2024年8月16日(金)、最初に訪れたのはBivongi、Monastero Ortodosso di San Giovanni Theristisです。
ここは、後陣とドームが美しいです。
2024年、修道院教会は以下の日程で開いていました。
月曜から土曜は9:00〜18:00
日曜は8:30〜18:00
修道院教会の中は撮影禁止でした。
目次
1. Bivongi へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観 .
5. 内観 .
1. Bivongi へ
ビヴォンジ(Bivongi)は、カラブリア州レッジョ・カラブリア県にある村で、県都レッジョ・カラブリアの約84km北東にあります。長靴のようなイタリア半島の爪先です。
修道院教会は、ビヴォンジ(Bivongi)の町から遠く離れて、約3.8kmの道のりを登った峰の上にあります。

夫と私は、修道院の前に車を停めました。
2. 概要
教会の外に案内板がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
11世紀後半に Gerasimos Atulinos によって創設されたこの修道院は、Squillace司教区で最も繁栄したギリシャ修道院となり、1096年に修道院の設立証書に初めて言及された。
1100年に遡る修道院の堂々としたノルマン=ビザンチン様式の教会(29.10 x 11.20メートル)はルッジェーロ2世の命により12世紀に建設された。教会はギリシャ十字プランで、長方形の内陣があり、交差部の上にドームがある。教会の奥には、おそらく玄関間として使われていたと思われる小さな四角い部屋がある。フレスコ画の跡が残っており、かつては教会全体が完全に絵画で覆われていたことがわかる。
1662年、修道士たちは、修道院を放棄し、聖ニコラウス、アンブロシウス、ヨハネ・テリスティスの聖遺物が移されたスティロ(Stilo)の新しい修道院に移った。
1994年には、イタリアで再開された最初の正教会修道院となった。現在はルーマニア正教会イタリア教区に属する修道院共同体の本拠地となっている。
この後は、修道院のウェブサイトを引用する時に太字で書きます。
3. 平面図
(Zodiaque) la nuit des temps『Calabre Basilicate romanes』による平面図です。東が上です。

4. 外観
この場所は、ノルマンの支配が強まるまで、ビザンチンに支配されていました。
カラブリアは11世紀初頭までビザンチン帝国の支配下にあったため、ギリシャ文化や言語が保たれ、ラテン式ではなくビザンチン式の典礼に従ってキリスト教が発展した。その数世紀の間、南イタリアは東方から来たギリシャ正教の修道士たちの主な目的地のひとつとなり、特に7世紀以降は、イコノクラスムの闘争により、その傾向が強まった。多くの修道院が建てられ、多くのギリシャ系イタリアの聖人が誕生した。
9世紀には、スティラロ(Stilaro)渓谷に聖ヨハネ・テリスティス(San Giovanni Theristis)が住み、活動していた。彼の死後、地元住民の間で彼の名声は高まり、彼を聖人と称え、彼の場所と聖なる泉は巡礼地となった。

ドームは、三つの形が重ねられています。
四角形、八角形、円形が重ねられた、凝ったつくりです。

三後陣です。

主後陣の盲アーチが美しい。
軒下には、ノコギリ状の帯装飾もあります。

ノルマン建築とビザンチン建築が、ほどよく調和しているように感じます。

南翼廊も、盲アーチと付け柱が美しいです。

5. 内観
教会の中に入ります。
内観は、ドームが美しかったです。
修道院教会の中は撮影禁止でした。
(Zodiaque) la nuit des temps『Calabre Basilicate romanes』による写真です。

Monastero Ortodosso di San Giovanni Theristis。後陣とドームが美しいです。
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