2024年9月4日(水)、三番目に訪れたのはLos Ausines、サン・キルセ教会(Iglesia de San Quirce)です。
ここは、優れた技術で造られたドーム、独特の後陣屋根が素晴らしいです。また、後陣、北扉口、西扉口や交差部の彫刻と刻字がとても興味深いです。
教会は、私的所有となっており、非公開です。私有地の中にあるため、外観の見学にも許可が必要です。私はロマネスク美術を調べるために訪れたいと観光局に伝え、カスティーリャ・イ・レオン州政府文化局課長の連絡先を教えてもらいました。州政府文化局とのやりとりの末に所有者の連絡先を教えてもらい、その後、所有者とメールや通話を重ねて訪問の許可を得ました。
目次
1. Los Ausines へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観(南側) .
5. 外観(東側) .
6. 外観(北側) .
7. 外観(西側) .
8. 内観(ドーム) .
9. 内観(柱頭彫刻) .
1. Los Ausines へ
ロス・アウシネス(Los Ausines)は、カスティーリャ・イ・レオン州ブルゴス県にある村で、県都ブルゴスの約18km南東にあります。
教会は、広大な私有地の中にあります。地図を見ると、サン・キルセ通り(Cam. San Quirce)をたどって教会の近くまで行けそうに思えます。でも実際には、銀色のフェンスがゆくてをはばみます。
私はフェンスに沿って未舗装の細い道を進み、30分ほどかかって、ようやく門を見つけました。この辺りです。

門は見つけたものの、そこにインターホンのようなものはありませんでした。私は予約した連絡先にWhatsAppメッセージで「ここにいます」と上の写真を送信し、WhatsAppで通話を始めました。
そのとき、たまたま後ろから2台の車がやってきました。私有地のセニョーラのようでした。彼女は私が訪問を予約していることを確認し、私はセニョーラの先導に従って私有地に入りました。
私が教会に着くと、私の予約を受け付けた担当者が来ました。彼女は私が大人数で来ると思っていたそうで、少し残念そうでした。そんな彼女は私に一冊の本をくれました。

2. 概要
もらった本『Antigua Abadía de San Quirce』による概要です。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
修道院の主な歴史
9世紀?:修道院の起源は不明である。修道士たちは、おそらく聖フルクトゥオス(スペイン語:San Fructuoso)の規則に従っていた。修道院の起源は、エルミタ・デ・サンタ・フリータ(ermita de Santa Julita)にあると思われる。
聖フルクトゥオス(スペイン語:San Fructuoso)は614年頃トレドに生まれ、アストルガ(Astorga)近郊のコンプルード(Compludo)に最初の修道院を設立した。この修道士は、純粋なスペイン修道士の偉大な立法者であり、家長であると考えられている。その規則は聖レアンドロ(スペイン語:San Leandro)の規則に触発されたもので、特にイベリア半島の北部と西部で守られた。
904年:フェルナン・ゴンサレス(Fernán González)が、聖キリクスと聖ユリッタの祝日である6月16日に、ムーア人との戦いに勝利する。
聖キリクス(スペイン語:San Quirico または San Quirce)と、その母親の聖ユリッタ(スペイン語:Santa Julita)は3世紀に殉教した聖人たちです。聖キリクスは殉教したとき、たった3歳だったそうで、最も若い殉教者と言われています。
929年:フェルナン・ゴンサレス(Fernán González)がサン・キルセ修道院(Abadía de San Quirce)に寄進し、再建する。修道士アスリオ(monje Asurio)が修道院長(abad)を務める。
970年:フェルナン・ゴンサレス(Fernán González)が死去する。
1054: 修道院教会の建設が始まり、カスティーリャ王フェルナンド(Fernando)が修道院を訪れる。
1068年:剛勇王サンチョ(Sancho el Fuerte)は、この修道院が特定の規則に従わなかったため、この修道院をオカ司教区(Sede de Oca)に加える。
1075年:アルフォンソ6世(Alfonso VI)がこの修道院をブルゴス大聖堂の傘下に置く。
1147年:サン・キルセ教会が奉献され、参事会教会に昇格する。
この日から1409年まで、この教会について語る文書はない。
3. 平面図
もらった本『Antigua Abadía de San Quirce』による平面図です。東が上です。

