ピネダ・デ・ラ・シエラ(Pineda de la Sierra)

2024年9月5日(木)の最後、四番目に訪れたのはPineda de la Sierra、Iglesia de San Esteban Protomártirです。

ここは、南扉口が素晴らしいです。後陣の外観とポルティコも良いです。

目次

1. Pineda de la Sierra へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 内観 .
5. 外観(第一段階:後陣) .
6. 外観(第一段階:南扉口) .
7. 外観(第二段階:ポルティコ) .

1. Pineda de la Sierra へ

ピネダ・デ・ラ・シエラ(Pineda de la Sierra)は、カスティーリャ・イ・レオン州ブルゴス県にある村で、県都ブルゴスの約35km南東にあります。

このあたりは、デマンダ山脈(Sierra de la Demanda)のふもとです。

教会は、村の中心にあります。

教会の西に三角形の小さな広場があり、私が行ったときは催事の準備中でした。

西側遠景

教会に到着です。

南側外観

2. 概要

Románico Digital による概要です。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

この集落の起源は、9世紀末からカスティーリャの伯爵たちによって行われた土地の再編成にある。この土地は、大修道院や世俗の領主たちにとって、彼らの牧畜群の牧草地として非常に貴重な場所となった。これが、この村を際立たせ、偉大にした側面であり、修道院や貴族たちに牧草地の利用権を分け与えていたものの、常に王室の所有地であり続けた。
最初の文献上の言及は932年である。
1136年、アルフォンソ7世は、サンチョ伯爵の時代に認められた特権と境界を確認した。文書によれば、サンチョ伯爵は「この村を建設し、境界を設定した」という。これは、10世紀末から11世紀初頭にかけて、この村が伯爵領であり、その後も王室の所有地として存続したことを示す明確な証拠である。

ロマネスク様式の教会の建築は、二つの段階を経ました。

第一段階は、11世紀末から12世紀初頭にかけて建てられた後陣、身廊の二つの柱間、そして12世紀半ばに制作された南扉口である。第一段階の建物は現在のものより身廊が小さく、おそらく木造の骨組みで覆われていた。第一段階の工事はシエラ(Sierra)派の工房によるものと見なすべきである。

シエラ(Sierra)派の代表的なロマネスクは、Jaramillo de la Fuente や Neila です。「Sierra」はギザギザに連なる山々を指す言葉です。これらの教会はデマンダ山脈(Sierra de la Demanda)にあります。

第二段階は、12世紀後半に追加されたポルティコであり、南側だけでなく、おそらく西側まで身廊を覆っていた。第二段階の工事はシロス(Silos)派に非常に近い職人によるものである可能性が高い。

シロス(Silos)派の代表的なロマネスクは、Santo Domingo de Silosです。

この後も、Románico Digital を引用する時に太字で書きます。

3. 平面図

Románico Digital による平面図です。東が右です。

Románico Digital より

南扉口は、ポルティコの入口より東にあります。南扉口がつくられた当時(12世紀半ば)、身廊の柱間は二つだけでしたから、南扉口はちょうど身廊の中ほどに位置していたのでしょう。

12世紀後半になってから、ポルティコがつくられました。ポルティコは身廊の南側だけでなく西側も覆っていたようです。

その後、16世紀に後期ゴシック様式で改修が行われました。

16世紀の改修では、身廊の工事が行われた。身廊は、西側に柱間をひとつ増築し、身廊全体の高さを約3メートル上げてリブ・ヴォールトで覆った。西側に身廊が拡張されたことにより、西側にあったポルティコの改築が必要となった。また、北側に聖具室が建設された。

4. 内観

私が行ったとき、たまたま、教会は開いていました。

私は教会の中にいた男性に挨拶し、3分ほど見学しました。

身廊にて東を向く

洗礼盤があります。

洗礼盤は地元の砂岩で彫られており(直径111cm×高さ65cm)、円と貝殻状のモチーフで装飾された円錐台形の鉢を持つ。

洗礼盤

5. 外観(第一段階:後陣)

東に行きます。

南東側外観

11世紀末から12世紀初頭にかけて建てられた、後陣をみます。

東側外観

後陣には、4本の付け柱と三つの窓があります。

後陣の柱頭

後陣の4本の付け柱の柱頭のひとつには、4頭のライオンが彫られています。

後陣の柱頭1

残る三つの柱頭には、様式化された植物が彫られています。

後陣の柱頭2
後陣の柱頭3
後陣の柱頭4
内陣と後陣の持ち送り

内陣と後陣の持ち送りには、幾何学模様、植物、幻想的な生き物、人物、動物などが彫られています。

複数の職人が手がけたらしく、多様な特徴があります。

内陣の持ち送り
後陣の持ち送り
後陣の持ち送り
後陣の窓

後陣南窓には植物、後陣中央窓には向かい合う2羽の鳥や向かい合う2体の幻想的な生き物が彫られています。

後陣南窓
後陣中央窓
後陣北窓

後陣北窓には2人の天使と1人の人物や向かい合う2羽の鳥が彫られています。

Románico Digital には、2人の天使と1人の人物の柱頭は「受胎告知」(『ルカによる福音書』1章)を彫った可能性があると書いてありました。でも、私は天使が2人いますし、人物が小さく描かれているので、違和感を覚えます。

後陣北窓(2人の天使と1人の人物の柱頭)

6. 外観(第一段階:南扉口)

南に行きます。

ポルティコの中に入り、12世紀半ばに制作された扉口をみます。

南扉口

柱頭彫刻が秀逸です。

南扉口:西側の柱頭

西側の柱頭には、聖人伝、様式化された植物、幻想的な生き物たちが彫られています。

南扉口:西側の柱頭

左(西)端の柱頭は、三面からなる構図で、2人の女性が石棺に安置された遺体を看取り、その傍らで聖職者の服装をした人物が祝福を与えているようです。

地元の伝統や依頼者の信仰に関連する聖人の生涯の一場面であろう。これは聖ニコラスの生涯を描いたものかもしれない。

左(西)端の柱頭
左(西)端の柱頭(別角度)

グリフォンとハルピュイアも見事に彫られています。

グリフォンとハルピュイア

さらに、二股人魚とケンタウロスも。

二股人魚の図像は、ハラミージョ・デ・ラ・フエンテ(Jaramillo de la Fuente)の扉口や、バルバディージョ・デ・エレロス(Barbadillo de Herreros)の後陣窓の柱頭を思い出します。いずれもシエラ(Sierra)派のロマネスク彫刻です。

二股人魚とケンタウロス
二股人魚とケンタウロス(別角度)
南扉口:東側の柱頭

東側の柱頭には、「東方三博士の礼拝」(『マタイによる福音書』2章)、様式化された植物、2人の人物や「獅子を裂くサムソン」(『士師記』14章)が彫られています。

2人の人物は、聖ペトロと聖パウロを表現したものと思われる。

南扉口:東側の柱頭

イエスは右手で祝福しているようです。

信者たちは、イエスに見送られながら扉口を通り、教会に入ることができます。

「東方三博士の礼拝」

7. 外観(第二段階:ポルティコ)

最後に、12世紀後半に追加された、ポルティコをみます。

ポルティコにて南東を向く

ハラミージョ・デ・ラ・フエンテ(Jaramillo de la Fuente)やビスカイノス(Vizcaínos)と同様に、二重柱頭で、様式化された植物が多く彫られています。

ポルティコにて南西を向く

Iglesia de San Esteban Protomártir。南扉口が素晴らしいです。後陣の外観とポルティコも良いです。

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