2022年12月1日(木)、二番目の目的地は Capestrano、Chiesa di San Pietro ad Oratorium です。
ここは、もと大修道院です。外観では、南側(ファサード)、北側、東側にいろんな時代の浮き彫りが埋めこまれています。内観では、壁画とチボリウム(祭壇の天蓋)と柱頭彫刻が素晴らしいです。
基本的に閉まっていて、見学するにはカペストラーノ文化観光振興会(Associazione PRO LOCO Capestrano)に事前に予約が必要です。
私は上記のリンクにある携帯電話番号にWhatsAppでメッセージを送って予約しました。
Chiesa di San Pietro ad Oratorium は見どころが多いので、2回に分けて書きます。
<1> 概要、平面図と断面図、外観 .
<2> 内観
目次
Capestrano へ .
概要 .
平面図と断面図 .
外観:北側(後陣) .
外観:東側(4, 5, 6の浮き彫り) .
外観:南側(ファサード) .
アルファベットは、基本的に全てイタリア語です。
Capestrano へ
私は、ボミナコ(Bominaco)から東に約25km、26分ほど運転して、ティリーノ(Tirino)川のすぐ近くの、鬱蒼とした森に囲まれた教会につきました。予約時刻の11時半頃のことです。
誰も来ないので、WhatsApp通話して「予約している者ですが、、、」と伝えると「すぐに行きます」とのことでした。
待っている間に、案内板をみました。
概要
案内板の概要です。一部を抜粋して太字で和訳します。
Chiesa di San Pietro ad Oratoriumは、破壊された城に由来すると考えられるアラトゥーロ(Araturo)と呼ばれる地区に建設されており、Oratoriumという名もそこから派生した。
ベネディクト会修道院の創設は8世紀。多くの歴史家は、扉口のまぐさの碑文を真実とし、『ヴルトゥルネンセ年代記(Chronicon Vulturnense)』の記述を信憑性のあるものと考えて、722年にロンゴバルドの王デシデリウスが、ベネディクト会の San Vincenzo al Voltumo に依存する修道院建設を進めたと考えた。また、756年に教皇ステファノ2世が建てたとする説もある。
時代とともに修道院は廃墟と化し、教会は1100年前後に抜本的な改修が行われた。
建物は、長い年月をかけて大規模な改修が行われた。1900年代半ばに行われた工事では、側壁、三後陣と木製の天井が修復され、教会は部分的に元のレイアウトに戻された。
ガイドによると、カスティリオーネ・ア・カザウリア(Castiglione a Casauria)の Abbazia di San Clemente は姉妹修道院なのだそう。私は翌日12月2日に見学しましたので、追ってそれについて書きます。
平面図と断面図
案内板にあった平面図と断面図です。
この教会は、ほぼ、北を向いています。
通常は祭壇が東にあり、東を向いて祈りを捧げますが、この教会はなぜか北北西を向いています。
航空写真をみながらの方がわかり易いので、話が前後しますがここに書いちゃいます。ガイドから聞いた話では、教会の東は昔、回廊でした。また、教会の西は昔、墓地でした。通常は地下聖堂を作って死者を弔うのですが、この場所は地下水が出てしまうため、地下聖堂を作ることができなかったのだそうです。
教会の外観を見学します。
外観:北側(後陣)
後陣は三つ。
切妻屋根と主後陣の半円錐屋根との間の壁に、いくつか浮き彫りが埋め込まれています。
面白いなと思ったのは、主後陣のモノフォラ。蛇行して並ぶ七つの穴があります。
ガイドが来てくれました。
ガイドによると、主後陣のモノフォラに並ぶ七つの穴には、宗教上の意味があるのだそう。(たしか、慈愛、恵み、聖霊の象徴的な数で、完全を表す言葉でもあると聞いたことがあります。)
また、7だけではなく、1から6の数字も、この教会に、みつけることができるのだそう。
1から3は、教会そのものです。
1は、神。
2は、キリスト。人間と神の二つの性質を持っています。
3は、三位一体。
4から6は、東壁に埋め込まれた浮き彫りに見つけることができます。
外観:東側(4, 5, 6の浮き彫り)
ガイドと一緒に、西→南→東とまわって、昔に回廊があった場所へ。
これが、4から6を描いた浮き彫りなんだそう。確かに、左から四つの方向に出っ張っている十字架みたいな形、五つの花弁を持つ花みたいな形、六つの花弁を持つ花みたいな形が描かれています。
4、5、6の数字が持つ意味は、聖書と関連付けて、いろいろな解釈があるらしい。
かなり深い意味を込めて装飾されてる教会っぽいです。
外観:南側(ファサード)
南側(ファサード)が、これまた、大変なことになっています。
様々な浮き彫りや碑文があります。
謎の回文。”ROTAS OPERA TENET AREPO SATOR”と読めます。さまざまな解釈が試みられていますが、その意味はいまだに不明です。
動物たちは、おそらく異教時代のものだそう。鳥は足が左に伸びています。本来の向きではなく、90度回転されていそう。
こちらは、ロンゴバルド時代の石棺だったと考えられています。四つのアーチの下に星が描かれており、左から2番目は北斗七星なのだそう。
手の上には謎の言葉 “Sculptor imago apparuit ito insomnis hec(彫刻家は夢の中でインスピレーションを受けてこの配置を決めた)” が書かれています。意味は分かりません。
南扉口。
まぐさには、”A rege Desiderio fundata anno milleno centeno renovata(デシデリウス王によって設立され、1100年に改築された)”と書かれています。
もう、ガイドから話を聞きながら「へー、そうなの!」と言ってばっかりだった気がします。
現地では気づきませんでしたが、今あらためて写真をよくみると、変ですよね、この扉口。何が変って、まぐさとその上下。
まず、まぐさの下。
これらは、扉口のためにつくられた柱なのでしょうか?
例えば、右の柱の上部に切れ目があります。最初からこの位置に置く柱としてつくったら、こんなふうにつなぎ合わせるかなあ?
次に、まぐさの上。
これは、この扉口のためにつくられたアーチなのでしょうか?
赤い四角で示した部分、つながり方が不自然ですよね?
ルネッタ(lunetta、建築では扉や窓の上の半月形の部分を指す)には、12世紀のものとされている壁画があります。
最後に、まぐさ。両端に割れ目があります。いつ割れたんでしょう?
古いものをたくさん再利用しているファサード、謎が多いです。
次回、教会の中をみます。
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