教会は、シンプルな建物です。単身廊、半球形のドームに覆われた交差部と後陣があり、後陣には四角形の内陣と半円形の後陣があります。
この後は、Románico Digital を引用する時に太字で書きます。
最初の文書で言及されている教会の位置が、現在の建物の位置と同じであるとは断言できない。おそらく高台にあった既存の要塞の跡地に建っていた可能性が高い。現在は羊小屋となっている後陣跡がわずかに残っている場所にあったと推測される。修道院が一時的にオカ司教区に編入されたとき(1068年)、教会が現在のようなものでなかったことは確かである。
聖具室とルネサンス様式の塔、身廊のバロック様式の天井が追加された以外は、現在見ることができる建物は、1147年にパレンシア司教がブルゴスとオスマの司教、そしてこの地域の多くの領主や修道院長を伴って奉献した教会に相当すると思われる。
3人の親方(三つの工房)が建築を担ったと考えられています。
この建物は、現在のロマネスク様式の石組みを実現するために、少なくとも二つの段階を示した記念碑である。第一段階は後陣、第二段階は交差部と身廊である。二つの段階というのは、二つの工房と二つの全く異なる建築の捉え方を指している。
現在見られる西側のファサードは、第三の工房に相当するものだと理解している。年代的には、11世紀末から12世紀中頃と思われる。
後陣は11世紀末に完成したに違いない。交差部、身廊、北扉口は1130年頃に完成した可能性が高い。教会が奉献された1147年には、西扉口も完成していた可能性がある。
4. 外観(南側)
南側は、後代の改築(聖具室とルネサンス様式の塔)が目立ちます。
ルネサンス様式の塔の下には、ロマネスク様式の交差部があり、壁のつくりの違いから交差部のドームの位置がわかります。

5. 外観(東側)
東側は、特徴的な後陣があります。

この建物には、構造上の特徴があり、それが顕著な個性と独自性を与え、ロマネスク様式の新しい建築形式の革新と検証となっている。後陣の外側には、オクルス(丸窓)を縁取る2本の角柱による付け柱があり、特徴的な庇がない。屋根には、(大規模な修復工事を経たとはいえ)魚の鱗を模して連なった石板が残っている。これは興味深い特徴で、この時代の他の教会ではあまり見られない。後陣の内部は、外部と同様に2つの部分に分かれている。後陣には3本、内陣には4本の計7本のアーケードがある。この部分は、内部も外部も注目に値する建築的統一性を示し、比較的重厚な形をしているが、技術的には注目に値する出来栄えである。
屋根が実に特徴的です。

軒下には持ち送りがあり、動物や人物などが彫られています。

6. 外観(北側)
北側は、扉口に注目です。

交差部の北壁には、壁から突き出た扉口が造られ、そこから回廊や修道院の他の部屋に出入りできるようになっていた。現在は壁で塞がれている。特徴的な屋根瓦で仕上げられ、持ち送りの上に載っている。三つの半円形のアーキヴォルトのうち、全体が見られるのは二つだけで、もうひとつはその始まり部分だけが残っている。これは入念に設計された扉口で、質の高さは特筆に値する。

持ち送りの数は12あり、十二使徒が彫られていると思います。
左(東)端は使徒ペトロ。右手に鍵、左手に書物を持っています。そして顔の左右に「PETRVS」という文字が刻まれています。
二番目は使徒パウロ。禿頭で肩のあたりに「PAVLVS」という文字が刻まれています。

持ち送りの下にも豊富な浮き彫りがあります。

左(東)側には六つの浮き彫りのパネルがあります。
上の三つのパネルには、左(東)から順に、聖ガブリエル、聖ミカエル、聖ラファエルの3人の大天使が彫られていると思います。それぞれのパネルに、GABRIEL、MICAEL、RAFAELと刻まれているようです。聖ガブリエルは右手で祝福して左手に十字架を持ち、聖ミカエルはドラゴンを倒し、聖ラファエルは右手で聖ミカエルを示しています。
下の三つのパネルには、左(東)から順に、ケンタウロス、弓を持ち正面を向く男性、「獅子を裂くサムソン」(『士師記』14章)が彫られていると思います。ケンタウロスにはSAGITTARIVS、サムソンにはSAMSON FORTISSIMUSと刻まれているようです。

中央部には「受胎告知」(『ルカによる福音書』1章)と「ご訪問」(『ルカによる福音書』1章)の場面が彫られていると思います。いずれも伝統的な図像表現です。でも、右手に何かを持って「ご訪問」の場面の方を向いている女性は誰でしょう、あまり見たことがありません。

右(西)側には、四福音書記者の象徴に囲まれた威厳に満ちたキリストが彫られています。イエスは正面を向いて座り、祝福し、アルファとオメガが刻まれた書物を示しています。十字ニンブスを身につけ、素足を台座に置いています。四福音書記者の象徴はイエスを見るために首をかしげています。

7. 外観(西側)
西側も、扉口に注目です。

西扉口は、後陣、交差部と身廊よりも後に作られたもので、後陣、交差部と身廊を作った工房の作品ではないと思われる。
西扉口は、北扉口とはまったく異なるプロポーションとボリューム感が見られる。デザイン、壁との関係、そしてファサード全体の建築的価値は、異なる工房と親方を示唆している。その外部構造は、壁の開口部だけが利用され、既存の扉口の上に追加されたと考えられる。
11の持ち送りは左(東)から順に、アダムとエバ(『創世記』3章)、「カインとアベル」(旧約聖書『創世記』4章)の旧約聖書の物語が展開します。
アベルとカインは、主のもとに献げ物を持って来ます。
アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来ます。子羊、かわいい。
小麦の束を持つ男性は、土の実りを持って来たカイン。
10のメトープ(浮彫石板)には、戦う人物たちや動物たちなどが彫られています。
持ち送りは原罪(アダムとエバ)、最初の殺人(カインとアベル)といった罪深い場面ですし、メトープの人物たちは戦っています。教会で祈りを捧げる動機づけになっているのかなと思います。
8. 内観(ドーム)
教会の中に入ります。

