2023年9月19日(火)の最後、三番目に訪れたのは Embrun、Cathédrale Notre-Dame-Du-Réal d’Embrun です。
ここは、北扉口と教会内部の柱頭彫刻が良いです。
2023年、大聖堂は毎日開いていました。
目次
1. Embrun へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観 .
5. 内観 .
1. Embrun へ
アンブラン(Embrun)は、フランス南東部のプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏オート=アルプ県にある、人口約6,300人の町です。
町には、長い歴史があります。
2. 概要
教会の中にリーフレットや案内掲示がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
デュランス(Durance)川の河床を見下ろすアンブラン(Eburodonum=水の上)の町は、イタリアからモンジュネーヴル(Montgenèvre)峠を経てスペインに至る街道の要衝に位置する。カトゥリゲス族の都であったこの町は、ネロ帝によってシヴィタスに昇格した。
カトゥリゲス族はアルプス地方にいたケルト人です。
363年にサン・マルスラン(Saint Marcellin)がアフリカから到着。アンブランで福音を宣べ伝え、初代司教となった。ドミティア通りに面したこの町は、当時、ローマ帝国アルプ=マリティーム県の県都であり、ニースまでの地域を支配した。9世紀には大司教座となった。
アルプス越えの戦略的ルートを守護し、中世には、司教たちはローマ教皇の補佐役となった。フランス革命後、大司教座は消滅。大聖堂はガップ(Gap)の管轄する教区となった。
この後も、リーフレットや案内掲示を引用する時に太字で書きます。
3. 平面図
リーフレットによる平面図です。東が上です。
三身廊、三後陣ですが、南小後陣は一部が隠れています。
4. 外観
東側に行きます。
建築を組織したのはロンゴバルドの親方たちであり、当時のフランスでは特異な、しかしイタリアでは一般的な特徴を示している。
軒下のノコギリの歯のような帯装飾は、下半分が植物のような波のような形です。
北側に行きます。
カテドラル地区に面したこの記念碑的な入り口は、ピンクの大理石の柱を中心に、北イタリアでよく見られるライオンを並べたエレガントさが印象的である。善と悪のシンボルが彫刻の中に隠されている。
ライオンたちも美しいのですが、その後ろで柱を支えている人たちも、なかなかの存在感。
青い矢印で示したところなど、柱に装飾があります。
西側に行きます。
ロマネスク様式の鐘楼は、修復中でした。
西扉口の扉装飾が美しいです。
装飾は、どれも、細部まで凝っています。
5. 内観
教会に入ります。
身廊のゴシック様式のヴォールト
建築家たちは、イル・ド・フランス地方から伝わった新しい技法、リブ・ヴォールトを試みた。石は、黒い片岩と白い石灰岩が交互に配置されている。
1231年に最初の奇跡が大聖堂に記録され、巡礼が盛んになり、フランス全土から巡礼者が訪れるようになった。
潤沢な資金が注がれたのでしょう。身廊のヴォールトを含め、ゴシック期以降の装飾がたくさんあります。
そんな中、ロマネスク様式が残っているのは、柱頭。
歯を剥く生き物たち。
二股人魚。
植物。
アダムとエバがいます。
私は、エバのつぶらな瞳と、アダムのカールした髪が好きです。
Cathédrale Notre-Dame-Du-Réal d’Embrun。北扉口と教会内部の柱頭彫刻が良いです。
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