サント・ドミンゴ・デ・シロス(Santo Domingo de Silos)

2024年9月4日(水)、最初に訪れたのはSanto Domingo de Silos、サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院(Monasterio de Santo Domingo de Silos)です。

ここは、ロマネスク様式の回廊が素晴らしいです。

2024年9月、ロマネスク様式の回廊は火曜から土曜の10:00〜13:00と16:30〜18:00、日曜の12:00〜13:00と16:00〜18:00に開いていました。有料(€4)でした。

(なお、この修道院にあったエナメル細工や象牙細工の作品数点が、ブルゴス博物館(Museo de Burgos)にて保管・展示されています。)

目次

1. Santo Domingo de Silos へ .
2. 概要 .
3. シロス写本 .
4. 平面図 .
5. 内観(回廊の支柱の浮き彫り) .
6. 内観(回廊の柱頭彫刻) .

1. Santo Domingo de Silos へ

サント・ドミンゴ・デ・シロス(Santo Domingo de Silos)は、カスティーリャ・イ・レオン州ブルゴス県にある村で、県都ブルゴスの約48km南東にあります。

山の手前に鐘楼が見えました。高名な修道院とは思えない、落ち着いた佇まいです。

北側遠景

目指すロマネスク様式の回廊は、修道院の建物群の南東側に位置します。

教会や鐘楼を右に見つつ、南へと進みます。

修道院北東側外観

ロマネスク様式の回廊の入口に着きました。

ロマネスク様式の回廊への入口

2. 概要

修道院の公式ウェブサイトによる概要です。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

歴史
修道院書庫に保存されている954年の文書の中で、サン・セバスティアン・デ・シロス修道院(Monasterio de San Sebastián de Silos)が初めて言及されている。

10世紀には、イスラムの侵攻によって衰退します。

アルマンソールの侵攻により、修道院は大きく衰退した。1041年、カスティーリャ王フェルディナンド1世が派遣したラ・リオハ出身の修道士ドミンゴ・マンソが到着した。彼は修道院長に任命され、修復の原動力とその聖性によって修道院を再建し、1073年12月20日に死去した。1076年に列聖され、その奇跡の名声により、彼の墓は巡礼地となった。

中世後期は、カスティーリャの修道院にとってあまり輝かしい時期ではなかった。しかし1512年、修道院はバリャドリード(Valladolid)のベネディクト修道会に加わり、中世の修道院と並んで近代的な修道院が建設された。それは城壁、修道士の独房のための南棟、聖ドミニコ礼拝堂、新古典主義とバロック様式の教会を含む。

1835年11月、メンディサバル政府の追放令に従い、共同体は解散し、シロスでのベネディクト修道院生活は45年間中断された。1880年12月18日、フランスのサン・マルタン・ド・リグジェ修道院(abbaye Saint-Martin de Ligugé)のベネディクト会修道士たちが、フランスで修道生活を続けることができなくなり、ここシロスにやって来た。彼らは、カスティーリャの修道院に修道生活を復活させ、廃墟から救った。

それ以来、今日に至るまで、シロス修道会は、その証し、典礼の祝典、文化への貢献、そしてその影響力によって、サン・マリア・エスティバリス修道院(アラバ)、モンセラット修道院(マドリッド)、サン・サルバドール・レイレ修道院(ナバラ)、サンタ・クルス・デル・バジェ・デ・ロス・カイドス修道院(マドリッド)など、スペイン国内にいくつかの新しい修道院を設立し、またラテンアメリカではメキシコとアルゼンチンに修道院を設立するなど、大きな活力を持ち続けている。

シロス修道院の建物は、二つの回廊を囲むように並置された二つの修道院で構成されている。中世風と近代風または古典バロック風の二つの回廊があり、北側に教会、南側に修道士たちの独房がある大きな南棟(居住エリア)がある。この部分は1970年に大火災に見舞われ、灰燼に帰した。1971年から1972年にかけて、火災で荒廃した部分の修復が行われ、修道院は実質的に現在の姿となった。

