トッリ(Torri)

2019年GWの旅行六日目、二番目の目的地はTorri。ポンテ・アッロ・スピーノ(Ponte allo Spino)から南に約8km、車で約11分の道のりです。

ここでの目的はトッリ修道院(Abbazia di Torri)。でもここ、なぜだか閉まってて、見学できなかったんです。 (╥﹏╥)

車を停めて、修道院へ向かいました。

ここをくぐると

広場になってて、つきあたりで右を向くと、修道院があります。

上の写真の、左の壁に案内が掲示してありました。

トッリ(Torri)の町は11世紀~12世紀の間にベネディクト会修道院の周りに人々が移住してきたときに生まれました。現在の町から約2km離れた森の中には壁の跡だけが残っています。

初期の住民の生活については、主に木、鉄、石、そして農業に従事していたことくらいしかわかりません。しかし、14世紀以降については所持品表や土地登記簿があります。

14世紀と現在との違いは、修道院と住民の居住区に境界が無かったこと、中央の広場が小さかったこと、入り口の場所が違っていたことなどです。全体的に今よりもコンパクトでした。

オリーブのプレス機やサン・グレゴリオ教区教会がありました。
入り口近く、修道院の建物には巡礼者用のホスピス。残念なことに「修道院には教会と鐘楼がある」と簡素な記述にとどまります。ある家の所有者の課税収入は43リラでした。

所持品表のおかげで、当時の人口が約350人であったこと、小規模農家だけでなく多くの職人がいて、裕福な職人はブルジョワ市民並みの課税収入1000リラを稼いでいたことがわかります。

しかし、その後は町に危機が訪れます。1332年に軍隊によって占拠、略奪され、1348年には黒死病に襲われました。サン・グレゴリオ教区教会が無くなり、修道院教会が信者に開かれ、入り口とファサードが変更されて現在の姿になりました。

1530年のフェレンテ・ゴンザーガの軍隊による略奪のあと、修道院と住民の居住区に境界がつくられ、中央の広場が広げられ、入り口の場所が変更されて現在の姿になり、独特の舗装による町並みが生まれました。

とのことで、修道院の歴史がロマネスクの時代に遡ることは分かりましたが、13世紀までの修道院に関しては、あまり書いてありませんでした。

ご紹介した壁の案内掲示がある場所を通り抜けると、修道院があります。

上の写真で、右手にあるのが修道院教会のファサードで、正面にあるのが修道院への扉口のはず。

修道院の扉口に来て、呼び鈴をならしますが、無反応でした。

「訪問時間は月曜と金曜の9時〜12時」と書いてあります。このとき4月29日(月)朝11時でした。祝日だったのかなあ。

私と入れ替わりに、ドイツ語を話すグループがやってきて呼び鈴を鳴らしていましたが、やはり扉は開かず、あきらめていました。

あ~あ。残念。

仕方ないから、広場に戻って猫を眺める。

トッリ修道院(Abbazia di Torri)、色大理石の回廊が素晴らしいそうなので、ご縁があれば、また、来ます。

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