内部で注目したいのは交差部、内陣と後陣です。
交差部のドームが素晴らしい。
重要な関連性と質を持つ構造的要素は、その構想と実行の両方において、交差部である。内観はほとんど変更されていない。角柱と紡錘形の柱を持つ4本の複合柱と、正方形の空間を定義するそれぞれのアーチの上に乗っている。この正方形は、入念に作られた美しいデザインの四つ角によって八角形に変形し、市松模様の装飾が施された縁取りによって定義される円周へと道を譲る。これがドームの土台で、丁寧に作られた切石が同心円状に連続して配置され、キーストーンに達する。ロマネスク時代の最も重要な聖堂によく見られるこの形式のドームは、親方の技量と質、そしてかなりの技術的知識を示している。

9. 内観(柱頭彫刻)
また、交差部、内陣と後陣の柱頭彫刻が良いです。
柱頭彫刻1
アダムとエバ(『創世記』3章)。左(西)側では父なる神がアダムとエバを叱責し、右(東)側では天使がアダムとエバを楽園から追放しています。

柱頭彫刻2
隣の柱頭彫刻は、「カインとアベル」(『創世記』4章)。
短いチュニックにフード付きのマントを着たアベルが、長い杖をつき、片手に角笛を持っています。アベルは羊とヤギの群れを世話し、草を食んだり茂みに止まったりしています。

柱頭彫刻3
次の柱頭にも同じ物語が続いているようです。隅に4頭の羊が向かい合い、その上に2頭の山羊が同じ姿勢で彫られています。上部には、毛がふさふさの男性(おそらくアベル)と犬の頭がヤギや羊たちを眺めています。

柱頭彫刻4
次の柱頭の片側には、カインが一対の牛を使って畑を耕す姿が描かれています。正面には二人の兄弟が主に捧げ物をし、上部には神の手がアベルを指しています。最後に右側で、カインは弟の頭をつかみ、長い物で殴って殺します。天使のような顔がこの場面を上から見ています。
カインの物語は、内陣を挟んで向かい側の柱頭(柱頭彫刻9)に続きます。

柱頭彫刻5
女性が右手をライオンに噛みつかれ、左手で別のライオンの尾を掴んでいます。女性は正面を向いて裸で、足に巻きついた蛇に乳房を噛まれています。

もう一頭のライオンは爪で男性を掴んでいます。

後陣の北側には、植物と人物の柱頭彫刻が並びます。

柱頭彫刻6
後陣南側の柱頭は、猿たちと人物たちです。
首に縄を巻いた二匹の猿が性器を見せています。

柱頭彫刻7
次の柱頭は謎めいています。左側には、横向きに座った男性が手に縄を持っていて、その縄で四つ足の動物の首をつかんでいます。正面には裸の男が立っていて、その手で右隅の別の男性の首に縄をかけています。縄をかけられた男性は両腕を胸の上で組んで諦めたような姿勢をとり、右側の最後の人物が彼を守っているように見えます。

柱頭彫刻8
左手に書物を持ち、右手でギリシア式に祝福を与える荘厳なキリストが座っています。
隣の柱頭は、ライオンが向かい合っています。

柱頭彫刻9
次の柱頭は、内陣を挟んで向かい側で描かれている、アベルを殺したカインの続き(『創世記』4章)です。主はカインにこう言われます。「KAIN UBI EST FRATER TUUS ABEL(お前の弟アベルは、どこにいるのか)」

同じ柱頭の正面と右には、ノアの箱舟(『創世記』6章)が彫られています。正面には、主なる神が十字架を手に雲から現れてノアに語りかけ、ノアは斧で木を切り倒します。「FECIT SIBI NOE ARCAM…」
右側では箱舟はすでに水面に浮かび、その上には雨の終わりを告げる鳩がいます。

柱頭彫刻10
次の柱頭には、「アブラハムによる息子イサクの犠牲」(『創世記』22章)が彫られています。
アブラハムが息子イサクの頭髪を掴み、刃物を取って息子を屠ろうとしています。後ろの木の茂みでは、天使がイサクの代わりに焼き尽くす献げ物である一匹の雄羊を持ち、アブラハムに語りかけます。「NON EXTENDAS MANUM SUPER PUERUM ISSAC(イサクに手を下すな)」。

柱頭彫刻11
最後の柱頭には、「獅子を裂くサムソン」(『士師記』14章)、2羽の鷲の首を掴む髭の男性などが彫られています。

柱頭彫刻は、それぞれの場面が丁寧に生き生きと描かれています。それらに細かい説明文が刻まれていて、かなりの文字が残っています。
サン・キルセ教会(Iglesia de San Quirce)。私有地の中にあり、通常は非公開の教会です。優れた技術で造られたドーム、独特の後陣屋根が素晴らしいです。また、後陣、北扉口、西扉口や交差部の彫刻と刻字がとても興味深いです。
・
・
・