私たちは、太陽熱、水熱、バイオマスといった再生可能エネルギーを利用しており、現在、120台のソーラーコレクターからなる45kWの太陽光発電所を設置したばかりである。これは欧州連合(EU)の資金援助によるプロジェクトである。

図書館
印刷機が発明されるまで、修道院には10世紀以来、写本が作成され保管されるスクリプトリウムと書庫があった。15世紀に印刷された本が登場すると、共同体はそれらを書庫とは別に図書館で保管するようになった。文書館に保管されていた目録によると、1810年当時、図書館にはすでに4962点の著作があり、さらに80点が貸し出されていた。

この後は、現地に掲示されていた説明を引用する時に太字で書きます。

3. シロス写本

この修道院のスクリプトリウムでは数多くの写本が制作されました。ベアトゥスによる「ヨハネの黙示録注解」の写本のひとつもここで制作され、俗にシロス写本と呼ばれています。

これは、サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院の写本で、1091年から1109年にかけてこの修道院のスクリプトリウムで制作され、見事な彩色が施された。

シロス写本は現在ロンドンのBRITISH LIBRARYにあります。鮮やかな挿絵で有名です。

シロス写本に関する本

修道院のショップには、シロス写本に関する本(€80)が売られていました。著名な専門家による研究内容、挿絵すべての注釈や315点のカラー図版を含む、高級布装の本でした。

ちなみに、ベアトゥスによる「ヨハネの黙示録注解」の写本については、セウ・ドゥルジェイ(Seu d’Urgell)に書きました。

4. 平面図

Románico Digital に載っていた Pérez de Urbel によるロマネスク様式の回廊の平面図です。東が右です。

5. 内観(回廊の支柱の浮き彫り)

回廊に行きます。

回廊は二層です。Románico Digital によると、下層が11世紀から12世紀、上層が13世紀のもの。

回廊

平面図に示されたAから順に、四隅の支柱の八つの浮き彫りをみます。

回廊(支柱の浮き彫りEとF)

AからFは11世紀、GとHは12世紀の作品です。

A

「十字架降架」(『マタイによる福音書』27章、『マルコによる福音書』15章、『ルカによる福音書』23章、『ヨハネによる福音書』19章)

11世紀。登場人物と各要素が調和した構図の中で、地上と天上とを結びつける十字架に釘付けにされたままのキリストの降架の場面が描かれている。キリストの遺体は細部まで描き込まれ、リアリズムを表現している。二人の従者が遺体を抱き、右端には福音書を手にした最愛の弟子が現れ、それを見た者が証言することを私たちに思い起こさせる。 他の象徴的な要素も神のドラマに加わっており、香炉を持った天使たち、覆われようとしている太陽と月、そして下部には、世界に救いをもたらした木によって贖われ墓から出てくるアダムが描かれている。

A

キリストは穏やかな顔です。

A(部分)
B

「イエスの復活」(『マタイによる福音書』28章、『マルコによる福音書』16章、『ルカによる福音書』24章、『ヨハネによる福音書』20章)

11世紀。この浮き彫りでは、キリストの復活が主要なテーマであり、キリストの死がまず念頭に置かれている。実際、中央には、2人の従者によって、墓の中に謹んで安置されたキリストの姿がある。上段では、復活祭の朝、3人のマリアが墓にやってくるが、墓の蓋の上に天使が座っているのを見つける。その下には、ローマ時代ではなく、この浮き彫りが制作された中世時代典型的な服装をした7人の番兵たちが、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになっている。

まっすぐに伸びるキリストの腕が構図のアクセントになっています。

B
C 

「エマオに向かう弟子たちに対するキリストの出現」(『ルカによる福音書』24章)。

11世紀。エマオの弟子たちを描いたこの浮き彫りは、おそらく当派の回廊で最もよく複製され、最もよく知られている。肉体の細部とぴったりとした衣服といういつもの技法が用いられ、人物を再現するために細心の注意が払われている。

C

静謐な情景であるが、動きがないわけではない。復活したキリストは、落胆している二人の弟子の前に現れ、顔を向け、足取りさえも変えて、信仰を持って人生の道を歩むよう励ましている。

