2023年5月1日(月)、最初の訪問地は Bostronizo。Ermita de San Román de Moroso です。
ここは、プレ・ロマネスクです。持ち送りと扉口が素晴らしいです。
Ermita は閉まっていました。私は Ermita の中に入りませんでした。
インターネットの情報によると、夏にはガイドツアーがあるようです。
目次
Bostronizo へ .
概要 .
北側外観(全体、北扉口).
北側外観(持ち送り) .
東側外観(窓) .
南側外観(全体、持ち送り)
Bostronizo へ
夫と私はAirbnbをチェックアウトしました。
Bostronizo まで、南西に約50km、45分ほどの運転です。
最後はこんな細い舗装されていない道を分け入ります。
タイヤがパンクしないかしらと心配でした。
なんとか無事に森の中の Ermita に着きました。10:30頃のことです。
森の木々が隠していますが、Ermita の向こう(南側)に小川が流れています。
たいへん静かです。
概要
教会の外に案内板がありました。自動翻訳(DeepL)に助けてもらいながら、私が一部を抜粋して太字で和訳します。
西ゴート時代にさかのぼる建物で、9世紀か10世紀に改築された。カンタブリア地方で最も美しく本物のモサラベ芸術の一例であり、Bien de Interés Cultural(BIC)に指定されている。
西ゴート時代は、5世紀から8世紀です。西ゴートはビシゴートとも呼びます。ゲルマン系民族で、5世紀初めにイタリアに侵入しますが、勢いは続かず。ガリアに移動し、トロサ(トゥールーズ)を首都として西ゴート王国を建国します。しかし、6世紀初めにフランク族との戦いに敗れ、宮廷をガリアからイベリア半島に移し、首都もトレドにします。8世紀初めにウマイヤ朝(イスラム)に敗れ、滅亡しました。
最初の記録は、1119年にカスティーリャ・イ・レオンの女王ウラカ(Urraca)がここをSanto Domingo de Silos 修道院に寄贈したことに始まるが、その芸術様式はそれよりも数世紀前に遡る。
入り口の扉は、まれな北向きで、一枚岩の柱とフルート入りの柱頭で支えられた大きな馬蹄形アーチであり、軒には、四弁や六弁の花、十字架、鉤十字、円などで装飾された持ち送りが見られる。
周囲には、中世のネクロポリスがあり、6世紀から12世紀にかけての板墓や石棺墓がある。
発掘調査により、西ゴート時代の典礼壷の破片と、内部の勝利アーチのものと思われる柱頭が発見された。柱頭はほぼ円筒形をしており、逆馬蹄形アーチに縁取られたパルメットの装飾が施されている。
さっそく、見学です。
北側外観(全体、北扉口)
建物の四隅に使用されている石の大きさに驚きます。巨大です。
北扉口は馬蹄形です。
簡素な装飾があります。
良いです。
北側外観(持ち送り)
持ち送りが軒先を支えている様子がよくわかります。
壁の外に出ている部分よりも大きい部分が壁の中に組み込まれているんですねえ。
装飾は幾何学模様。
すごく簡素で美しいです。
東側外観(窓)
東側には小さな開口部があります。
開口部は、上が大きくて、下が小さくなっています。
南側外観(全体、持ち送り)
南側には、複数の開口部があります。
南西の角に使われている石の巨大なここといったら。
南側にも持ち送りがあります。
陽の光で、とても美しいです。
Ermita de San Román de Moroso。プレ・ロマネスクの持ち送りと扉口が素晴らしいです。
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