2024年8月31日(土)、二番目に訪れたのはSan Esteban de Gormaz、Iglesia de San Miguel Arcángelです。
ここは、カスティーリャで最も重要な教会のひとつです。11世紀後半に建てられ、ほぼそのままの形で残っています。ポルティコの持ち送りと柱頭が素晴らしいです。持ち送りのひとつに1081年という年代が刻まれています。
2024年8月、二つのロマネスク教会は火曜から日曜の11:00~14:00と17:00~20:00に、担当者によって60分ごとに開けられました。つまり、11:00にEl Rivero、12:00にSan Miguel、13:00にEl Rivero、17:00にSan Miguel、18:00にEl Rivero、19:00にSan Miguelが開きました。有料(各教会€1.5)でした。
San Esteban de Gormaz では、2か所に行きました。以下のように2回に分けて書きます。
<1> Iglesia de Nuestra Señora del Rivero
<2> Iglesia de San Miguel Arcángel
目次
1. San Esteban de Gormaz へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観(東側) .
5. 外観(ポルティコ) .
6. 外観(南扉口) .
7. 内観 .
1. San Esteban de Gormazs へ
サン・エステバン・デ・ゴルマス(San Esteban de Gormaz)は、カスティーリャ・イ・レオン州ソリア県にある町で、県都ソリアの約65km西にあります。
教会は、町の北部の丘の上にあります。

2. 概要
教会の外に案内板がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
カスティーリャで最も重要な教会のひとつである。
11世紀後半に建てられたこの教会は、何世紀にもわたってほぼそのままの形で残っている。その単身廊、短い内陣、半円形の後陣は、石組みの単純さとともに、ソリアの田舎ロマネスク様式の質素な痕跡を要約している。
主な特徴のひとつは、南側に七つ、東側二つ、西側に一つのアーチを持つポルティコである。このポルティコには、柱に興味深い図像が描かれた柱頭があり、軒下に装飾が施された持ち送りがある。持ち送りのひとつは、このポルティコが1081年のものであることを示しており、カスティーリャにおけるポルティコの先駆けとなっている。
鐘楼は元々独立しており、最初の部分はロマネスク様式である。厚い壁の中には、非常に狭い内部階段が埋め込まれている。鐘楼と身廊は、ルネサンス期に扉口を通して結合された。
後陣の内壁は後期ゴシック様式の壁画で飾られており、市松模様のインポストの下に水平に並んでいる。これらの壁画には、ご訪問、東方三博士の礼拝、エジプトへの逃避などの聖母マリアの場面が描かれている。
2009年には、ロマネスク様式の内壁の下地漆喰が再確認された。そこには、葬儀用(日付入り)、典礼用(奉献十字)、記念用(日付)、芸術用(人物、動物、星など)、会計用(集計マークやローマ数字)など、さまざまなタイプの落書きが刻まれていた。このような落書きが床上4メートルの高さで発見されたことから、内部にトリビューンがあったと結論づけられた。トリビューンの基部を床下に見つけようとしたところ、床下からネクロポリス(15世紀から19世紀)とイスラム式サイロが発見された。
この教会はBien de Interés Cultural (BIC)に指定され、1976年4月よりモニュメントに指定されている。
3. 平面図
案内板による平面図です。東が右です。

案内板による断面図です。東が右です。

①身廊、②後陣、③ポルティコ、④鐘楼、⑤トリビューン
この後は、教会の中にあった案内パネルを引用する時に太字で書きます。
4. 外観(東側)
東に行きます。
後陣の軒下に持ち送りがあり、後陣と鐘楼にひとつずつ装飾された窓があります。かなり摩滅しています。

上の写真で、左に小さく写っている鐘楼つきの建物は前回に訪れた Iglesia de Nuestra Señora del Riveroです。
5. 外観(ポルティコ)
南に行きます。
後陣と同様に、身廊の軒下にも持ち送りがありますが、かなり摩滅しています。
一方、ポルティコの軒下の持ち送りは、いくらか状態の良いものが残っています。

ポルティコの持ち送りには、兵士、修道士、音楽家や動物などが彫られています。三つご紹介します。
持ち送り1:兵士、持ち送り2:蛇、だと思います。
持ち送り3:修道士
特に重要なのは、以下のように刻まれた本を持つ修道士を彫った持ち送りによって年代が特定されており、カスティーリャで最も古いものと考えられていることである。
IVLIA / NUS MA / GISTER / FECIT /
/ ERA / MC / XV / IIII
(私は親方ユリアヌスによって作られた。1119年(西暦1081年))
この建設的な提案は、間もなくソリア県内外の近隣すべての地域に拡大されていくのである。
ここサン・エステバン(San Esteban)から約70km離れたセゴビアのセプルベダ(Sepúlveda)のサン・サルバドール教会(Iglesia de El Salvador)は、この教会との共通点が多く、1093年という年代が記されています。

ポルティコの中に入ります。

ポルティコの柱頭は、古風な特徴を持ち、特定の図像学的プログラムはないが、辺境にふさわしく、吟遊詩人のテーマやイスラム世界の暗示など、多様なレパートリーを示している。城、兵士、音楽家、騎士、動物、イスラム教の衣装をまとった人物などが目立つ。
イスラム世界を暗示するのは、当時の状況を考えると自然なことのようです。
この町が本格的に歴史に登場するのは中世のことである。ドゥエロ(Duero)川の浅瀬を支配する戦略的な立地は、絶えず闘争の的となった。この川は、中世の長い間、キリスト教とイスラム教の境界線として機能していた。
フェルナンド1世は、1060年頃にゴルマズ要塞(fortaleza de Gormaz)とそれに隣接する領土を征服。この教会は、1060年(ゴルマズ要塞の征服)以降、1081年(ポルティコの碑文)までに建設された。

6. 外観(南扉口)
教会の南扉口をみます。

三連のアーチが柱頭や柱に支えられています。
南扉口の柱頭をみます。
左(西)側:2頭のライオン、2人の人物の顔と松ぼっくり、だと思います。

右(東)側:2頭のライオン、くねった線(蛇?)、だと思います。

7. 内観
教会の中に入ります。

南壁の窪みには、彫刻された石が置いてあります。持ち送りのようです。
矢を射る人物や、首に縄を巻いた猿が彫られていると思います。

勝利アーチの柱頭をみます。
勝利アーチ左(北)側には、2頭のライオンと1人の人物が彫られています。

勝利アーチ右(南)側には、2頭のライオンと1人の人物の顔が彫られています。
ライオンたち、かわいい。

Iglesia de San Miguel Arcángel。カスティーリャで最も重要な教会のひとつです。11世紀後半に建てられ、ほぼそのままの形で残っています。ポルティコの持ち送りと柱頭が素晴らしいです。持ち送りのひとつに1081年という年代が刻まれています。
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