モアルベス・デ・オへダ(Moarves de Ojeda)

2024年9月11日(水)、最初に訪れたのはMoarves de Ojeda、Iglesia de San Juan Bautistaです。

ここは、南側ファサードが素晴らしいです。

教会は閉まっていました。私は教会の中に入りませんでした。

目次

1. Moarves de Ojeda へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 内観(洗礼盤) .
5. 外観(南側) .

1. Moarves de Ojeda へ

モアルベス・デ・オハダ(Moarves de Ojeda)は、カスティーリャ・イ・レオン州パレンシア県にある村で、県都パレンシアの約78km北にあります。

教会は、村の中心にあります。

2. 概要

教会の外に案内板がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

モアルベス・デ・オハダ(Moarves de Ojeda)に関する歴史的文献はほとんど知られていないが、10世紀にモサラベの人々がこの地域に再定住したことが知られている。

モサラベは、イスラム支配下のスペインで信仰を守ったキリスト教徒です。

この教会の起源は、身廊が保存されている後期ロマネスク時代に遡る。その後、西壁と鐘楼が改修され、バットレスや後陣も改修された。

シンプルな長方形の間取りを持つこの建物は、リブ・ヴォールトのある正方形の後陣と、木造の切妻で覆われた身廊の二つの部分から成っている。この二つの部分は、ロマネスク様式のモールディングを再利用した尖頭の勝利アーチで隔てられており、その柱頭は未完成である。パレンシア北部の典型的な破風は、2層に分かれた尖頭開口部を持つ鐘楼で覆われている。

最も印象的なのは南側ファサードで、そのファサードは、テトラモルフと十二使徒(両端に6人ずつ)に囲まれた、パンクラトールの像が見られる。その両端には、東側はドラゴンを襲う聖ミカエルを、西側はネグロイドの特徴を持つ顔を描いた、二つの持ち送りがある。半円形の扉口は五つのアーキヴォルトで形成され、その両縁の柱頭には、抱き合う2人の人物、獅子を裂くサムソン、音楽家と踊り子、いくつかのアカンサスの葉、剣と盾を持った2人の兵士、ライオンを槍で突く2人の人物、本を読む2人の人物が描かれている。アーキヴォルトの上にはアカンサスの葉とジグザグが描かれ、柱頭には向かい合うグリフォンと同じ植物のモチーフが描かれている。

その構成の美しさから、ミゲル・デ・ウナムーノ(Miguel de Unamuno)はこれを「encendida encarnadura」と表現した。この色は石の自然な色ではなく、鉄分を含んだ石灰水に石を浸して染色したものである。これは、独特の色を出すだけでなく、石の呼吸を妨げずに硬度を上げ、保護する効果もあった。

13世紀に造られた洗礼盤は、左手に書物を持ち、右手で祝福するキリストの座像が描かれたファサード上部の帯状彫刻と、一定の美的関係を保っている。側面には、アーチの下に使徒たちが描かれている。

この後は、Románico Digital を引用する時に太字で書きます。

3. 平面図

Románico Digital による平面図です。東が右です。

Románico Digital より

4. 内観(洗礼盤)

私は教会の中に入りませんでした。Románico Digital による画像です。

内陣の北側にある3段の円形の階段の上に置かれているが、もともとは西側に置かれていた。

1989年以来1995年まで、この水盤は様々な保存修復が行われた。

西側から東側への移動は、湿度条件の急激な変化を引き起こし、その結果、図像の大部分がすぐに割れてしまった。

Románico Digital より

5. 外観(南側)

