2024年4月26日(金)の最後、四番目に訪れたのはBordeaux、聖十字架教会(Église Sainte-Croix)です。
ここは、柱頭彫刻が素晴らしいです。
2024年4月、教会は金曜の14:00〜17:00に開いていました。
Bordeaux では、2か所に行きました。以下のように2回に分けて書きます。
<1> Basilique Saint-Seurin(4月25日に行きました)
<2> Église Sainte-Croix(4月26日に行きました)
目次
1. Bordeaux へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観 .
5. 内観 .
1. Bordeaux へ
ボルドー(Bordeaux)は、フランスの南西部の中心都市。ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏の首府であり、ジロンド県の県庁所在地です。
ジロンド川の左岸に、巨大な建物があります。
聖十字架教会(Église Sainte-Croix)です。
2. 概要
教会の中に案内シートがありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
何世紀もの間、ベネディクト会修道院の教会であったが、フランス革命後に教区教会となった。
おそらく510年頃にクローヴィスと聖クロティルダ(sainte Clothilde)によって設立された。643年に埋葬された聖ムンモルス(saint Mommolin)の墓があり、熱烈な信仰の対象となった。
しかし、8世紀にはアラブ人が、9世紀から10世紀にかけてはノルマン人が侵入し、略奪と焼き討ちを行った。修道院の核は生き残り、11世紀に再建されたのを皮切りに拡張が始まり、やがてこの地方で最も重要な修道院のひとつとなった。その後、修道院の領地は、現在のジロンド河の大部分に広がり、修道院、荘園、教会が建ち並ぶようになった。
12世紀から13世紀にかけて、当初は木造の骨組みしかなかったこの修道院は、ヴォールトの建設によって改築された。
革命時、修道院は他の教会施設と同様、消滅した。19世紀には精神病院として使用され、世紀末には回廊も含めて破壊された。現在残っているのは、かつての食堂と宿舎(現在はEcole des Beaux Arts)、噴水、そして教会だけである。教会は1860年に改築された。第二の鐘楼と、使徒の像やドラゴンを退治する聖ゲオルギオス像を収容するアーケードが追加された。ポーチのみが保存された。
聖ムンモルス(saint Mommolin)の遺骨は長い歴史の中で大切に保存されてきた。民衆から熱烈な崇敬を集め、精神疾患を治すことができると評判だった。悪魔に取り憑かれた人々が、礼拝室の前で一晩縛り付けられると治癒したと言われており、今でもいくつかの柱のベースにリングが取り付けられている。
この後も、案内シートを引用する時に太字で書きます。
3. 平面図
ゾディアック(Zodiaque)la nuit des temps『Guyenne romane』による平面図です。東が上です。
黒色:10世紀末~11世紀初頭?
水玉:1040~1050年?
格子:12世紀、第1段階
斜線:12世紀、第2段階
白色:後の改築
4. 外観
東に行きます。三後陣全体を眺めることは難しくて、南小後陣と主後陣の一部だけ。
西に戻ります。
ポーチ、19世紀に修復された部分もあり、豪華です。
主扉口をみます。一番内側のアーチでは鳥が四足獣をついばんでいます。二番目のアーチでは男性たちが綱引きをしています。三番目のアーチは、左下のいくつかの部分だけがロマネスク期のものだと思います。ゾディアック(Zodiaque)にあった19世紀の修復前の写真と見比べました。四番目(一番外側)のアーチは『ヨハネの黙示録』の長老たちが描かれています。
左(北)の盲アーチには、財布を首から下げた男性と悪魔によって、貪欲の罪が描かれていると思います。
右(南)の盲アーチには、蛇に胸を噛まれる女性と悪魔によって、邪淫の罪が描かれていると思います。
5. 内観
教会の中に入ります。
柱頭彫刻が素晴らしいです。
1130年頃のもの。
三つご紹介します。
柱頭1:「アブラハムによる息子イサクの犠牲」(『創世記』22章)
左側には息子イサクを生贄に捧げるアブラハムが隠れています。イサクは中央で祭壇に横たわり、翼を広げた鷲の下にいます。右側では、主の御使いが息子の代わりに犠牲となる雄羊を連れています。
ボルドー(Bordeaux)の聖セヴェリヌス教会(Basilique Saint-Seurin) とスラック=シュル=メール(Soulac-sur-Mer)にも同じテーマにも同じテーマの柱頭があります。でも、それらの柱頭では、中央のイサクの上に鷲がいません。
何人かの教父は、イサクの犠牲に、キリストが十字架上で命を捧げることの予兆を見た。
鷲が描かれているのは、イサク(つまりキリスト)が死に勝利することを伝えるためかもしれません。
柱頭2:「獅子の穴の中のダニエル」(旧約聖書『ダニエル書』6章、旧約聖書続編『ダニエル書補遺 ベルと竜』)
ダニエルは中央に座り、手に本を持っています。左では獅子たちが舌を出していて、右では主の使いがハバククの頭のてっぺんをとらえ、髪の毛をつかんでいます。
スラック=シュル=メール(Soulac-sur-Mer)にも同じテーマの柱頭があります。でも、そちらの柱頭では、主の使いと預言者ハバククが描かれていません。
ダニエルは死に打ち勝つキリストを予兆する。
柱頭3:神殿で学者と議論する少年イエス(新約聖書『ルカによる福音書』2章)
ヨセフ、マリアと幼いイエスは過越祭には毎年エルサレムへ旅をしました。イエスが十二歳になったときもエルサレムへ旅をして、帰路についたのですが、イエスがエルサレムに残っていることに両親は気づきませんでした。両親は、一日分の道のりを行ってしまったあとで気づいて、親類や知人の間を捜し回りつつエルサレムに戻ります。
『ルカによる福音書』2章
46: 三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。
47: 聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。
48: 両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」
49: すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」
50: しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。
51: それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。
中央に少年イエス、左には聖ヨセフと聖母マリア、右には学者たちがいます。
ダニエルの獅子たちに対する勝利は、イエスの学者たちに対する勝利と類似している。これは、12世紀の神学者が考えた、類型的一致の例である。
体を学者たち、つまりクワイヤ(聖域)の方に向けたまま、顔を聖母マリアの方に向ける少年イエス。私はこの姿をみると、イエスは人の子でありながら神の子で、人と神に仕えて天に昇るのだなあ、と思います。また、優しそうな聖母マリアの大きな手をみると、聖母マリアがすべてを心に納めていることを感じます。
聖十字架教会(Église Sainte-Croix)。柱頭彫刻が素晴らしいです。
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