2019年9月の旅行六日目、六番目の目的地はBoí。タウイ(Taüll)から西に約4km、車で約4分の道のりです。
タウイ自動車道(Carretera de Taüll)沿いにある、Sant Joan de Boí へ。
立派な駐車場があります。
人びとが行き来する道に面しているからか、北側の扉口にだけポルティコがあります。特別扱いされてますな、北扉口。
駐車場に車を停め、教会を見上げると
教会は屋根の傾斜が急で、なんとも、かわいらしい姿です。
2019年9月現在、教会が開いている時間は10時から14時と、16時から19時。
16時頃に着いたのですが、教会はまだ閉まっていました。
開くのを待つ間、教会の外側を見学。
北扉口には壁画(復元)があります。
現地の壁画をアップで。
階段をのぼって、山並みを背景にパシャリ。
目を左に転じると、小高い場所に何やら、います。
一瞬、羊飼い?と思ったのですが、
近寄ってみると、薄い二次元の像でした。面白い演出を考えるなあ。
案内板によると、11世紀に遡る初期ロマネスクあるいはロンバルディアの建物です。鐘楼は未完成のままでした。その構成はバシリカ・プランで、すぐに内部全体が壁画で装飾されました。古いポルティコで保護されている北扉口の外側にも12世紀の壁画がありました。これらの壁画のほとんどは1920年に剥がされ、バルセロナのカタルーニャ美術館に移設されました。
17世紀から18世紀にかけて、サイド・チャペルを持つ単身廊に改築されましたが、1970年代から三身廊のロマネスク様式に復元されました。1997年から1998年にかけて、慎重な調査ののち、壁画がもとのレイアウトで複製されました。
時間を過ぎて、ようやく西扉口が開きました。
教会の中に入ります。
西扉口の向こうは、ぼんやりとしか見えませんが、曇りガラスが無かった往時はきっと美しい山の緑が見えたはず。
ところどころ鮮やかな色で壁画が複製してあります。その昔は、こんな鮮やかな色が教会内部全体を彩っていたはず。
南側廊には、20世紀初めに書かれたボイ谷のロマネスク教会に関するメモなどが展示してあります。
メモを残したのは19世期末から20世紀初頭のカタルーニャの建築家ジュゼップ・プッチ・イ・カダファルク(Josep Puig i Cadafalch)。
ちなみに、長い名前だけど、Josepが名でPuig i Cadafalchが姓。Puigがお父さんの姓でCadafalchがお母さんの姓で、「プッチとカダファルクのジュゼップ」っていう姓名になるんだそうです。
彼が設計した建物はバルセロナに多く残っていますが、中世建築の研究にも励み、『カタルーニャのロマネスク建築』などを著した他、ハーバード大学を含め多くの大学から名誉博士号を授与されています。
Puig i Cadafalchは温泉の町バニェール=ド=リュション(Bagnères-de-Luchon)から、時には歩いて、時にはラバの背に揺られてボイ渓谷に来ました。ここに来る前に立ち寄って教会の調査を行ったアラン谷(Vall d’Aran)も、ここボイ谷も、当時はすっかり廃れた寒村。
ラバから落ち、霧が深く、雨が降り、さんざんな目にあいながらボイ谷に着いたのは1907年9月4日の深夜。そして翌9月5日に、エリル・ラ・バルのサンタ・エウラリア(Santa Eulàlia d’Erill la Vall)、ボイのサント・ジョアン(Sant Joan de Boí)、タウイのサント・クリメント(Sant Climent de Taüll)を訪れたのです。
陸の孤島にあって忘れられていたカタルーニャ・ロマネスクの傑作に、世界の目が向けられた瞬間でした。
残されたメモには寸法を含めたフロアプランなど
ロマネスク様式で建築され、装飾された当時の姿がうかがえるくらい、詳しく書き残しました。
翌日もボイ谷のロマネスク教会を調査し、その後、一連の調査内容を発表したのです。Puig i Cadafalchの訪問から93年後の2000年11月30日、ボイ谷は世界遺産に登録されました。
南側廊に展示してあるPuig i Cadafalchのメモの話が長くなりましたが、北側廊は、こうなっています。
北小後陣に近寄って、北側廊と身廊を隔てる壁に描かれた壁画(復元)をアップで。
北側廊の扉口まわり
北扉口の、半月状の部分に鶏がいるんです。北扉口の外側にはポルティコがあり、人が多く行き来する道に面している、注目を浴びやすい場所。
現地の壁画は複製で、壁画のオリジナルは、1920年に剥がされてバルセロナのカタルーニャ美術館に移設されています。
Museu Nacional d’Art de Catalunya, Barcelona で、2019年9月5日に撮った写真をご紹介。
鶏、ちからづよい。いきいきと描かれています。
この鶏のフレスコ画を美術館で見た時には想像もつきませんでしたが。現地には、この扉口の向こうにポルティコがあり、その向こうには人が行き来するCarretera de Taüllがあります。
現地で、北扉口に復元されている鶏を見て初めて「ああ、ここにあったのか」と感慨深い気持ちになりました。
北側廊と身廊とのあいだにも、印象的なフレスコ画が多くあります。
ひとつ後陣よりのアーチ下に、こちら。
これらのアーチの上に描かれていたのが、これらのフレスコ画。
となり(北小後陣より)に、こちら。
美術館では、四角く切り取られて壁にかけてあるもので、教会のどこにどんな風に描かれていたのか全く想像もつきませんでした。現地で復元を見て初めて、北扉口から入って後陣を向くと見える場所に描かれていたことが分かった次第。
教会のどこに描かれていたのかって、大切だと思うんです。人が集まる祈りの場にほどこされた壁画である以上、そこに聖域があることや、人びとが足を踏み入れたときや典礼のときの視点、これらを考えた上で描かれたはずだから。
とはいえ、剥がして移設することや、展示のやり方に文句つけたいんじゃありません。フレスコ画の保存には資金やスペースをはじめ多くの課題が山積してますから、ありがたさを噛みしめながら鑑賞しました。
南側廊にあったフレスコ画のオリジナルも、みましょう。
気になったのを、アップで。
ようやく辿りついたボイ谷で、20世紀初めにこの教会を目にしたPuig i Cadafalchの気持ちに思いをしながら。
Sant Joan de Boí。背後の山も美しく、たいへん魅力的な教会です。
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