南側ファサードをみます。

南側外観
上部の帯状彫刻

上部の帯状彫刻の中央には、見事な彫りで、パントクラトルとテトラモルフ(人間の体と動物の頭を持つ4人の福音書記者)が描かれています。

パントクラトルとテトラモルフ

そして、パントクラトルとテトラモルフの両側には、十二使徒が彫られています。

十二使徒

十二使徒の類型の起源は、サンティアゴ・デ・カリオン・デ・ロス・コンデス(Santiago de Carrión de los Condes)教会に見出すことができるが、その着想の源をめぐって、1920年代にA.K.ポーター(A. K. Porter)とA.メイヤー(A. Mayer)の間で論争が巻き起こった。メイヤー(Mayer)は、モアルベス(Moarves)の帯状装飾はルゴ(Lugo)大聖堂の北側ファサードの特徴を反映したスペインの地方作品だと考えていた。ポーター(Porter)は、カリオン(Carrión)が、現在のブルゴスとパレンシア全体に広がる重要なシリーズ(モアルベス(Moarves)、キンタナドゥエニャス(Quintanadueñas)、ソリタ・デル・パラモ(Zorita del Páramo)、サンティバニェス・ザルサグダ(Santibáñez-Zarzaguda)など)の出発点であると考えた。ポーター(Porter)にとって、これらはまた、サンタ・エウフェミア・デ・コスエロス(Santa Eufemia de Cozuelos)の墓の前のマリアたちの柱頭や、レビージャ・デ・サントゥジャン(Revilla de Santullán)のアーキヴォルトのような、アーチの下に人物を配した他の構図にも影響を与えた(ただし、私たちの意見では、ここにもアギラール・デ・カンポーのサンタ・マリア・ラ・レアル(Santa Maria la Real)の工房の影響が見られる)。ガルシア・ギネア(García Guinea)は、レバンツァ大修道院(abadía de Lebanza)の柱頭やアンドレス風の柱頭との様式的な類似が非常に明確であることから、この帯状装飾を1185年頃と判断した。

アンドレス風(andresino)とは、サン・アンドレス・デ・アロヨ(San Andrés de Arroyo)修道院に施された彫刻の様式を指していると思います。

十二使徒
両端の持ち送り

両端には、二つの持ち送りがあります。

西側はネグロイドの特徴を持つ顔、東側はドラゴンを襲う聖ミカエルが彫られています。

聖ミカエルは、翼がなく、鎖帷子(くさりかたびら)をまとっています。

西側の持ち送り
東側の持ち送り
左(西)側の柱頭

南扉口には五つのアーキヴォルトがあり、それらを柱頭が支えています。

左(西)側の柱頭は、2人の人物、「獅子を裂くサムソン」(『士師記』14章)、弦楽器を奏でる音楽家、踊り子たち、樽型の楽器を奏でる音楽家、ハープを奏でる音楽家、などが彫られていると思います。

左(西)側の柱頭

「獅子を裂くサムソン」(『士師記』14章)の獅子の頭の先には、棍棒のようなものを持った男性がいます。サンタ・エウフェミア・デ・コスエロス(Santa Eufemia de Cozuelos)、レボジェド・デ・ラ・トレ(Rebolledo de la Torre)、セスラ(Cezura)、バスコンシジョス・デル・トソ(Basconcillos del Tozo)などに見られる図像です。

柱頭彫刻の様式は、髪や髭の繊細さ、音楽家たちの衣服のひだの艶やかさ、踊り子たちの体の反りや衣服の華やかさなど、ブルゴーニュからやってきた職人たちの影響を受けているように感じます。

左(西)側の柱頭(部分)

樽型の楽器を奏でる音楽家は、ミニョン・デ・サンティバニェス(Miñón de Santibáñez)を含め、複数のロマネスク教会で見かけます。12世紀末頃に一般的な楽器だったのでしょう。

左(西)側の柱頭(樽型の楽器を奏でる音楽家)
右(東)側の柱頭

右(東)側の柱頭は、様式化された植物、盾と剣を持ち向かい合う人物、植物と二つの顔、ライオンと2人の男性の戦い、様式化された植物、2人の男性、などが彫られていると思います。

右(東)側の柱頭

ガルシア・ギネア(García Guinea)は、モアルベス(Moarves)の扉口の柱頭は、上部の帯状彫刻を手掛けた石工とは別の石工の作品であり、この石工は、サンタ・エウフェミア・デ・コスエロス(Santa Eufemia de Cozuelos)、アギラール・デ・カンポーのサンタ・マリア・ラ・レアル(Santa Maria la Real)にも携わったと考えている。扉口の柱頭は、上部の帯状彫刻よりも先に彫られたと思われるが、彫刻家の年代については彼は判断していない。とはいえ、アギラール・デ・カンポーのサンタ・マリア・ラ・レアル(Santa Maria la Real)を論じる場合、モアルベス(Moarves)の柱頭については、1180年から1185年という年代が妥当であろう。

Iglesia de San Juan Bautista。南側ファサードが素晴らしいです。

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