞおつきあいください。