2023年9月22日(金)、三番目に訪れたのはSaint-Paul-Trois-Châteaux、ノートルダム大聖堂(Cathédrale Notre-Dame)です。
ここは、クワイヤのモザイク、南翼廊の浮き彫りと身廊の彫刻が素晴らしいです。
2023年9月、大聖堂は毎日9:00~19:00に開いていました。
目次
1. Saint-Paul-Trois-Châteaux へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観 .
5. 内観(彫刻) .
6. 内観(モザイク) .
1. Saint-Paul-Trois-Châteaux へ
サン=ポール=トロワ=シャトー(Saint-Paul-Trois-Châteaux)は、フランスのオーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏ドローム県にある村で、アヴィニョンの約45km北にあります。
大聖堂の北で工事が行われていたので、重機車両がいくつか停車していました。
ちょうど昼時だったので、周囲の飲食店では優雅にランチを楽しむ人たちがいました。
2. 概要
教会の中にたくさんの案内がありました。私がリーフレットの一部を抜粋して太字で和訳します。
簡単な歴史と町の名前の由来
キリスト教時代以前、この地域にはトリカスティーニ(Tricastini)と呼ばれるガリア人が住んでいた。ローマ時代、彼らの首都はAugusta Tricastinorumと呼ばれていた。古代末期、パウロの司教就任後、「Civitas Tricastinorum」は列聖された司教の名を取り、サン=ポール=アン=トリカスチン(Saint-Paul-en-Tricastin)となった。
中世には、”Tricastin”が “Tricastri”に誤訳され、”Saint-Paul-Trois-Châteaux”となった。
宗教生活
キリスト教は、3世紀には早くもこの地域に根付いていた。Saint-Paul-en-Tricastinは司教座の所在地となった。伝説によると、最初の司教サン・レスティトゥ(Saint-Restitut)は、福音書の盲人(『ヨハネによる福音書』9章)と関係があった(クワイヤのステンドグラスを参照せよ)。
革命と政教条約を経て、サン=ポール=トロワ=シャトー司教の称号は、ディエ司教と同様にヴァランス司教座に移された。
大聖堂は、Sainte Juste の石切り場(司教所有)の石を使って建てられた。12世紀半ばに建設が開始され、1220年頃に完成したこの大聖堂は、ラテン十字架の形をしたローマのバシリカから着想を得たもので、非常に洗練されたプロヴァンス・ロマネスク様式である。
この後も、教会の中にあった案内を引用する時に太字で書きます。
3. 平面図
案内パネルによる平面図です。東が上です。
青色:12世紀前半、黄色:12世紀後半~13世紀前半、斜線:15世紀、桃色:17世紀、濃い色:19世紀(壁下部改築)
では、見学しましょう。
4. 外観
東側をみます。
南北の小後陣は半円形、主後陣は五角形です。
北側をみます。
北翼廊には、対になった盲アーチがあります。
西側をみます。
西扉口の両側に半円柱と半角柱がありますが、それらが支えていたはずの構造はありません。
ペディメントは最上部にありますが、溝のある柱とともに完成していたら、サン=レスティテュ(Saint-Restitut)やタラスコン(Tarascon)のファサードのようだったのかもしれません。
最後に、南側をみます。
南翼廊にいくつもの浮き彫りパネルがあります。
サン=レスティテュ(Saint-Restitut)の浮き彫りパネルを思い出します。それらは11世紀のものといわれていました。
現在の建物は12世紀以降の建築とされていますが、それより前から大聖堂はありました。もしかすると、南翼廊にうめこまれている浮き彫りパネルは、古い建物にあったものを再利用したのかもしれません。
5. 内観(彫刻)
大聖堂の中に入ります。
南入口の反対側、身廊の柱のひとつには、(おそらく後期ロマネスク期のものであろう)死者の復活と最後の審判の彫刻がある。
特に身廊の最後の柱間の上部の彫刻装飾は目を見張るものがある。
下部のコーニスは、オーヴ、真珠、アカンサスの葉、美しい植物で飾られている。
下のフリーズにはカーテンが描かれ、そのひだの両端には古代風の衣装を着た人物たちが描かれている。
身廊の四隅には、鷲(聖ヨハネ)、獅子(聖マルコ)、雄牛(聖ルカ)、天使(聖マタイ)というテトラモルフが描かれている。その上のコーニスには、美しい人間と獣の顔が描かれている。
人物たちは、せっせとカーテンを張っているようです。
聖マルコの鼻と歯が優しそう。
6. 内観(モザイク)
クワイヤの床にモザイクがあります。
1880年頃、改修工事中に「聖域」と「聖歌隊席」の両方を覆っていたに違いない大きなモザイクの一部が発見された。1999年、改修工事中に新しい祭壇の横からさらに大きな断片が発見された。このモザイクは、大聖堂の建設が始まってから約30年後のもので、十字軍と同時代のものと推定されている。
4人の福音書記者のうち3人のシンボルが円形に描かれている。
左側には都市の城壁と塔が描かれている。碑文が示すように、これはエルサレムだと推測できる。手前の黒い城壁は街の要塞の周囲を示し、その上の断面には、最も妥当な解釈によれば、ドームと鐘楼を頂点とする聖墳墓が描かれている。
その少し左には、トランペットのようなものを吹く人物の胸像がある。右端には、ローマから来たという説もある扉の基部がある。このアンサンブルは、東向きの聖堂の聖域に置かれ、キリストの復活、世の光、昇る太陽を思い起こさせ、「天のエルサレム」への道を示す。
『ヨハネの黙示録』21章
2: 更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。
3: そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、
4: 彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」
壮大な救済が描かれています。
ノートルダム大聖堂(Cathédrale Notre-Dame)。クワイヤの床モザイク、南翼廊の浮き彫りパネルと身廊の彫刻が素晴らしいです。
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