サンチャゴの貝殻が袋に彫られているのは、多くの巡礼者がここを訪れることから、彼らが自分自身を重ね合わせて慰めるためである。

C(部分)
D

「不信のトマス」(『ヨハネによる福音書』20章)。

11世紀。復活祭のテーマでもある、不信の聖トマスの救済が描かれている。ニンブスに書かれた名前によって、使徒たちが特定される。彼らは皆、美しい動きで、浮き彫りの左側の人物に向かって身を乗り出している。キリストは、その階層的な立場から、他の者たちよりも高く、チュニックを脱ぎ、不信のトマスが手を置いた脇腹の傷を露わにする。

D

ここでも、まっすぐに伸びるキリストの腕が構図のアクセントになっています。

D(部分)
E 

「キリストの昇天」(『ルカによる福音書』24章、『使徒言行録』1章)

11世紀。配置が印象的である。あたかもキリストを頂点とする三角形を描き、使徒と聖母マリアの二列で教会を表しているかのようである。チュニックとマントを身にまとい、体に帯を締めた彼らは皆、視線を上に上げ、この光景を思い浮かべる私たちにも同じように視線を向けるよう促している。

E
F 

「聖霊降臨」(『使徒言行録』2章)

11世紀。聖霊降臨の場面では、隣の「キリストの昇天」の浮き彫りと同様の使徒たちの配置が見られるが、ひとつだけ例外がある。マリアが、両手を合わせて親密な祈りの姿勢で、他の使徒たちの上に浮かび上がっている。聖霊は、伝統的な図像学によれば鳩や火の舌の形ではなく、手、特に神の指 「Digitus Dei」(グレゴリオ賛歌 「Veni Creator Spíritus 」で呼び起こされる)として描かれている。修道士の人生において非常に重要な典礼が、このような特異な芸術作品のインスピレーションとしていかに役立っているかを、改めて知ることができる。

F
G 

「受胎告知」(『ルカによる福音書』1章)

12世紀。完成までに少なくとも200年を要した回廊の建設と、初期のゴシック芸術を生み出すことになる形態が登場する。初期の浮き彫りのようなヒエラルキー的なスタイルとは異なり、より人間的で自然主義的なディテールが施されている。天使と聖母の間には、強い視線と甘い表情がある。聖母戴冠の場面も表現されている。二人の大柄な天使が、「神の母」として知られるようになる聖母に栄光の王冠を捧げている。威厳と気品が、このような厳粛な瞬間を表している。

G
H

「エッサイの木」(『イザヤ書』11章、『ルカによる福音書』20章)

12世紀。最も劣化しているのが残念である。すべての石が同じように時の流れに耐えたわけではない。ここには、我らの主イエス・キリストの二重の系図が、その二重の神性と人間性において示されている。その下、中央部には、幼子イエスを膝に抱く父なる神、そして横たわった姿で現れるエッサイの幹の節に座る聖母の姿がある。その周りを取り囲むのは主要な預言者たち:イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ダニエル、そしてヘブライ王政の最も重要な2人の王:ダビデとソロモンである。

H

6. 内観(回廊の柱頭彫刻)

支柱の浮き彫りばかり注目されますが、柱や柱頭彫刻も良いです。

回廊の柱は、その多くが二重なのですが、十字形でしかもねじれているオシャレな柱もあります。

回廊

柱頭を四つご紹介します。

柱頭1

向かい合う鳥たちだと思います。

柱頭1
柱頭2

ライオンたちに植物がからみついていると思います。

柱頭2
柱頭3

植物だと思います。

柱頭3
柱頭4

鳥たちに植物がからみついていると思います。

柱頭4

写本挿絵のような曲線が美しいです。

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院(Monasterio de Santo Domingo de Silos)。ロマネスク様式の回廊が素晴らしいです。

(なお、この修道院にあったエナメル細工や象牙細工の作品数点が、ブルゴス博物館(Museo de Burgos)にて保管・展示されています。)

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