サモラ(Zamora)<2>

2024年9月16日(月)、最初に訪れたのはZamora、Iglesia de Santo Tomé (Museo Diocesano)です。

ここは、内観では柱頭、外観では後陣と北扉口がいいです。

2024年、教会は月曜から土曜10:00〜14:00と17:00〜20:00、日曜10:00〜14:00に開いていました。有料(€6)で、撮影禁止でした。

Zamora では、6か所に行きました。以下のように6回に分けて書きます。
<1> Iglesia de San Claudio de Olivares
<2> Iglesia de Santo Tomé (Museo Diocesano)
<3> Iglesia de Santa María la Nueva
<4> Iglesia de Santa María Magdalena
<5> Iglesia de San Cipriano
<6> Iglesia de Santiago el Viejo o de los Caballeros

目次

1. Zamora .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 内観 .
5. 外観(北扉口) .
6. 外観(後陣) .

1. Zamora

サモラ(Zamora)は、カスティーリャ・イ・レオン州サモラ県の県都で、首都マドリードの約210km北西にあります。

教会は、ドゥエロ(Duero)川の北岸、町の中心の東にあります。

西側外観

2. 概要

教会の外に案内板がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

サモラ教区博物館(MUSEO DIOCESANO DE ZAMORA)
サント・トメ教会(Iglesia de Santo Tomé)
サント・トマス広場(Plaza de Santo Tomás)
2012年7月に開館したサモラ教区博物館は、12世紀のロマネスク様式のサント・トメ教会内にある。ここでは、サモラ教区が、キリスト教美術の傑作を常設展示および特別展示することで、カトリック信仰の最も重要な内容を教育的に紹介している。
常設コレクションは、彫刻、絵画、金細工、金属工芸、家具、石造物など134点で構成されている。
これらは、1世紀から19世紀にかけて制作された、ヒスパノ・ローマ、西ゴート、ロマネスク、ゴシック、ルネサンス、バロック、新古典主義、植民地時代の芸術作品である。

この後は、Románico Digital を引用する時に太字で書きます。

3. 平面図

Románico Digital による平面図です。東が右です。

Románico Digital より

4. 内観

教会の中に入ります。

教会の柱頭は植物モチーフが多いのですが、「東方三博士の礼拝」(『マタイによる福音書』2章)を描いた柱頭や、「羊飼いへの告知」(『ルカによる福音書』2章)を描いた柱頭などもあります。

教会の中は撮影禁止でした。Románico Digital による画像です。

Románico Digital より「東方三博士の礼拝」

博物館としての展示の中には、ロマネスク期の作品もあります。特に Iglesia de Santa María la Nueva にあった柱頭のコレクション(モーセとアーロン、二股人魚)が素晴らしいです。13世紀の二つの聖母子像(virgen del rosario(ermita de san Ildefonso, La Cernecina)とvirgen del Portal(Iglesia de la Asunción, Éntrala))、12世紀の木製磔刑像(iglesia de san Juan Bautista Gema)もありました。

5. 外観(北扉口)

外に出て、主扉口(北扉口)をみます。

アーチは、三つのアーキヴォルトで囲まれています。アーキヴォルトの装飾は、主後陣の窓と同じです。

北扉口

6. 外観(後陣)

東に行きます。

北東側外観

主後陣の窓には、簡素な装飾があります。

主後陣の窓

主後陣の持ち送りに豊かな彫刻があります。

主後陣の持ち送り

三後陣は、サン・シプリアノ(San Cipriano)に似た四角形です。

南東側外観

主後陣がとくべつ大きくて、東に飛び出しています。これは、この教会が修道院教会だったことと関係があるかもしれません。

1126年、nooiter edificata(新しく建てられた)サント・トメ修道院(monasterio de Santo Tomé)、その修道院長ペドロ、そして修道僧の共同体が、アルフォンソ7世からベニアルボとコングストの村々の寄進を受けたことから、この教会が修道院を起源としていることは疑いない。

修道院生活は1135年に終焉を迎えた。これは、その年の3月にアルフォンソ7世がベルナルド司教とその参事会員たちに贈った文書から推測される。この文書によると、彼らはサント・トメ教会(iglesia de Santo Tomé)とその所有地を受け取り、旧司教座であるサン・サルバドルのスペース不足のために司教座を移転することになっていた。移転は実現しなかったものの、大聖堂参事会に資産が組み込まれて以降、この教会の運命は参事会と結びついたままとなった。

修道院や聖職者団から大聖堂参事会へのこの譲渡に関する情報は、この建物の建設年代を特定する上で非常に貴重である。

平らな正面を持つ、中央がより広く前方に突き出た、三つの後陣からなる古風な頭部の構造は、中世初期の建築にその起源を見出すことができ、サモラでは他に類を見ない成功例となっている。この後陣構造は、12世紀末から13世紀初頭にかけてのロマネスク様式後期まで続いた(サンティアゴ・デル・ブルゴ、サン・フアン・デ・プエルタ・ヌエバ、サン・エステバン)。この様式に従った初期の教会の中で、現存するのは、大きく改築されたサン・シプリアノ(San Cipriano)の後陣だけである。サント・トメ(Santo Tomé)では、平らな壁による三部構成を採用しているにもかかわらず、主後陣は南北の小後陣よりも大きい。これは、修道院としての性格から、より大きな空間が必要だったためかもしれない。この教会について論じたすべての著者が指摘しているように、サント・トメ(Santo Tomé)の主後陣は、サンタ・マルタ・デ・テラ(Santa Marta de Tera)の後陣を模したものであり、ガヤとグディオルが「モデルを無批判に、そして無残に模倣したもの」と過度に貶めるように述べている (op. cit., p. 229) が、切妻壁の構成について述べたように、この後陣はサンタ・マルタ(Santa Marta)の様式とサン・シプリアノ(San Cipriano)の様式との折衷であると思われる。

教会の建築年代は、12世紀初頭と考えられています。

この教会は、12世紀初頭に、レオン地方(保存状態から判断して、サン・イシドロの様式と評価すべき)の予算で、テラ川岸に修道院教会を建設した工房の一部による作品と考えられる。工房の一部と言うのは、この教会には、サン・イシドロ・デ・レオンに見られるような丸い頬と巻き毛という、完全なロマネスク様式の特徴的な顔立ちを持つ卓越した彫刻家の痕跡が見られないからである。一方、葉の柱頭、具象的な柱頭、 さらには、持ち送りの装飾も、サンタ・マルタ教会で同様のモチーフが見られる。その年代は11世紀末から12世紀初頭にかけてであり、この教会の建設は12世紀の最初の10年か20年と推定される。したがって、前述の1126年の文書で「nooiter edificata(新しく建てられた)」と表現されているのは妥当である。

Iglesia de Santo Tomé (Museo Diocesano)。内観では柱頭、外観では後陣と北扉口がいいです。

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