2023年5月1日(月)、2番目の訪問地は San Juan de Raicedo。Iglesia de San Juan Bautista です。
ここは、北扉口と後陣が良いです。
教会は閉まっていました。私は教会の中に入りませんでした。
目次
San Juan de Raicedo へ .
概要 .
平面図 . .
東側外観(後陣) .
北側外観(全体、持ち送り) . .
北側外観(北扉口) .
San Juan de Raicedo へ
夫と私は、この日の最初に行ったボストロニソ(Bostronizo)のあと、南東に約11km、36分ほど運転してコティージョ(Cotillo)という村に行きました。そして Iglesia de San Andrés の外観を見学しました。そこには、15世紀以降に置かれたと考えられている聖クリストポルスと他の聖人たちの彫刻があります。かなりロマネスクから外れてしまうので、割愛します。
夫と私はコティージョ(Cotillo)から西に約4km、5分ほど運転して、のどかな教会に着きました。11:30頃のことです。
のどかだと感じた理由は、教会の前の道路を牛たちが歩いていたからです。何頭かの牛が牛飼いに促されてゆっくりと通っていきました。
概要
現地には案内は見当たりませんでした。Románico Digital による概要です。自動翻訳(DeepL)に助けてもらいながら、私が一部を抜粋して太字で和訳します。
村は、イグーニャ(Iguña)渓谷に位置する。Santillana修道院とInfantado de Covarrubias修道院がこの渓谷に敷地を持っていたことがわかっているが、どちらの資料にもSan Juan de Raicedoについては触れられていない。
San Juan de Raicedoは、エルサレムの聖ヨハネ修道会の小修道院であったことが分かっているので、この小修道院が資料に記載されていないのは、このためである。おそらく教会が建てられたときから、マルタ騎士団の支配下に置かれたのであろう。
マルタ騎士団の小修道院だったんですねえ。
教会は聖ヨハネに捧げられ、ロマネスク様式の建物で、単一の身廊、内陣、半円形の後陣がある。私たちは、この教会は12世紀初めのものと考えており、12世紀前半を超えることはないであろう。
鐘楼は後に改修されているが、現在の鐘楼と同じ場所にあった別のロマネスク様式の鐘楼の構造に基づいている。南側には、おそらく17世紀に増築された聖具室があり、内陣の壁と後陣の一部を覆っている。また、南側の壁には、扉を保護するポーチのような瓦屋根もある。この扉は尖頭アーチを持つ。これは間違いなく、教会が当初に画一的に建設された後、開けられたか改築されたものである。
平面図
現地には平面図が見当たりませんでした。Románico Digital による平面図です。東が右です。
さっそく、見学です。
東側外観(後陣)
東側は、市松模様のアーチやフリーズが美しいです。
聖具室に後陣の一部を隠されてしまいました。
ほら、この通り。
彫刻は、摩滅しています。
何だろう?これ?
こちらの柱頭には、祈るように両手を挙げる人が描かれているようです。
北側外観(全体、持ち送り)
北側は、ロマネスク様式がしっかりと残っています。
持ち送りは、円柱を並べたようなものが多いです。
他には、鳥たちや、男性などが描かれています。
簡素で、楽しいです。
北側外観(北扉口)
アーチ部分の装飾が、良いです。
植物模様と、動物たち。
柱頭彫刻も良いです。
鷲と、向かい合うライオンたちだと思います。
Iglesia de San Juan Bautista。北扉口と後陣が良いです。
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