ブリンディジ(Brindisi)<5>

2024年8月12日(月)の最後、三番目に訪れたのはBrindisi、Cattedrale di San Giovanni Battistaです。

ここは、オトラントに似た床モザイクの断片があります。

2024年、大聖堂は毎日8:30~12:30と16:30~20:30に開いていました。

Brindisi では、5か所に行きました。以下のように5回に分けて書きます。
<1> Museo Archeologico Francesco Ribezzo
<2> Chiesa di San Giovanni al Sepolcro
<3> Chiesa Santa Lucia vergine e martire
<4> Chiesa e Chiostro di San Benedetto
<5> Cattedrale di San Giovanni Battista

目次

1. Brindisi へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 内観 .

1. Brindisi へ

ブリンディジ(Brindisi)は、プーリア州ブリンディジ県の県都で、州都バーリ(Bari)の約106km南東にあります。

西側外観

大聖堂は、波止場の近くにあります。

2. 概要

大聖堂のウェブサイトによる概要です。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

黄金時代
ご訪問と洗礼者ヨハネに捧げられた大聖堂は、1089年に教皇ウルバヌス2世(在位:1088年~1099年)によってその周囲が聖別され、1143年に完成した。

この事業は、東方への拡大政策の一環としてノルマン人が望んだ都市の再建を強調するものであった。事実、ブリンディジは古代からすでに持っていた、東方への航路の交差点としての役割を急速に取り戻し、ローマからエルサレムへ向かう人々にとっての必須の通過点となった。
その役割を強調するように、1191年、タンクレディの息子ルッジェーロ3世は、この大聖堂でシチリア王として戴冠した。これは、パレルモ以外の地で戴冠した最初のノルマン人であった。翌年、彼はコンスタンティノープルの皇帝イサキオス2世アンゲロスの娘イレーネと結婚した。1225年には、再び東方からやってきた14歳のイザベラ・ド・ブリエンヌ(エルサレム女王)がブリンディジで結婚式を挙げた。彼女の夫は西ヨーロッパの支配者、皇帝フリードリヒ2世であった。
港の波止場に近い大聖堂では、十字軍の戦士たちが聖地に向けて出帆する前に祈りを捧げるために集まった。ブリンディジは第1回十字軍の参加者たちの集結地であった。ローマからエルサレムへの巡礼路に何世紀にもわたって存在してきた大聖堂の痕跡は、その宝物庫を豊かにする遺物に残されている。聖ゲオルギウスの腕、カナの婚礼で使われた水差し、アマセアの聖テオドロスの遺物などである。これらはブリンディジの地に威信を与え、この町に途切れることなく巡礼者が訪れるようになった。テオドロスは、東地中海地域で非常に崇敬されていた。ビザンチン軍の守護神であり、4世紀から13世紀に遺体がブリンディジに移されるまで、数多くの都市に崇拝されていた。彼は、現在のトルコにあるエウカイタに、自身の崇拝の中心地を持っていた。

再建
1743年2月20日の地震後に再建された大聖堂は、その後も何度も修復された。

この後も、大聖堂のウェブサイトを引用する時に太字で書きます。

3. 平面図

大聖堂のウェブサイトによる平面図です。東が上です。

大聖堂のウェブサイトより

4. 内観

大聖堂の中に入ります。

身廊にて東を向く

左(北)側廊と主祭壇のまわりにモザイクが残っています。

大聖堂のモザイク床は、1160年から1178年の間にプーリアで制作された床モザイクのグループに属する。1178年の日付が刻まれており、タラント、オトラントトラーニの大聖堂の床に続いて、このシリーズを締めくくるものである。

フランス人大司教ギヨーム(1173-81)の命で制作されたモザイク床は、大司教ラファエレ・フェリニョ(1857-75)の命で破壊されるまで、何世紀にもわたってひどく痛んでいた。今日、その断片の一部が左側廊と主祭壇の周りに残っている。このモザイクは、おそらくオトラントとタラントの床を知っていた芸術家の手によるものと思われる。しかし、彼はスタイルと新しいイメージの取り入れの両面で独創的な構成を生み出し、アスカニウスの姿や「ローランの歌」の場面を強調した。

左側廊の奥にある断片には、百合の装飾が施された地球に根を張った木の幹が、2人の男によって右側に押されている様子が描かれている。

北側廊

この柔らかな表情やぐにゃりと伸びる腕など、確かにオトラントの床モザイクに似ています。

北側廊

幻想的な生き物たちもいます。

北側廊

こちらは鳥の下半身だと思います。

北側廊

Cattedrale di San Giovanni Battista。オトラントに似た床モザイクの断片があります。

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