2025年5月10日(土)の最後、四番目に訪れたのはSaint-Gildas-de-Rhuys、Abbaye Saint-Gildasです。
ここは、周歩廊があり、中央の祭室に興味深い彫刻があります。また、西扉口の近くに、失われたポーチ塔にあった柱頭が置かれています。
私は役場(mairie)に予約し、教会の鍵を借りました。
目次
1. Saint-Gildas-de-Rhuys .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観 .
5. 内観(失われたポーチ塔にあった柱頭) .
6. 内観(クワイヤ) .
7. 内観(周歩廊) .
1. Saint-Gildas-de-Rhuys
サン=ジルダ=ド=リュイス(Saint-Gildas-de-Rhuys)は、ブルターニュ地域圏モルビアン県にある村で、県都ヴァンヌの約18km南西にあります。
教会は、村の中心、キブロン湾 (Baie de Quiberon)の岸から450メートルほどの場所にあります。

2. 概要
教会の中に案内シートがありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
サン=ジルダ=ド=リュイス修道院教会(église abbatiale de Saint-Gildas-de-Rhuys)
この修道院教会は、11世紀にブルターニュ公の要請で聖フェリックスがこの地に建立したベネディクト会修道院の遺構である。この修道院は、伝承によれば6世紀半ばに聖ジルダが創設した最初の修道院の後継にあたる。
他の偉大なロマネスク建築と同様、この修道院教会はラテン十字形をしている。11世紀の20年代に着工され、12世紀初頭まで建設が続けられた。
当初、交差部には鐘を収めたランタン塔が聳えていた。身廊の前には二階建てのポーチ塔があり、その痕跡は20世紀初頭まで確認できた。
16世紀に身廊の一部が崩壊し、翌世紀にはランタン塔も崩れ落ちた。17世紀末に再建された現在の身廊は、非常に質素な古典様式の建築であり、その遠近法は視線をロマネスク様式の内陣へと導く。
フランス革命後、荒廃状態にあったこの修道院教会が存続できたのは、第一に1804年に教区教会となったこと、第二に1840年から歴史的建造物として指定されたことによる。
この建造物保護措置が契機となり、19世紀末に大規模な修復事業が実施された。
外観
後陣を覆う屋根は特異である。漏斗状の屋根(極めて珍しい構造)は、その重厚さに驚かされるかもしれない。
祭室の壁の上部には、様々なモチーフの彫刻が施された持ち送りが飾られている。
中央の祭室に埋め込まれた彫刻の中では、騎士同士の戦いが際立っている。これは12世紀初頭、パリでフランス人騎士と対峙したジョフロワ2世公を描いたものとされている。
背後には墓地の入口が見える。これは革命期に消滅した旧教区教会の唯一の遺構である。
内部
後陣、周歩廊、内陣、交差部はロマネスク様式(11~12世紀)だが、身廊は17世紀末に再建されたため対照的である。
入口
彫刻が施された聖水盤が二つある。これらは古いロマネスク様式の柱頭で、おそらくは身廊の前に存在した古いポーチ塔に由来するものである。当初、身廊はもう少し広く、その高さ、幅、装飾は内陣や周歩廊と同様の特徴を持っていたに違いない。
北翼廊
二つの墓室(埋葬用の窪み)があり、その一つには、この教会の建設に貢献した聖フェリックスの墓がある。村の守護聖人であり聖フェリックスの弟子である聖グスタンの聖遺物箱、像、墓もある。
交差部
優美なペンデンティブ・ドームが残されている。
周歩廊
19世紀末に壁沿いに建立された墓石は、もともと内陣と交差部に埋葬された重要人物の墓を覆っていた。
祭壇の後方には、聖ジルダの墓がある。目立った碑文のない質素な石棺で、その上に近代的な彫像が置かれている。
クワイヤ
七つの高窓は、漏斗状の屋根に覆われているため、現在は光が入らない。その下には、四つの美しい柱頭(柱の装飾部分)が、ロマネスク様式のアーチで連結されている。内陣と周歩廊の柱頭は多様な影響を受けている:コリント式、ケルト様式、そしてロワール地方の様式である。
修道院教会の歴史における主な年表
494年頃:スコットランドまたはウェールズ系の血筋を持つジルダの誕生。英国の修道院で学び、優れた説教者かつ神学者となる。
536年:ヴァンヌ伯が、ウア島(île d’Houat)で隠遁生活を送っていたジルダに、リュイ(Rhuys)に修道院を設立するよう要請する。
570年頃:ウア島(île d’Houat)の隠遁所でジルダが死去。
919年:ヴァイキングの襲来によりリュイ(Rhuys)の修道士たちが逃亡。
1008年:ジョフロワ公の指示により、修道士フェリックスがリュイ(Rhuys)に派遣され、修道院の復興を図る。
1032年:9月30日、ヴァンヌ司教でありジョフロワ公の弟であるジュディカエルにより、新設された修道院教会の祭壇が奉献される。
1125年:ピエール・アベラールがリュイ修道院長に選出される。着任当初から修道士や地元権力者と対立し、7年後に職を放棄した。
1650年:サン=モール会が修道院の管理を引き継ぐ。
1666年:落雷によりトランゼプトの鐘楼が破壊される。
1699年:身廊の再建が始まり、1705年に完成。西端の塔が建設される。
1773年:教皇クレメンス14世が修道院の修道院称号を剥奪。
1796年:教会、修道院、付属建物全てが国有財産として売却される。
1804年:サン・ジルダ自治体が教会を買い戻すことに成功。
1834年:プロスペル・メリメが修道院教会を訪問。1840年に歴史的建造物として指定される。
1883〜1891年:教会の修復計画が実施される。
この後も、案内シートを引用する時に太字で書きます。
3. 平面図
案内シートによる平面図です。東が上です。


黒色:11世紀初め
網目:11世紀末
右上から左下への斜線:12世紀
左上から右下への斜線:14世紀
横線:17世紀
点々:1700年〜1705年
白色:19世紀
4. 外観
東に行きます。
三つの放射状祭室があり、持ち送りや石板に彫刻があります。

持ち送りは、その多くがロマネスク時代のもので、人物や動物の顔が彫られていると思います。

窓の上に埋めこまれた三つの石に彫刻があります。
こちらは四足獣だと思います。

こちらは男性の全身像だと思います。

中央の祭室に埋め込まれた彫刻の中では、騎士同士の戦いが際立っている。これは12世紀初頭、パリでフランス人騎士と対峙したジョフロワ2世公を描いたものとされている。

5. 内観(失われたポーチ塔にあった柱頭)
教会の中に入ります。

西扉口の近くに、柱頭が置かれています。失われたポーチ塔にあった柱頭だと考えられています。
それらの柱頭のうち二つは、聖水盤として再利用されています。

こちらは意匠が凝っています。

こちらも、かつてポーチ塔にあった柱頭だと思います。

6. 内観(クワイヤ)
クワイヤに行きます。
七つの高窓は、漏斗状の屋根に覆われているため、現在は光が入らない。その下には、四つの美しい柱頭が、ロマネスク様式のアーチで連結されている。

7. 内観(周歩廊)
クワイヤと周歩廊の柱頭は多様な影響を受けている:コリント式、ケルト様式、そしてロワール地方の様式である。

古風な印象です。

Abbaye Saint-Gildas。周歩廊があり、中央の祭室に興味深い彫刻があります。また、西扉口の近くに、失われたポーチ塔にあった柱頭が置かれています。
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