2019年GWの旅行九日目、三番目の目的地はVicopisano。カシナ(Cascina)から北に約7km、車で約12分の道のりです。
教会の北側に無料駐車場があるので車はそこに停めました。
ここでの目的はサンタ・マリア・アッドロラータ・エ・サン・ジョヴァンニ・アポストロ教会(Parrocchia di Santa Maria Addolorata e San Giovanni Apostolo)。
「悲しみの聖マリアと使徒聖ヨハネ教会」という意味です。
事前に観光案内所に問い合わせると「サンタ・マリア教会は、5月2日は9時半から17時まで開いています。追加情報についてはランテ通り50番地のオフィスにお立ち寄りください。ヴィコピサーノであなたをお待ちしています!」
びっくりマークつきの親切な返信をもらって、来る前からVicopisanoに好感を抱いていたんですが、来てみてさらに好感度が上がりました。大きすぎず、小さすぎず、適度な規模の町で、建物や道は手入れが行き届いていて、落ち着く雰囲気なんです。
早速、教会へ。
さっき、北側の駐車場に車を停めたと言いました。北側から来ると、ファサードが進行方向の右にあるってことは。。。
このファサード、建物の東側にあるんです。
通常の教会はファサードが西側にあって、東を向いて祈りを捧げますが、この教会は逆向き。
左上の彫刻が気になります。
多分「洗礼者ヨハネの殉教」(新約聖書の『マタイによる福音書』14章、『マルコによる福音書』6章)の場面。
聖書はこう言っています。
『マルコによる福音書』6章
17: 実は、ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚しており、そのことで人をやってヨハネを捕らえさせ、牢につないでいた。
18: ヨハネが、「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。
19: そこで、ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。
20: なぜなら、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである。
21: ところが、良い機会が訪れた。ヘロデが、自分の誕生日の祝いに高官や将校、ガリラヤの有力者などを招いて宴会を催すと、
22: ヘロディアの娘が入って来て踊りをおどり、ヘロデとその客を喜ばせた。そこで、王は少女に、「欲しいものがあれば何でも言いなさい。お前にやろう」と言い、
23: 更に、「お前が願うなら、この国の半分でもやろう」と固く誓ったのである。
24: 少女が座を外して、母親に、「何を願いましょうか」と言うと、母親は、「洗礼者ヨハネの首を」と言った。
25: 早速、少女は大急ぎで王のところに行き、「今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます」と願った。
26: 王は非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、少女の願いを退けたくなかった。
27: そこで、王は衛兵を遣わし、ヨハネの首を持って来るようにと命じた。衛兵は出て行き、牢の中でヨハネの首をはね、
28: 盆に載せて持って来て少女に渡し、少女はそれを母親に渡した。
このヘロディアの娘というのが、サロメ。体を大きく反らせてすこぶる大胆に踊ってたり、洗礼者ヨハネの首が乗る盆を持ってたり、、、しょっちゅう劇的に描かれてます。
この教会の浮き彫りは洗礼者ヨハネの断頭場面なわけですが、顔や手の表現がすごく印象的。ぎゅいーん、と伸びる腕が良いです。
浮き彫りを見た勢いで、南側の壁面も見ちゃいましょう。
細かい装飾があります。
ファサードに戻り、教会の中に入ります。
南側廊に聖水盤があり、美しい浮き彫りがありました。
身廊のファサード近くの場所にこんな本がありました。
本によると、934年の文書に記録があり、その時すでに洗礼教区教会としてしばらく存在していたようです。教会の内部では、南側廊に聖母子を描いた16世紀の壁画のほか、箱のような形の聖水盤があり、これは13世紀頃のものと考えられています。
また、14世紀の洗礼者ヨハネの木像があります。この木像は、もともとはピサのサンタ・フェリーチェ教会にあったもの。1422年に金貨12フィオリーニで買われ、Vicopisanoにやってきました。
中央の祭壇後方には「十字架降架」を描いた木製群像があります。
北側廊には古代の石を再利用した聖水盤があります。チッポ(cippo)と呼ばれる石ですが、その用途は解明されていません。
そして本の隣にはラミネート加工されたリーフレットがありました。
教会内部の見学を続けます。
北側廊の聖水盤を見ます。
チッポ(cippo)と呼ばれるエトルリアの石は、柱頭の上に乗っかっている丸っこいやつ。
エトルリア人がどう使っていたかは解明されていませんが、今じゃあ聖水盤としての第二の使命を果たしています。
中央祭壇後方の「十字架降架」(新約聖書の『マルコによる福音書』15章、『ルカによる福音書』23章、『ヨハネによる福音書』19章)を見ます。本には11世紀、ラミネート加工されたリーフレットには12世紀の作品と書いてありました。
ゴルゴタの丘で磔刑を受け、息を引き取ったイエスの遺体を、十字架から降ろす場面。アリマタヤのヨセフがイエスの屍を引き取り、墓の中に納めます。
脱線しますが、『マルコによる福音書』15章を読んでたら、ゴルゴタという所――その意味は「されこうべの場所」――って書いてありました。へー、そうだったの。
近づいて見ます。
上の群像に描かれているのは、向かって右端が嘆きの表情の使徒ヨハネ。その隣が釘を抜く動作のニコデモ。
中央が死んだイエスで、その隣で遺体を抱きかかえようとしているのがアリマタヤのヨセフ。向かって左端が悲しみの聖母マリアです。
とても保存状態が良く、一人ひとりの嘆き悲しむ表情や、穏やかなイエスの表情が見る者の心を打ちます。
この教会は「悲しみの聖マリアと使徒聖ヨハネ教会」ですもんね。誇るべき宝でしょう。
サンタ・マリア・アッドロラータ・エ・サン・ジョヴァンニ・アポストロ教会(Parrocchia di Santa Maria Addolorata e San Giovanni Apostolo) 、内部の十字架降架はもちろん、愛らしい外壁の彫刻をどうかお見逃しなく。
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