2024年8月31日(土)の最後、三番目に訪れたのはGormaz、Ermita de San Miguelです。
ここは、ソリアのロマネスク遺産における最大の驚きのひとつです。11世紀の建物には、身廊と後陣に12世紀の壁画が残されています。
2024年7月1日から9月8日は、カスティーリャ・イ・レオン州政府の資金援助による記念碑的建造物開館プログラムのため、火曜から日曜の11:00〜13:30と17:00〜20:00に開いていました。
現地の案内板に通年の訪問日と時程が掲示してありました。
<訪問日>
聖週間から7月15日の週末
7月16日から9月15日の火曜から日曜
9月16日から11月1日の週末
<時程>
夏期は11:00〜14:00と17:00〜20:00
冬期は11:00〜14:00と16:00〜19:00
目次
1. Gormaz へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観 .
5. 内観(身廊) .
6. 内観(後陣) .
1. Gormazs へ
ゴルマス(Gormaz)は、カスティーリャ・イ・レオン州ソリア県にある小さな村で、県都ソリアの約53km南西にあります。
Ermita に向かう道中、丘の上に要塞(Fortaleza califal de Gormaz)が見えます。

Ermita は、村の中心部から西に離れ、要塞(Fortaleza califal de Gormaz)へと続く道沿いにあります。
下の写真で、手前にあるのがErmita de San Miguel、丘の上にあるのが要塞(Fortaleza califal de Gormaz)です。

ちなみに、要塞(Fortaleza califal de Gormaz)の扉口は、馬蹄形です。

2. 概要
教会の外に案内板がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
ソリアのロマネスク遺産における最大の驚きのひとつである。
1060年頃、フェルナンド1世がこの領土に再定住した後に建てられた。ゴルマス(Gormaz)のカリフ要塞(10世紀)が建っていた丘の斜面にある。
中世のゴルマズの小教区教会のひとつであった。その厳かな外観は、内部の壁画の装飾の豊かさとは対照的で、1996年に文化財に指定された。
近くのカシージャス・デ・ベルランガ(Casillas de Berlanga)にあるサン・バウデリオ(San Baudelio)との関係性が指摘されている。
この後は、Románico Digital を引用する時に太字で書きます。
3. 平面図
Románico Digital による平面図です。東が右です。

4. 外観
東に行きます。
後陣は長方形です。軒下には、簡素な帯装飾があります。

後陣の東壁には、小さな窓があります。

身廊の南側には、ポルティコがあります。

ポルティコの中に、ロマネスク様式の主扉口があります。
中世のネクロポリスが占めるポルティコの内側には、壁の中央に、墓地(旧サンティアゴ教会)から持ち込まれたロマネスク様式の粗末な扉口がある。
この扉口がオリジナルでないことは、いくつかの点で明らかである:第一に、その土台が身廊の壁の下層よりかなり高い位置にあること、第二に、その両脇の一部が消失しており、不完全に組み立てられていること、また、いくつかの部材がずれていること、最後に、その土台に使われた石の中に、迫石があることである。
主扉口の柱は、軸が木製の柱に置き換えられていたり、柱頭が失われていたり、逆さにした柱頭が台座として使われていたりします。

アーチは柱の上にあり、そのうちの1本にはローマ時代の碑文(解釈によっては西ゴート時代の碑文)が残っている。

この南壁の西側には、小さなサイズの、非常に発達した馬蹄形アーチを持つ、教会のオリジナルの扉口がある。
その楔石は、ゴルマスの要塞(Fortaleza califal de Gormaz)やアグレダの城壁(Murallas de Ágreda)に見られるような、カリフ制時代の扉口の特徴をよく表している。

見学時に案内してくれた男性によると、この小さい扉口は、カテキューメン(洗礼を受けることを望んでいる人)のためのものだったそう。
受洗後に、ようやく、中央の大きな扉口を使うことができるようになったらしいです。
5. 内観(身廊)
Ermita の中に入ります。

