ボローニャ(Bologna)<6>

聖ステファノ教会群の中の、Chiesa dei Santi Vitale e Agricola の中を見学します。

Cortile di Pilato を経由して Chiesa del Santo Sepolcro に戻ると、Chiesa dei Santi Vitale e Agricola への扉口があります。

個人的には、聖ステファノ教会群の中でこの教会がいちばん好きです。

さっそく見学します。

プレゼピオ

訪問したのが12月初めでしたから、プレゼピオ(prezepio)が飾られていました。

プレゼピオ(prezepio)

馬小屋でのイエスの「ご生誕」場面を再現したものです。(プレゼピオとは飼い葉桶のことで発音は「ゼ」を強く言います。)

身廊の中央に、どーん、とあったので驚きました。同時に、教会内の華やかさが増していてうれしく思いました。

教会の歴史と概観

4世紀末にアンブロシウスによって、または、5世紀に聖ペトロニウスによって設立されたと言われています。

その後、何度も再建され、1117年にこの地方をおそった地震の後、12世紀末になってようやく形になりました。

内部は、聖ステファノ教会群全体の中でいちばん保存状態が良く、12世紀のロマネスク様式がよく残されているように見えます。

Chiesa dei Santi Vitale e Agricolaの内観(東を向く)

むき出しになった煉瓦、床の敷石、柱やアーチの石材などが、その古さを物語ります。

また、地震や何世紀にもわたる重みでひび割れた柱には、大きな鉄の輪があり、時代の流れがうかがえます。

三つの身廊と三つの後陣を持ちます。

現地にあったフロアプラン。❸がChiesa dei Santi Vitale e Agricola です。

現地にあったフロアプラン、❸がChiesa dei Santi Vitale e Agricola

柱と柱頭彫刻

支柱は、一対の複合レンガ柱と一対の石柱が交互に配置されています。

Chiesa dei Santi Vitale e Agricolaの内観(北東を向く)

複合レンガ柱の断面は十字形で、柱頭は方形の石でできていて、その丸みを帯びた部分は、Cortile di Pilato の柱に見られるような特殊な形状をしています。

Chiesa dei Santi Vitale e Agricolaの内観(南東を向く)

石柱のいくつかはローマ時代のもので、柱頭も再利用されているものがあるようです。

石柱の柱頭

後陣の南側にある柱のイオニア式の柱頭が、とくに再利用っぽい感じです。

後陣の前の右側にある柱のイオニア式の柱頭

側廊

南側廊には Chiesa del Santo Sepolcro に通じる南扉口があるほか、南小後陣に聖アグリコラの石棺があります。

Chiesa dei Santi Vitale e Agricolaの内観(南側廊にて東を向く)

北側廊には北扉口があるほか、北小後陣に聖ウィタリスの石棺があります。

Chiesa dei Santi Vitale e Agricolaの内観(北側廊にて東を向く)

北側廊の床モザイク

北側廊の床が照らされているの、気になりますよね?

ローマ時代の床モザイクらしいんです。

Chiesa dei Santi Vitale e Agricolaの内観(北側廊にて西を向く)

三箇所のうち、まず、いちばん小さいのがこちらです。

北側廊の床モザイク(小さい方)

そして、次に小さいのがこちら。

北側廊の床モザイク(次に小さい方)

最後に、大きいの(北扉口の階段下)がこちらです。

北側廊の床モザイク(大きい方)

角度を変えて。

北側廊の床モザイク(大きい方)

白黒の背景に、あわくうつくしい色あいの四角が素朴に並んでいて、とても良いです。

聖ウィタリスの石棺(北小後陣)

北小後陣にある聖ウィタリスの石棺を見ます。

聖ウィタリスの石棺(北小後陣)

聖ウィタリスの石棺には、正面に2羽の孔雀、中央に十字架があり、「BEATISSIMO MARTIRE VITALE」の銘と「CCCLXXXII」(382年)の日付が刻まれています。

聖ウィタリスの石棺(北小後陣)

「BEATISSIMO MARTIRE VITALE」の銘の部分です。

聖ウィタリスの石棺(北小後陣)、「BEATISSIMO MARTIRE VITALE」の部分

日付はゴシック体で書かれているので、12世紀以降に刻まれたと考えられています。

CCCL」の部分は向かって左上に、

聖ウィタリスの石棺(北小後陣)、「CCCL」の部分

XXXII」の部分は向かって右上に刻まれています。

聖ウィタリスの石棺(北小後陣)、「XXXII」の部分

かなり摩滅していますが、尾羽や冠羽などから、はっきりと孔雀と判別できます。

石棺そのものは4世紀のものかもしれませんが、彫刻はそれよりずっと後にほどこされたと考えられています。年代の特定は難しいようで、8世紀から11世紀と考えられています。

聖アグリコラの石棺(南小後陣)

南小後陣にある聖アグリコラの石棺を見ます。

聖アグリコラの石棺(南小後陣)

聖アグリコラの石棺には、中央に翼のある人、

聖アグリコラの石棺(南小後陣)、中央の大天使と大天使を囲む月桂冠

右にライオン、

聖アグリコラの石棺(南小後陣)、右のライオンと隅の鳥

左に牡鹿が配置され、四隅に小さく鳥たちが彫られています。

聖アグリコラの石棺(南小後陣)、左の牡鹿と隅の鳥

全体は、植物で装飾された二つの帯で縁取られていて、外側の帯の下に「BEATISSIMUM MARTIREM AGRICOLAM HIC REQUIESCIT IN DEI NOMINE」と銘が入っています。

聖アグリコラの石棺(南小後陣)

中央部分の彫刻がとくに、繊細ながらも大胆な線で彫られています。

聖アグリコラの石棺も、石棺そのものは4世紀のものかもしれませんが、彫刻はそれよりずっと後にほどこされたと考えられています。年代の特定は難しいようで、8世紀から11世紀と考えられています。

さて、Chiesa dei Santi Vitale e Agricola の中の見学はこれで終わり。

Chiesa dei Santi Vitale e Agricola の内部は、聖ステファノ教会群全体の中でいちばん保存状態が良く、12世紀のロマネスク様式がよく残されています。教会名になっている二人の聖人の石棺が注目ですが、北側廊に残る床モザイクもおすすめです。

次回、Chiesa dei Santi Vitale e Agricola の外側を見ます。

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