ベルネー(Bernay)

2025年4月27日(日)の最後、三番目に訪れたのはBernay、Abbatiale de Bernayです。

ここは、ノルマンディー地方では珍しく、彫刻装飾が豊かです。

2025年、教会は4月15日から9月28日の火曜から日曜14:00〜18:00に開いていました。

目次

1. Bernay .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観(身廊の彫刻) .
5. 内観(南翼廊の彫刻) .
6. 内観(南小後陣の彫刻) .

1. Bernay

ベルネー(Bernay)は、ノルマンディー地域圏ウール県にある町で、県都エヴルーの約39km西にあります。

ところで、車でノルマンディー地域圏を移動するときは、フリーフローの有料道路(2025年現在はΑ13とΑ14)にご注意ください。料金所がなく、オンラインで支払います。

さて、修道院教会はシャラントンヌ(Charentonne)川の西岸、町の中心にあります。

東側外観

私が行ったとき、ガイドツアーらしいグループが見学を始めるところでした。

西側外観

2. 概要

教会の中にリーフレットがありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

修道院から市庁舎へ、1000年の歴史
ベルネーの旧修道院は、見事な建造物群である。ロマネスク様式の修道院教会、修道院宿舎(現在の美術館)、修道院の建物(市庁舎と裁判所)が保存されている。

11世紀の公爵領の修道院
ジュディット・ド・ブルターニュ(982年〜1017年)は、1008年以降、シャルントンヌ川近くの、あまり開発されていない場所にベネディクト会の修道院を設立した。この敬虔な行為を通じて、ノルマンディー公リシャール2世(963-1026)の妻である彼女は、公国の発展に貢献した。修道僧たちは何世紀にもわたって土地と町を開発し、修道院を中心に町は徐々に発展していった。

3世紀にわたる試練
修道院は、何世紀にもわたって多くの出来事によって変貌を遂げた。百年戦争では、北側廊、クワイヤと後陣が損傷し、ゴシック様式で再建された。宗教戦争では、ユグノー軍によって略奪され、修道院が居住不可能となった(1563年)。その後、1589年には、農民による税に対する反乱の際に略奪を受けた。

17世紀の新たな息吹
古典主義時代は、時間的、精神的な再生の時代であった。1618年、そして1620年に回廊が再建され、続いて修道宿舎が拡張された。同時に、精神的な改革も進められた。1628年、ベルネー修道院はサン・モール会に加盟し、1686年から教会を修復し、回廊の周囲に修道院の建物(宿坊、食堂など)を再建した。

革命後の世俗化
革命時、ベルネー修道院の修道僧は5人しかいなかった(中世には35人いた)。1791年に国有化された財産が売却されると、自治体はそこに市庁舎を設置し、裁判所と刑務所(1950年に閉鎖)を併設した。修道院の住居部分は個人に買収された後、町が購入して博物館として使用した。教会は1813年に穀物市場として市に譲渡された。その後数度の改修を経て、1862年に歴史的建造物に指定された。

20世紀、公共および文化施設への転用
1913年に庭園が一般公開され、1965年には旧回廊に多目的ホールが設置された。その後、1990年代初めに考古学的発掘調査と修道院教会の修復が完了し、旧修道院は公共、文化、行政という新たな使命にふさわしい姿を取り戻した。

この後も、リーフレットを引用する時に太字で書きます。

3. 平面図

リーフレットによる平面図です。東が左です。

リーフレットより

A 修道院教会(Abbatiale)
B 回廊(Cloître)
C チャプター・ハウス(Salle capitulaire)
D 修道院宿舎(Logis abbatial)
E 食堂(Salle du réfectoire)
F 修道院建物(Bâtiments conventuels)
1 ジャン・ド・ラ・シャペル墓碑(Dalle funéraire de Jean de la Chapelle)
2 ルイ・デ・ゾーレ記念碑(Cénotaphe de Louis des Haules)
3 ガロ・ローマ時代の石(Pierre gallo-romaine)
3 聖別十字架(Croix de consécration)
4 螺旋階段の跡(Vestige de l’escalier à vis)
5 通路(Coursière)
6 木製の後陣の壁(Mur d’abside en bois)

4. 内観(身廊の彫刻)

教会の中に入ります。

11世紀の修道院で現存する唯一の遺構である修道院教会は、外観からはロマネスク建築の特徴を明らかにしない。ギヨーム・ド・ヴォルピアーノ(Guillaume de Volpiano、962年〜1031年)が設計した空間構成と装飾を鑑賞するには、身廊に入る必要がある。この修道院長であり建築家でもある改革者は、ディジョン(Dijon)のサン=ベニニュ(Saint-Bénigne)修道院、フェカン(Fécamp)のサント=トリニテ(Sainte-Trinité)修道院、モン=サン=ミシェル(Mont-Saint-Michel)修道院の建設にも関与した。

身廊にて東を向く

ノートルダム・ド・ベルネー(Notre-Dame de Bernay)は、その彫刻装飾の豊かさや多様性において、ノルマンディー地方でも非常に珍しいものである。

これらの彫刻は、特徴が異なるため、複数の工房が請け負ったようです。

交差部にて南西を向く

ロマネスク様式の彫刻装飾は、柱頭に集中している。身廊では、その多くが17世紀に改修された。

身廊の柱頭のうち、オリジナルの名残がうかがえるものを三つご紹介します。

身廊の柱頭3

角のスクロール(渦巻き模様)など、様式化された植物の扱いが特徴的です。

身廊の柱頭2

こちらでは、角のスクロール(渦巻き模様)部分が、人物の頭をかじる2体の怪物になっています。

身廊の柱頭3

5. 内観(南翼廊の彫刻)

翼廊では、残念ながら不完全な彫刻のフリーズが、修復された小後陣の柱頭の高さで、東側の壁に沿って走っている。これは、おそらく修道院教会が経験した火災や改修の過程で失われた、より豪華な装飾があったことを示唆している。

交差部にて南東を向く

翼廊の彫刻は、その浮き彫りパネルが興味深いです。

南翼廊の浮き彫りパネル1

怪物に頭をのみこまれた人。

南翼廊の浮き彫りパネル2

隣の浮き彫りパネルは、二面に彫られています。

南翼廊の浮き彫りパネル3

2体の蛇のような生き物と、1人の人物。

南翼廊の浮き彫りパネル3(別角度)

6. 内観(南小後陣の彫刻)

南小後陣とその聖域は、柱頭が興味深いです。

南小後陣の北側の柱頭

葉の模様が細かく彫られています。

南小後陣の南側の柱頭

碑文のある柱頭が二つあります。

ひとつは不明瞭で、「BRITVS .. IRT .. VS」と読めます。

南小後陣(「BRITVS .. IRT .. VS」と刻まれた柱頭)

もうひとつは、「ME FECIT IZEMBARDUS(イゼンバルドゥスが私を作った)」と読めます。

南小後陣(「ME FECIT IZEMBARDUS」と刻まれた柱頭)

Abbatiale de Bernay。ノルマンディー地方では珍しく、彫刻装飾が豊かです。

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