2023年7月30日(日)、三番目に訪れたのは Chiavenna。Battistero (Collegiata San Lorenzo) です。
ここは、洗礼盤が素晴らしいです。
洗礼堂は、昼どきにいちど閉まると思っていたのですが、13:00頃も開いていました(2023年7月現在の情報です)。
Chiavenna では、二つの建物に行きました。以下のように2回に分けて書きます。
<1> Battistero (Collegiata San Lorenzo)
<2> Museo del Tesoro
目次
1. Chiavenna へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 洗礼盤 . . .
1. Chiavenna へ
私はコジオ(Cosio)から北に約31km、34分ほど運転して、渓谷の町に着きました。車は大きい無料駐車場(Parco Pratogiano Chiavenna)に停めました。11:30頃のことです。
洗礼堂の西扉口の前には、ポルティコがあります。
”Battistero”と書いてあるので、洗礼堂と分かります。
私が行ったときは、扉が閉まっていました。でも、施錠されていませんでした。
2. 概要
ポルティコに複数の案内掲示がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
5世紀、この地域の福音化と同時に、Chiavenna に最初のキリスト教会が建てられたと推測されている。9世紀になってカロリング朝時代に教区教会が組織されるようになってから、より機能的な建物が建てられ、973年には、原殉教者聖ラウレンティウスに捧げられたと文書に記されている。
1107年には教会の重要な増築工事が記録されており、1176年と1179年には改修工事が行われた。
12世紀末から13世紀初めにかけ、主扉口の前にプロナオが造られ、1172年には初めて鐘楼が言及された。鐘楼は1597年から1603年の間に再建された。
1698年から99年にかけて、それまでオリジナルの特徴を保っていたファサードにポルティコが追加された。ポルティコを通すため、洗礼盤が置かれていた八角形のロマネスク様式の小さな教会は破壊された。洗礼堂は、同じ八角形で、より高く、少し東に再建された。再建された洗礼堂には1156年に施された彫刻を持つ洗礼盤が戻された。
教会の内部も、17世紀から18世紀にかけて大規模に改修されました。
17世紀半ばには、主礼拝堂と隣接する二つの礼拝堂が拡張され、東向きの後陣部分が増築された。18世紀後半には、石造りの柱を円柱に置き換え、ヴォールトを再建(1719年)した。
この後も、案内掲示を引用するときは太字で書きます。
3. 平面図
ポルティコの案内掲示に教会の平面図がありました。東が上です。
洗礼堂は17世紀末の再建です。平面図は見当たりませんでした。
4. 洗礼盤
教会は17世紀から18世紀にかけて大規模に改修されました。また、洗礼堂も同時期の再建です。これらの建物については割愛します。
洗礼盤をみます。
この洗礼盤は、pietra ollare(この地方の石で、鍋釜や建築の部材に使われる)の一枚岩で、祝福と洗礼を表す浮き彫りで飾られている。
この教区全域で生まれた人々を、復活祭と聖霊降臨祭に洗礼するために製作された。
洗礼盤には、8人の聖職者と5人の信者が描かれています。
復活祭の大きな蝋燭を持った侍祭がいます。その前に立つ祝祭長が、侍祭が持つミサ書を読んでいます。
ミサ書を持つ侍祭の後ろでは、3人の聖職者がそれぞれ行列用の十字架、燭台、つり香炉を持っています。
さらに、つり香炉を持つ聖職者の後ろには、洗礼を受ける者の油と水を祝福するための聖香油を入れた聖油入れを持った2人の聖職者が描かれています。
聖油入れを持った2人の聖職者は、若者と老人です。
復活祭の大きな蝋燭を持った侍祭に戻ります。
復活祭の大きな蝋燭を持った侍祭の後ろには、洗礼を受けた者を抱く名親がいます。
誇らしげな笑顔。
名親の後ろには、馬に乗った男性がいます。偉そうです。
この人、誰?と思ったら、案内掲示に書いてありました。
蝋燭を持つ聖職者の後ろには、洗礼を受けた者を抱く名親、そして、Chiavenna と Piuro という当時一つの自治体の社会構成を象徴する三人組が続く:狩猟用の鷹を持ち馬に乗った男は貴族を表し、櫓の上の男は要塞化された土地の所有者でもある行政官、鍛冶屋は職人と商人を表している。
鍛冶屋は熱心に仕事に取り組む姿で描かれています。
さらに、碑文についても案内掲示に書いてありました。
Anno ab incarnacione D(omi)ni n(ost)ri Ih(es)u Xpi (Christi) Mill(esimo) C LVI indicione quarta mense marci fons iste factus est sub consulibus Clavenabus et Pluriensibus.
Bertrame de Solar Girardus Muso Azo Beldon Petrus Rastel Girardus de Co de Pont Ato Mora et Guidon de Pluri fecerunt.
私たちの主イエス・キリストの受肉から1156年の3月、Chiavenna と Piuro の行政長官の下、この水盤が作られた。Bertramo de Solar、Girardo Muso、Azo Beldon、Pietro Rastel、Girardo di Capo di Ponte、Atto Mora と Guido di Piuro が製作した。
これらの名前は、Chiavenna の4人の行政長官と Piuro の2人の行政長官という、この仕事の推進者を意味している。最後の Guido di Piuro という名前は、水盤の彫刻家の可能性がある。
この洗礼盤を作ったのは、かなり腕の良い石工だったと思います。
侍祭が持つミサ書を読む祝祭長の、明るい笑顔。
行列用の十字架を持つ聖職者の晴れやかな笑顔。
教区全域で生まれた数多くの人々を、復活祭と聖霊降臨祭にまとめて洗礼していた12世紀の、盛大で華やかな儀式の様子が伝わってきます。
Battistero (Collegiata San Lorenzo)。洗礼盤が素晴らしいです。
・
・
・
・
・