ソリア(Soria)<1>

2024年9月1日(日)、最初に訪れたのはSoria、サン・フアン・デ・ドゥエロ修道院(Monasterio de San Juan de Duero)です。

ここは、ソリアの町を象徴するイメージになっている回廊があります。聖域の柱頭彫刻も素晴らしいです。

2024年、教会は以下の日程で開いていました。有料(€1)でした。
2月から6月と10月は火曜から土曜の10:00~14:00と16:00~19:00
7月から9月は火曜から土曜の10:00~14:00と16:00~20:00
11月から1月は火曜から土曜の10:00~14:00と16:00~18:00
一年を通して日曜・祝日は10:00~14:00
祝祭日および祝祭日前日を除く月曜日は休館

Soria では、4か所に行きました。以下のように4回に分けて書きます。
<1> Monasterio de San Juan de Duero
<2> Concatedral de San Pedro
<3> Iglesia de Santo Domingo
<4> Iglesia de San Juan de Rabanera

目次

1. Soria へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 内観(回廊) .
5. 内観(聖域) .

1. Soria へ

ソリア(Soria)は、カスティーリャ・イ・レオン州ソリア県の県都で、首都マドリードの約187km北東にあります。

ソリアの町は、カスティーリャとアラゴンを結ぶ街道沿いの戦略的な立地にあり、ドゥエロ(Duero)川の右岸にあります。

修道院は、ドゥエロ(Duero)川の左岸にあります。建物を赤い矢印で示しました。

西側遠景

ここは修道院(Monasterio)と呼ばれますが、ずいぶん前から修道士はいません。

現在ここには、カスティーリャ・イ・レオン州政府付属のヌマンティーノ博物館中世部門(Sección Medieval del Museo Numantino)があります。

西側外観、チケット売り場

チケット売り場で入場料を支払うと、見学開始です。

2. 概要

教会の中に案内板がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

キリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒
ソリアは、レコンキスタの進撃によってドゥエロ地方が不安定な辺境となった200年間を含め、8世紀から11世紀末までイスラム教の町であった。このことは、イスラム文化の重要な痕跡につながった。
この間、4世紀以降スペインに多数存在していたユダヤ人は、特別税を納める義務を負うだけで、自由に生活することができた。彼らは、アラブ人が二流とみなしていた商業や行政といった職業に就くようになった。
レコンキスタの後、キリスト教徒の再定住によって構成された社会は、かなりの程度、以前の共存状況を引き継いだ。キリスト教徒(騎士)、ムーア人(農業と建設業)、ユダヤ人(貿易と貸付業)が共存した。それぞれの文化には独自の伝統、習慣、規範があった。この共存は決して平等を意味しなかったが、寛容を意味した。
ユダヤ人は、数的にも経済的にも、州全体で大きな重要性を持っていた。これらの住民は非常に都会的で、商業、金融、医療に従事し、公職にも就いていた。これとは対照的に、イスラム教徒は農村に多く住んでいた。
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教という三つの信仰は、互いに争ったとはいえ、非常に強い影響と長い年月をかけて互いに影響し合ったため、共通の遺産に対するそれぞれの貢献を切り離すことは非常に困難である。

サン・フアン・デ・ドゥエロ修道院(Monasterio de San Juan de Duero)は、12世紀に建てられた簡素な教会(おそらくはermita)である。

この後も、案内板を引用する時に太字で書きます。

3. 平面図

案内板による平面図です。東が右です。

案内板より

4. 内観(回廊)

門をくぐると、そこには回廊があります。この回廊の独特なアーチによって、もう何十年もの間、ソリアの町を象徴するイメージになっています。

回廊には、かつて屋根がありましたが、すでになく、見事なアーチと柱だけが残っています。

アーチと柱は、四つ角ごとに異なります。

13世紀初頭に北西の角(ロマネスク様式)の建設が始まり、これが建てられたことで、回廊の建設に変化が起こった。

それ以降、三つの異なる非ロマネスク様式のモデルで工事が続けられ、ロマネスク様式の図像や技法とイスラム教の要素が共存しているのが特徴である。

北西の角です。ロマネスク様式で最初に建てられました。二重の柱と、人物や幻想的な生き物などが彫られた柱頭が、半円アーチを支えています。

回廊:北西の角

南西の角では、二重の柱と、植物や編み目模様が彫られた柱頭が、交差アーチを支えています。

回廊:南西の

南東の角では、溝模様のある角柱が、交差アーチを支えています。

回廊:南東の角

北東の角では、十字形の柱と、幻想的な生き物や植物が彫られた柱頭が、尖頭アーチを支えています。

回廊:北東の角

回廊は、礼拝に使われる空間と、居住施設や看護施設などに使われる空間とをつなぐ役割を果たした。

また、側壁にある13世紀と14世紀の墳墓と回廊の床にある墳墓は、この回廊が葬祭場として使われていたことを裏付けている。

5. 内観(聖域)

