2024年9月5日(木)、二番目に訪れたのはVizcaínos、サン・マルティン・デ・トゥルス教会(Iglesia de San Martín de Tours)です。
ここは、9世紀から12世紀後半の建築様式の変遷をたどれます。
教会は閉まっていました。私は教会の中に入りませんでした。(教会の扉に「教会は日曜の12時から13時まで一般公開されます」との掲示がありました。)
目次
1. Vizcaínos へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 内観 .
5. 外観(第一段階:身廊の壁) .
6. 外観(第二段階:身廊の軒と内陣・後陣) .
7. 外観(第三段階:鐘楼) .
8. 外観(第三段階:ポルティコと南扉口) .
1. Vizcaínos へ
ビスカイノス(Vizcaínos)は、カスティーリャ・イ・レオン州ブルゴス県にある村で、県都ブルゴスの約45km南東にあります。
教会は、村の南にあります。

2. 概要
教会の外に案内板と案内シートがありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
ビスカイノス(Vizcaínos)は974年に初めて文献に登場し、最初の入植者はサングエサ(ナバラ)からやってきた。とはいえ、この村がサン・コスメ・サン・ダミアン・デ・コバルビアス修道院(monasterio de San Cosme y San Damián de Covarrubias)に寄贈されたことは確かである。その後、サン・ペドロ・デ・アルランサ修道院(Monasterio de San Pedro de Arlanza)の保護下に置かれ、1432年にはシロス(Silos)の管轄下に入った。
サン・マルティン・デ・トゥルス教区教会(1983年6月15日に文化遺産に指定)は、その建築を通じて、古代後期や西ゴート様式から12世紀後半のロマネスク様式への変遷を研究者がたどれる点で極めて重要である。
その原型は伯爵時代(9~10世紀)に建てられたと思われる。
その後、11世紀末から12世紀初頭にかけて、内陣と後陣がシエラ(Sierra)派と呼ばれるロマネスク様式に置き換えられた。
シエラ(Sierra)派の代表的なロマネスクは、Jaramillo de la Fuente や Neila です。「Sierra」はギザギザに連なる山々を指す言葉です。これらの教会はデマンダ山脈(Sierra de la Demanda)にあります。
それから数十年後の12世紀後半、まだロマネスク様式の時代に、シロス(Silos)派に関連するポルティコと鐘楼が追加された。
シロス(Silos)派の代表的なロマネスクは、Santo Domingo de Silosです。
近代には、再びいくつかの改築が行われた。最も重要な改築は18世紀に行われ、柱廊が解体され、再建された。
この後は、Románico Digital を引用する時に太字で書きます。
3. 平面図
Románico Digital による平面図です。東が右です。

4. 内観
私は教会の中に入りませんでした。Románico Digital による画像です。

勝利アーチの柱頭と内陣窓の柱頭には、シエラ(Sierra)派による人物像や動物像が彫られているようです。
勝利アーチ北側の柱頭には、聖母が座り、子を抱き上げ膝の上に置く姿が彫られている。子は衣服に深く包まれ、頭部のみが露出している。聖母は正面向きで、足元まで届くマントとチュニックを纏っている。勝利アーチ南側の柱頭には、騎士たちの戦闘場面が彫られている。
内陣北窓の柱頭には、果実と莢を頂に載せたアカンサスの葉が描かれ、葉の上にはそれぞれグリフォンと狼を宿す円形が配されている。
5. 外観(第一段階:身廊の壁)
身廊の壁は、建物の他の部分とは、構造が異なります。
建設は、明確に区別される三つの段階と形態、すなわち身廊、後陣、塔とポルティコで構成されている。
最近の調査により、身廊の壁は古代末期の伝統に連なる様式で建設されており、9世紀末に遡る可能性が高いことが明らかになった。身廊の「石灰と石」でできた石積み、壁の結束力、そして身廊のプロポーションは、明らかにプレ・ロマネスクの建築物に対応している。最初の主扉口は、その遺構が示すように、西側にあったと思われる。

