2018年3月の旅行六日目。六番目に向かったのはサン・タンドレ。フランス語で Saint André、カタルーニャ語だと Sant Andreu de Sureda と言うそうです。
目的地はサン・タンドレ教会です。
サン・ジェニ・デ・フォンテーヌ(Saint-Génis-des-Fontaines)から Saint André へは東へ5km、車で8分の道のりです。教会(church)の南に観光案内所があって、その東に駐車できました。
車を停めた南東から church を見ると、まずこれが目に入ります。石の質感と帯装飾が良いです。
外壁の石の一部がオプス・スピカトゥム(opus spicatum)で積んであります。日本語で谷積みと言うんですかね、ジグザグのやつ。私は好きです。
反対側がファサード(façade)ですが、こちらにもあります。ジグザグ。
面白いfaçadeですよね。ジグザグ部分の上に小さめの玉石を布積みした部分があって、さらに上には大きめの切り石を布積みした部分があります。時代ごとのリノベーションの痕跡らしいです。
お金も払わずに見学したせいか案内シートを見なかったので、アルル・シュル・テク(Arles-sur-Tech)の観光案内所買ったリーフレットを参考にしました。フランス語とカタルーニャ語で書かれています。
ご参考までに、こちら。表紙です。
裏です。
church の概要です。
820年頃、Miro という abbot に率いられ、サラセン人(7世紀頃からヨーロッパで台頭したイスラム教徒)の迫害から逃れて来たスペイン系の修道士たちがベネディクト会修道院を設立したのが始まりです。創建当時の遺構は見られませんが、例のジグザグ部分は初期ロマネスクの建築部分だそうです。
大きなリノベーションが行われて、11世紀に central nave の両側に極細の lateral nave があるバシリカ・プランで、アーチ天井になりました。12世紀に修復が行われ、1121年に聖別されています。その頃、façade に彫刻装飾が加えられました。
ルシヨン伯の支援もあって12世紀初めまでは繁栄しましたが、続かず、15世紀から18世紀の間に回廊(cloister)が完全に崩壊しました。1592年に Arles-sur-Tech の聖マリア修道院付属になり、そのままフランス革命を迎えました。そして、村の教区教会(parish church)になりました。
cloister は残念でしたが、せめて church だけでも残ってくれて、良かった。
Zodiaqueの『 la nuit des temps 7 Roussillon roman 』に載っていたフロアプランです。東が上です。ラテン十字で transept と三つの apse があります。
入ってみました。9世紀のオリジナルを感じさせてくれるものは全く無いです。
彫刻が気に入って撮った一枚。光の差し方もドラマチック。
最後に façade を見ました。
11世紀~12世紀初め頃の、churchが最も繁栄していた時代をしのぶことが出来ます。Portal の上に窓があって、浮き彫りが細かい。
窓と Portal の間に、こわもてだけどかわいいのがいました。
やはり気になるのは、lintel です。中世の写本挿絵のようで大好きなデザインです。
Saint André に来る前に訪れたサン・ジェニ・デ・フォンテーヌ(Saint-Génis-des-Fontaines)の lintel と似ています。それが、こちら。
並べて見ると、けっこう違うんですねえ。ラテン語の有無、天使の数(と人の数)、それに人々のしぐさや表情まで違います。
そして Saint André のイエスは、祝福する指がマンドルラから出ちゃってます。いいのか?それで。
私が Saint André について好きなのは、右端の人。優しい表情と手のしぐさが良いです。
そして左端の人も大好きです。
左から二番目の人が指差す様子も良いし、左端の人の「いやあ。。。」という手つきとゆるんでいる口元が最高です。
11世紀~12世紀初めのロマネスクが楽しめました。愛らしい笑顔の彫刻がいつまでも心の中にあります。
良いもの見たぞ、とホクホクできるサン・タンドレ教会、終わります。
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