南北の壁に壁画があります。
身廊の北壁と南壁、そして聖域には、最古の建築に使用された漆喰がほぼそのまま残されている。それはシンプルな白い漆喰で、後にその上に新しい漆喰が塗られ、1998年から1999年にかけて行われた修復工事における最も見事な発見となった壁画が描かれた。
これらの壁画は、後陣と身廊の東半分を完全に覆っているが、勝利アーチに施された改修工事によって、内陣の西壁と身廊の東壁に描かれていた場面と、アーチ自体に描かれていた場面はほぼ失われている。
壁画は、身廊では壁の下地から木製の屋根そのものまで、後陣では全面に、漆喰の薄い層の上に描かれた。身廊の西側がしなやかに仕上げられていることから、これらの壁にも壁画を続ける意図があったのかもしれないが、それは実行されなかったようである。
下部の壁画の多くは失われてしまったが、全体は三段で構成されていたと考えられる。
下段は壁の下方5分の2を占め、動物が描かれたカーテンで覆われていたに違いない。
その上の上段と中段には、聖書的、救済的、黙示録的、軍事的な様々な場面が描かれている。
身廊の北壁
身廊北壁の上段は、イエスの誕生にまつわる場面を描いています。

「受胎告知」(『ルカによる福音書』1章)、「ご訪問」(『ルカによる福音書』1章)、「羊飼いへの告知」(『ルカによる福音書』2章)などに続いて、「ご生誕」(『マタイによる福音書』1章、『ルカによる福音書』2章)が描かれています。

身廊北壁の中段は、髭の男性、戦い、3人の女性が描かれています。

髭の男性と戦いの場面にどんな関係があるのか、よく分かりません。

3人の女性は、小瓶を持っていますから、3人のマリアかもしれません。
だとしたら「イエスの復活」(『マタイによる福音書』28章、『マルコによる福音書』16章、『ルカによる福音書』24章、『ヨハネによる福音書』20章)です。

身廊の南壁
身廊南壁の上段は、身廊北壁の上段(イエスの誕生にまつわる場面)の続きを描いています。

「東方三博士」(『マタイによる福音書』2章)

「幼児虐殺」(『マタイによる福音書』2章)

身廊南壁の中段は、善良な魂への慰めと悪しき魂を待ち受ける罰が描かれていると思います。
天上で善い魂を慰める3人の聖人

聖ミカエルによる魂の計量

陰府(よみ)でさいなまれる魂、だと思います。

イエスの受難と復活を描いた場面は、天上で慰められる魂と陰府(よみ)でさいなまれる魂の図につながっているようです。
6. 内観(後陣)
後陣の壁画をみます。

後陣の絵画は、おそらくバロック時代に新しい漆喰を塗る際、それを定着させるために削られたのであろう。しかし幸いなことに、その被害は見た目よりも小さく、また、修復が行われれば、これらの絵画はその美しさを取り戻すに違いない。
Románico Digital には、修復前の壁画の写真があります。

このページに載せている、私が撮影した写真は全て修復後の姿です。
後陣東壁の上段には、神の子羊が描かれ、2人の天使が支えています。その背後にはマデルエロ(Maderuelo)と同様に、おそらくアベルとメルキゼデクと思われる跪いた人物がいます。
窓の上部には聖霊の鳩が描かれています。これもサン・バウデリオ(San Baudelio)やマデルエロ(Maderuelo)と同様です。
中段には『ヨハネの黙示録』の「二十四人の長老」が描かれています。これは後陣の壁全体に沿って描かれていて、東壁に4人、南壁と北壁に8人ずつ、西壁に4人が描かれています。

後陣西壁には、マデルエロ(Maderuelo)と同様に『創世記』の場面が描かれているようです。

「エバの創造」かもしれません。

上を向くと、ヴォールトには、西に頭を向けて座り、マンドルラに囲まれたキリストが描かれています。

マンドルラの両側には、天使たちが描かれています。

北側の天使たちの上には、複数の白い鉢が描かれています。
もしかすると、七つの鉢を持つ七人の天使(『ヨハネの黙示録』16章、17章、21章)かもしれません。

Ermita de San Miguel。ソリアのロマネスク遺産における最大の驚きのひとつです。11世紀の建物には、身廊と後陣に12世紀の壁画が残されています。
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