6. 外観(第二段階:身廊の軒と内陣・後陣)
第二段階(11世紀後半〜12世紀前半にロマネスク様式で行われた改築)では、内陣・後陣が現在のものに置き換えられました。
また、身廊については、第一段階(9~10世紀)に建てられた壁を保存する一方、軒とそれを支える持ち送りが置き換えられました。
身廊と内陣・後陣には、持ち送りや柱頭にシエラ(Sierra)派による彫刻があります。
身廊の持ち送り2個
身廊の持ち送り1: 書物を手にする修道士、身廊の持ち送り2: とげを抜く男性、だと思います。
内陣の持ち送り2個
内陣の持ち送り1: 裸の男性、内陣の持ち送り2: 裸の女性、だと思います。
後陣の柱頭2個
後陣の柱頭1: 2頭の四足獣を従える男性、後陣の柱頭2: 男性の顔と様式化された植物、だと思います。
身廊と内陣・後陣の持ち送りや柱頭の彫刻は、そのテーマや図像にシエラ(Sierra)派の特徴があります。
ティンパヌム
シエラ(Sierra)派の建築のもうひとつの特徴は、窓のティンパヌムです。

後陣窓の開口部の上に、浮き彫りがあります。

浮き彫りを拡大します。

このようなティンパヌムは、Neila(Iglesia de San Miguel)や Barbadillo de Herreros(Ermita de los Santos Cosme y Damián)といったシエラ(Sierra)派のロマネスク教会にあります。
7. 外観(第三段階:鐘楼)
第三段階(12世紀後半にロマネスク様式で行われた改築)では、シロス(Silos)派の親方たちによって鐘楼とポルティコが建築されました。
シエラ(Sierra)派からシロス(Silos)派に変わった理由は、この村の歴史が関係しています。
村は、第二段階(11世紀後半〜12世紀前半)ではシエラ(Sierra)派の保護下に置かれていましたが、その後の第三段階(12世紀後半)の頃にはシロス(Silos)派の影響力が強くなっていたようです。

では、鐘楼をみます。
鐘楼は西端に位置し、教会の基部の一部に取り付けられ、大きな尖頭アーチを通じて内部へと開かれている。その構造は、第一区画の高さに設置されたヴォールトによって内部で連結・補強されている。この高さは身廊壁の高さにほぼ対応する。これにより構造の結束力と強度が増し、複数の立方体が上層へ行くほど小さくなる形で積み重ねられた建築が可能となり、台形断面は廃止された。こうして建てられた構造は、上層二部の開口部によって体積を失い、より細身で優美な形態を呈している。
この鐘楼は、12世紀後半に改築されたサント・ドミンゴ・デ・シロス修道院(Monasterio de Santo Domingo de Silos)の鐘楼をモデルとしたものである可能性が極めて高い。
この仮説は、鐘楼の柱頭彫刻、特に第二区画と西側下部の窓の彫刻を分析するとほぼ裏付けられる。シロス(Silos)の回廊の上層を手がけたのと同じ職人が、ここでも作業したことがわかるからである。
これらの柱頭には様式化された植物、滑らかな葉と突起、人物たちの顔、翼を広げたハルピュイア、向かい合うライオン、「受胎告知」(『ルカによる福音書』1章)、「エジプトへの逃避」(『マタイによる福音書』2章)といったテーマが彫られています。
8. 外観(第三段階:ポルティコと南扉口)
ポルティコをみます。

このポルティコの形状は、18世紀後半に行われた大規模改修の結果であり、実質的には新築に等しい。
現存するのは、移設された柱頭と、後陣の主祭壇下にある二基の二重柱頭のみである。いずれにせよ、最初のポルティコは鐘楼と同時に建設されたようである。
彫刻の特徴から、12世紀後半にシロス(Silos)の回廊の上層を手がけたのと同じ職人が、ここでも作業した可能性が示唆される。
ポルティコの柱頭には、幻想的な生き物などが彫られています。
南扉口も、第三段階に造られて18世紀に改修されました。

現在、主扉口は南側にあるが、我々は、元々の主扉口は西側にあり、現在の鐘楼が立つ空間に向かって開かれていたと考える。
ロマネスク時代の遺構は柱部と彫刻のみが残され、その他は18世紀後半に完全に改修されたようである。
南扉口の柱頭彫刻は、ポルティコの彫刻に似ています。

サン・マルティン・デ・トゥルス教会(Iglesia de San Martín de Tours)。9世紀から12世紀後半の建築様式の変遷をたどれます。
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