教会の中に入ります。

13世紀、聖ヨハネ騎士団は、身廊と聖堂を隔てる二つのバルダチン(東方の影響を受けた聖域)を増築した。

身廊にて東を向く

両聖域の柱頭には、聖書やファンタジーをテーマにした人物が見事に彫られている。それぞれの聖域は、東方キリスト教の典礼に対応するかのような祭壇台を支えている。

ドームのアーチを支える石の装飾も良いです。こちらには、怪物が彫られています。

向かって左(北)側の聖域

両聖域の柱頭をみます。

向かって左(北)側の聖域

北西の柱頭には、ヘロデが催した宴会の場面に続いて、「洗礼者ヨハネの殉教」(『マタイによる福音書』14章、『マルコによる福音書』6章)が彫られています。

『マルコによる福音書』6章
17: 実は、ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚しており、そのことで人をやってヨハネを捕らえさせ、牢につないでいた。
18: ヨハネが、「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。
19: そこで、ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。
20: なぜなら、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである。
21: ところが、良い機会が訪れた。ヘロデが、自分の誕生日の祝いに高官や将校、ガリラヤの有力者などを招いて宴会を催すと、
22: ヘロディアの娘が入って来て踊りをおどり、ヘロデとその客を喜ばせた。そこで、王は少女に、「欲しいものがあれば何でも言いなさい。お前にやろう」と言い、
23: 更に、「お前が願うなら、この国の半分でもやろう」と固く誓ったのである。
24: 少女が座を外して、母親に、「何を願いましょうか」と言うと、母親は、「洗礼者ヨハネの首を」と言った。
25: 早速、少女は大急ぎで王のところに行き、「今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます」と願った。
26: 王は非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、少女の願いを退けたくなかった。
27: そこで、王は衛兵を遣わし、ヨハネの首を持って来るようにと命じた。衛兵は出て行き、牢の中でヨハネの首をはね、
28: 盆に載せて持って来て少女に渡し、少女はそれを母親に渡した。

このヘロディアの娘というのが、サロメ。体を大きく反らせてすこぶる大胆に踊っていたり、洗礼者ヨハネの首が乗る盆を持っていたり、、、しょっちゅう劇的に描かれます。でも、ここでは、おとなしめ。

衛兵に髪をつかまれているのが、洗礼者ヨハネです。

北側の聖域の北西の柱頭

南西の柱頭には、四面とも、幻想的な生き物たちが彫られています。

この聖域における四つの柱頭の中で、この柱頭だけが四面に彫刻があります。

西面には、ハルピュイアたち。すまし顔です。

北側の聖域の南西の柱頭

北東の柱頭には、幻想的な生き物たちと兵士が彫られています。

北側の聖域の北東の柱頭

南東の柱頭には、幻想的な生き物、怪物や兵士の戦いが彫られています。

私はケンタウロスの口が好きです。

北側の聖域の南東の柱頭
向かって右(南)側の聖域

向かって右(南)側の聖域では、四つの柱頭すべてに聖書の物語、特に聖母マリアの物語が彫られています。

そして、この聖域における四つの柱頭の中で、北西の柱頭だけが四面に彫刻があります。

その北西の柱頭にはイエスの誕生に関連する場面が彫られています。

北面には「受胎告知」(『ルカによる福音書』1章)と「ご訪問」(『ルカによる福音書』1章)。
西面には「ご生誕」(『マタイによる福音書』1章、『ルカによる福音書』2章)。
南面には「羊飼いへの告知」(『ルカによる福音書』2章)。
東面には「東方三博士の礼拝」(『マタイによる福音書』2章)。

南側の聖域の北西の柱頭:西面と南面
南側の聖域の北西の柱頭:東面

南西の柱頭には、「エジプトへの逃避」(『マタイによる福音書』2章)が彫られています。

南側の聖域の南西の柱頭
南側の聖域の南西の柱頭(別角度)

北東の柱頭には、「幼児虐殺」(『マタイによる福音書』2章)が彫られています。

ヘロデ王(北西の角)は剣を手にして、ひげをなでながら、悪魔の忠告を受けています。彼らの両側では、兵士たちに幼児を奪われる母親たちが嘆き悲しんでいます。

南側の聖域の北東の柱頭

南東の柱頭には「聖母の被昇天」が彫られています。

柱頭の二つの面の中央には、靴を履いた聖母がいます。聖母は両側を2人の天使に支えられています。

天使の北面の下の方には蓋の閉まった石棺と嘆く2人の使徒たちがいます。

西面の下の方には跪く人物がいます。聖トマスでしょう。そして長いのは、聖母マリアの腰帯だと思います。聖書には無いけれど外典などの伝承を集めてこうだったらしい、とまとめた話によれば:

跪く人物の聖母マリアが眠りにつくとき、十二使徒は布教先からエルサレムに戻って別れを惜しみました。でも、ただ一人、インドで布教していたトマスだけは臨終に立ち会うことができず、三日後に帰ってきました。そしてトマスが奇跡の証拠を求めると、マリアが腰帯を落としました。

南側の聖域の南東の柱頭

サン・フアン・デ・ドゥエロ修道院(Monasterio de San Juan de Duero)。ソリアの町を象徴するイメージになっている回廊があります。聖域の柱頭彫刻も素晴らしいです。

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