シセ=レ=マコン(Chissey-lès-Mâcon)

2018年9月の旅行六日目、三番目の目的地はChissey-lès-Mâcon。クリュニー(Cluny)から北に約14km、車でわずか約16分の道のりです。

うねうねと細い道を進んで、 小さい村にたどり着きました。

ここの目的は、サン=ピエール教会(Eglise Saint-Pierre)。

事前に私の訪問予定日に教会が開いているか、鍵を借りる必要があるかを役場に問い合わせると、こんな返信がありました。

Chère Madame,
Je transmets votre mail à notre conseiller M. XXXX Dominique qui chargera de vérifier que l’église sera bien ouverte le 14/09 prochain.
En principe, elle est toujours ouverte en journée.
Bien cordialement,

親愛なるマダム、
私共の顧問であるムッシュXXXXにあなたのEメールを転送します。彼はあなたがいらっしゃる日に教会が開いているよう、確認します。
原則として、教会は日中は常に開いています。
敬具

車は教会の周りに停め放題。

この時は気づきませんでしたが、これ西側なんです。通常は後陣は教会の東側にあるんですけど。

教会の南側には木が生い茂ってます。

北側にまわると

扉が開いています!

さらに東側にまわって、façadeに行ってみます。façade は19世紀のもの。

façade の向かいには木々を挟んで大きな建物が迫っています。

南東から教会をみると

大きな木が茂る林を背にして撮っています。その木々が、すぐ側まで迫っているので、鐘楼まで一度におさめられるように写真を撮りたくても十分に距離を持つことができません。

がんばって見上げると、こう。

鐘楼、いいわあ。

わくわくしながら、さっき見た北側の扉口へ戻りました。

扉に表示があります。かわいい。

入って右手には、案内がおいてありました。

お金を募金箱に入れて、案内冊子をもらいました。

そのとき、男性が一人、入ってきたんです。どうやら Mairie のメールに書いてあった人。

苦手なフランス語会話ですが、やっとこさ、簡単な挨拶だけはできました。でも、そのあとで丁寧に教会や村の歴史を教えてくれたにも関わらず、理解できたのは多分50%くらい。われながら、情けない。

今度来るときまでに、ぜったい、フランス語会話を練習しまくる!

と、私の人生で何度目かの決意をしました。あの、カタカナで表せない母音の複雑さ。私にはすごく難しいんです、とほほ。

何とか理解したところでは、、、

この村に聖堂ができたのは10世紀。現在も残っているロマネスク教会の建築は12世紀初めのもので、身廊と鐘楼にだけ、12世紀の建築が残っています。その頃、トゥルニュ(Tournus)とクリュニー(Cluny)の間に位置するこの村には1,000人以上の人が住んで賑わっていました。今では、その5分の1にあたる200人くらいの住人がいるだけ。教会も今とは逆で、西側にfaçadeが、東側に後陣があり、これが今のような位置になったのは19世紀のことだそうです。

お礼を言ってムッシュとお別れし、内部の見学を続けました。

façade を背にして祭壇をみた写真。

柱頭彫刻が気になりますが、まずは内部の全体像をお伝えします。

身廊(12世紀)の窓にはフレスコ画の装飾があって、かわいいんです。そして、かわいい窓の間に、12世紀の柱頭が写っています。柱頭6(詳細は後述)の葉っぱです。

上の写真の左奥にチラッと写っているのは北翼廊。 募金箱に払って頂戴した冊子によると、翼廊は19世紀の拡張部分です。

南翼廊も19世紀の拡張部分。

内陣と後陣。ここも19世紀に拡張された部分です。

内陣を背にして façade をみます。

façade には、今ある扉アーチの上に、一回り大きなアーチの跡があります。

募金箱にお金を払って頂戴した冊子によると、19世紀に拡張と修復工事を行ったとき、それまで鐘楼の真下にあった後陣にドアを付けたと書いてあります。

拡張工事の前の姿を描いた図が冊子に載っています。

(補強用のバットレスはさておき)小さくて素朴で美しい姿だったみたいですねえ。12世紀の西扉口と後陣をそのまま残しておいてくれたらよかったのに。

実は、19世紀の余計な仕事は、これにとどまらないんです。12世紀の柱頭彫刻がスゴイことになっちゃってて。

現地に掲示されていた案内図です。

12世紀の柱頭彫刻は全部で六つあります。

柱頭1、ご生誕(『ルカによる福音書』2章)

聖母マリアや、イエスの近くにいる動物達の顔が、19世紀の修復です。あんまりだ。12世紀のオリジナル部分は繊細な美しいロマネスク彫刻で生き生きとしてるのに。

みづらいですが、右には羊飼い達に吉報を知らせる天使が彫られています。

同じ彫刻を別の角度から。

多分、天使とヨセフ?
顔や手に19世紀の残念な修復が加えられてて、はっきりしませんが。

婚約者のマリアが身ごもったことを知ると、ヨセフはマリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心しちゃうんです。そして、

『マタイによる福音書』1章
20: このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。
21: マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」

柱頭2、ダビデ。
この柱頭も、19世紀の修復がかなり残念です。

上の場面は、ダビデとゴリアト(『サムエル記上』17章)です。

軽装の美しい少年ダビデが、重装備のゴリアトに、石投げ紐と石で勝っちゃう場面。

別の角度。

サムエルとダビデ(『サムエル記上』16章13節)

サムエルは油の入った角を取り出し、兄弟たちの中で彼に油を注いだ。その日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった。

同じ柱頭2の反対側は、楽器を演奏するダビデ。

柱頭3、モンスター

別の角度

反対も。良い感じですねえ!くるくるまいている植物が、まるでチュロス。ホットチョコをつけて食べたい。

柱頭4、二頭のドラゴン
ドラゴンの顔が、19世紀の修復で哀れなことになってます。

別の角度。身体や脚は美しい。

柱頭5、モンスター

別の角度から

いいわあ。

最後、柱頭6は葉っぱです。 拡大写真↓は撮影に失敗しました。でも、フレスコ画で装飾されている、かわいい窓と一緒にご紹介した写真が、なかなか良かったでしょ。

外に出て、もう一度、鐘楼を眺めました。

サン=ピエール教会(Eglise Saint-Pierre)。小さな村のロマネスク教会です。美しい鐘楼と愛らしい身廊がいつまでも心に残ります。

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