2022年8月8日(月)の最初に訪れたのは Thiers 。Église Saint-Symphorien du Moutierです。
ここは、クリュニーの影響を感じる素晴らしい柱頭彫刻が数多く並びます。
Thiers へ
私は宿をチェックアウトし、南に1時間ほど車を運転して、大きな町につきました。11時半頃のことです。
上↑の写真で右に写っている鐘楼のある建物が Église Saint-Symphorien du Moutier です。
左に写っているとんがり屋根の塔のある建物は、Abbaye du Moûtier 。
外観をみます。
Église Saint-Symphorien du Moutier の外観:全体
外観からロマネスク教会と感じることは難しいです。19世紀に作られた、修道院との間の小さな道を東に行き、
後陣をみても、この通り。のっぺりした壁です。
教会の中に入ります。
Église Saint-Symphorien du Moutier の概要
教会の中にリーフレットがありました。一部を抜粋して太字で和訳します。
ティエールの原始的な発祥地は、おそらくドゥロル(Durolle)川の平野と山の間にあったと思われるが、10世紀に受けた侵略により、住民は城と教区教会を中心とする岩の多い突出部に定住することになった。
その後、フランス革命まで二つの町が発展した。1251年から王室の保護下にある修道士が運営するムーティエと、ティエール男爵が運営する上の町である。
上の町は、赤丸◯のところだと思います。
ムーティエ修道院は、他の六つの修道院を率いて繁栄し、1011年にクリュニーに譲渡された。宗教戦争や1707年のドゥロル(Durolle)川の氾濫により、その影響力は次第に弱まっていった。1782年にピウス6世によって修道院は弾圧され、1772年に任命された修道院長が最後となった。
サン=サンフォリアン教会は、1838年に当時の歴史的建造物監督官プロスペル・メリメ(Prosper Mérimée)が訪れた、長さ44mのロマネスク様式の建築で、11世紀の後陣をはじめ、12世紀の美しい柱頭、興味深いステンドグラス、優雅な多色彩色の柱やアーチが残されている。修道院は、19世紀に作られた小さな道によって教会と隔てられており、ルイ16世様式の優雅な内装が施されている。
この、12世紀の美しい柱頭、が良いんです。
フロアプラン
現地には、フロアプランは、みあたりませんでした。ゾディアック(Zodiaque)la nuit des temps の『Auvergne Romane』によるフロアプランを載せます。東が上です。
Église Saint-Symphorien du Moutier の内観:全体
教会の中の、全体の様子。
カメラが明るく撮る能力にびっくりです。
外の陽光がすごくまぶしかったので、教会の中はまっくらに感じました。
私の少し後から入ってきた男性も、私にまったく気づかなかったらしく「Bonjour, Monsieur」と私があいさつすると、暗闇から聞こえてきた声にとび上がるほど驚いていました。
バックパックを背負った、たくましそうな若い男性でしたが、上品に「よく見えなくて驚いてしまいました」と笑顔で私に謝ると、足元を確認しながらそっと祭壇前に行き、ひざまづいて祈りを捧げていました。巡礼者だったのかも。
教会の中は、南側も
北側も
すごい柱頭彫刻でいっぱいです。
Église Saint-Symphorien du Moutier の内観:柱頭彫刻
植物と人とか、
植物と動物とか、
植物と人とか、
植物と人とか、
植物と人魚とか。
Église Saint-Symphorien du Moutier。素晴らしい柱頭彫刻があります。
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