2024年9月15日(日)、二番目に訪れたのはEl Campillo、サン・ペドロ・デ・ラ・ナベ教会(Iglesia de San Pedro de la Nave)です。
ここは、西ゴート様式の装飾が素晴らしいです。(ロマネスクではありません。)
2024年、教会は4月1日から9月30日の火曜から日曜、10:30〜13:30と17:00〜20:00に開いていました。
目次
1. El Campillo .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 内観(交差部西側) .
5. 内観(交差部東側) .
6. 内観(内陣) .
1. El Campillo
エル・カンピージョ(El Campillo)は、カスティーリャ・イ・レオン州サモラ県にある村で、県都サモラの約20km北西にあります。
教会は、村の南西端にあります。

教会の西に、展示室があります。赤い矢印で示しました。

2. 概要
教会の西にある展示室に案内がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
歴史
教会は、7世紀から8世紀にかけてエシア(Esia)川のほとりに建てられた。当初は聖ペトロと聖パウロに捧げられたが、伝承によれば、船乗りであった聖ユリアヌスと聖バシリサが教会の創立聖人である。サン・ペドロ・デ・ラ・ナベ(San Pedro de la Nave)はかつてベネディクト会修道院であり、その名前の由来となったナベ(船)がエシア川を渡るために出航したからである。
この航路は、カスティーリャとガリシアを結ぶ旧王道の一部であり、サモラの人々にとって巡礼路のひとつであった。
長い間、この教会の起源は10世紀と考えられていた。しかし、歴史家マヌエル・ゴメス・モレノ(Manuel Gómez Moreno)は、この建物の起源を300年前にさかのぼらせ、初めてその西ゴート様式の影響について言及した。「教会全体は、後期ローマ時代および初期キリスト教時代の芸術の古典的な面影を色濃く残している」。
移転
この教会の運命は、その近年の歴史において二つの重要な出来事に彩られている。1番目は1912年の国定史跡指定、2番目は1920年の移転提案である。
1920年、エスラ川にダムが建設された場合、川沿いにある教会が貯水池に水没する危険があるという記録が、公報に掲載されている。
1930年10月24日から1932年2月26日にかけて、貯水池の建設にともなって教会が水没するのを防ぐため、教会は石をひとつひとつ移築された。この決定により、現在、教会は元の場所から3km離れた、サモラ県のエル・カンピージョ(El Campillo)にある。このプロジェクトは、当時、美術総局長であった歴史家マヌエル・ゴメス・モレノ(Manuel Gómez Moreno)によって推進され、公共教育・美術省の建築家アレハンドロ・フェラン・バスケス(Alejandro Ferrant Vázquez)によって指揮された。
この後も、教会の隣の展示室にあった案内を引用する時に太字で書きます。
3. 平面図
教会の隣の展示室にあった案内による平面図です。東が右です。

平面図
この教会は、わずかな偏差はあるものの、通常の典礼的な方位を備えている。7世紀に西ゴート様式で建てられ、当初の配置はギリシャ十字式であった。
しかし、後に南北に側廊が追加され、バシリカ式と十字式の中間的な最終形態となった。
また、内陣の南北には二つの部屋がある。
これら全体が約16.80m×11.20mの長方形を形成し、そこから三つの祭室が突出している。東にある後陣と、翼廊の南北にある二つの祭室である。
4. 内観(交差部西側)
教会の中に入ります。

彫刻装飾は寺院内部に存在し、トランゼプトから主祭室にかけて分布している。フリーズと柱頭の装飾は特筆すべきもので、少なくとも二つの異なる様式が見られる。
第1の親方はフリーズを手がけたとされ、幾何学模様や、房を持ち波打つ茎が特徴である。第2の親方は「身廊の親方」として知られ、葉や房、顔、四足獣、鳥など、豊かに彫刻された装飾モチーフを担当した。交差部にある二つの柱頭彫刻(「アブラハムによる息子イサクの犠牲」と「獅子の穴の中のダニエル」)は聖書の場面を描いており、おそらく第2の親方の作品である。
まず、「獅子の穴の中のダニエル」(『ダニエル書』6章)の柱頭をみます。
「獅子の穴の中のダニエル」を描いた柱頭では、聖書の人物が場面の中心に据えられ、預言者の足元で大人しく水を飲む一対の獅子が周囲を囲む。その上には「ダニエルが獅子の穴に投げ込まれた場所(UBI DANIEL MISSUS EST IN LAQUM LEONUM)」との碑文がある。彫刻家が「laqum(穴)」という語を「lago(湖)」と混同したため、ダニエルの足元に水があると考えられている。しかし、この場面に誤りはないとする見解もあり、むしろ「lacus(湖)」という語が洗礼を意味する点に意図的な言葉遊びを見いだす者もいる。

つぎに、「アブラハムによる息子イサクの犠牲」(『創世記』22章)の柱頭をみます。
「アブラハムによる息子イサクの犠牲」を描いた柱頭彫刻では、アブラハムが祭壇の上で息子を屠ろうと刃物を掲げ、もう一方の手で息子の髪を掴んでいる様子が表現されている。茂みから現れる雄羊と、雲間から現れる神の手がこの場面を完成させる。手の大きさは重要性を示しており、場面におけるその存在感の大きさを暗示している。

5. 内観(交差部東側)
交差部の柱は、柱頭も秀逸なのですが、柱の軸と基盤もたいへん美しいです。
6. 内観(内陣)
内陣が神々しくて、私は息をのみました。

わお。

柱頭は、幾何学模様や植物モチーフです。

奥に足を踏み入れると、第1の親方が手がけた美しいフリーズにうっとり。

サン・ペドロ・デ・ラ・ナベ教会(Iglesia de San Pedro de la Nave)。西ゴート様式の装飾が素晴らしいです。
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