2024年9月15日(日)、最初に訪れたのはSanta Marta de Tera、Iglesia de Santa Martaです。
ここは、レオン地方のロマネスク建築の重要な記念碑です。内部の柱頭と南扉口が素晴らしいです。
2024年、教会は以下の日程で開いていました。有料(€2)でした。
3月13日から9月30日:火曜17:00〜20:00、水曜から日曜9:15〜13:30と17:00〜20:00
10月1日から11月30日:9:30〜14:00と16:00〜18:30
目次
1. Santa Marta de Tera .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 内観 .
5. 外観(後陣) .
6. 外観(南扉口) .
1. Santa Marta de Tera
サンタ・マルタ・デ・テラ(Santa Marta de Tera)は、カスティーリャ・イ・レオン州サモラ県にある村で、県都サモラの約57km北西にあります。
教会は、村の中心部、テラ(Tera)川の北岸にあります。

教会の西壁に接する建物(上の写真の右側の建物)の中に受付があります。
2. 概要
料金を支払ったときリーフレットをもらいました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
ロマネスク様式の教会
中世のサンタ・マルタ・デ・テラ修道院の遺構として現存するのは、ロマネスク様式の教会、つまりこの村の教区教会だけである。この教会の重要性は、いくつかの理由から顕著である。サモラ、トロ、ベナベンテといった一部の都市部を除き、この地方ではロマネスク様式の建造物が非常に少ないからである。
その独創性と構造の誠実さから、レオン地方のロマネスク建築の重要な記念碑であり、本格的なロマネスク建築の規範となっている。
サンタ・マルタは、この地方におけるロマネスク建築の草分け的存在であり、他の教会、特にサント・トメ・デ・サモラ(Santo Tomé de Zamora)の守護聖人でもある。
この教会は、ヨーロッパ最古の巡礼者姿の聖ヤコブの像を所蔵している。
その年代については確固たるデータはないが、間接的な基準から、サンタ・マルタの建築は11世紀の最後の25年間から12世紀の最初の数十年と推定でき、身廊(非常に異なる後世の建築物)は13世紀に入って完成したと結論づけられる。
REGUERAS CONDE, Fernando: “Santa Marta de Tera. Monasterio e iglesia. Abadía y Palacio”. Ed. Centro de Estudios Benaventanos “Ledo del Pozo”. 2005. Pgs. 47ss.
春分と秋分の光
この教区教会では、春分と秋分の日の午前8時、後陣の円形の窓から差し込む光線が、勝利アーチの左側の柱を飾る柱頭を照らす。
春分・秋分の光の現象は、中世の宗教建築の建設者たちにはよく知られていた。光と建築物の関係に関する知識は、他の古代文化、主にエジプト文化から受け継いだものだ。太陽崇拝はエジプトから、ギリシャ、ローマ、さらには初期キリスト教などの他の文化にも伝わった。しかし、キリスト教は太陽崇拝を吸収し、その象徴をキリストの人格へと変容させようとした。こうして、初期のキリスト教徒にとって、キリストは「不敗の太陽」、すなわち「世界の光」となった。「Ego sum Lux Mundi」
「Ego sum Lux Mundi」は、ヨハネによる福音書8章12節の言葉「わたしは世の光である。」です。
柱頭
春分の光が照らす柱頭は、この教会で最も興味深いもののひとつである。
白い石灰岩に、細身で裸の全身像が、性別のない形で彫られている。天使たちによってマンドルラで天に導かれるその魂は、この教会の守護聖人であり、その遺骨がこの場所にあったアストルガの処女殉教者であろう。
Panizo Delgado, ÁNGEL; en “Estafeta Jacobea”, ed. Asociación de Amigos del Camino de Santiago de Navarra; n° 81, págs.. 60 y ss.
この後は、Románico Digital を引用する時に太字で書きます。
3. 平面図
Románico Digital による平面図です。東が右です。

4. 内観
受付で料金を支払い、見学開始です。
受付のある建物からアクセスし、西扉口から教会に入ります。


数多くの柱頭には、少なくとも1人の卓越した親方の手が認められます。代表作は、勝利アーチの柱頭です。
勝利アーチ北側の柱頭は、魂の昇天を描いています。同様の図像がサン・イシドロ・デ・レオン教会(San Isidoro de León)の身廊にあります。
図像が似ているだけでなく、衣服のひだや髪の巻き毛などの特徴が、赦しの扉(Puerta del Perdón)のティンパヌムを手がけたエステバン親方(maestro Esteban)の彫りに似ています。

勝利アーチ南側の柱頭は、植物を描いています。

旧約聖書の場面を思わせる柱頭が二つあります。
ひとつは、「アブラハムによる息子イサクの犠牲」(『創世記』22章)を簡略化したような場面です。
天使が厚い毛皮の雄羊に手を添え、男性がその雄羊の角をつかみ、大きな刃物を刺しています。この男性は、その雄羊を息子イサクの代わりに焼き尽くす献げ物としてささげる、アブラハムかもしれません。

もうひとつの柱頭は、ダビデ王を表しているようです。中央の男性は、左手に書物を持ち、王冠を戴く隣の男性(サウル王?)から指をさされています。両者の両脇には、2人の音楽家がいます。

5. 外観(後陣)
外に出て、東に行きます。

持ち送りや柱頭に彫刻があります。

よく見ると、後陣の付け柱に使われている石のひとつには、古い様式で、植物が彫られています。
古い建物の遺構かもしれません。
現在の建物は、11世紀の最後の25年間から12世紀の最初の数十年のあいだに建てられました。この場所には、10世紀前半から、修道院生活の共同体があったと考えられています。
この地における修道院生活の起源については、アウグスト・キンタナ(Augusto Quintana)によれば、10世紀前半に始まったと推測される。

6. 外観(南扉口)
南に行き、南扉口をみます。

柱頭には、幻想的な生き物たちが彫られています。

上部には、二つの聖人像があります。
左(西)側は、聖ヤコブ。
教会の中にあった掲示によると、巡礼者の姿をした聖ヤコブ像としては最古のもので、11世紀の作品とされています。

右(東)側は、たぶん、聖ペトロ。
通常、聖ペトロは大きな鍵を持っていてわかりやすいのですが、こちらの像には鍵が見当たりません。おまけに、ニンブスに刻まれた文字も、よく読めません。
でも巻毛だし、聖ペトロかなと思います。

Iglesia de Santa Marta。レオン地方のロマネスク建築の重要な記念碑です。内部の柱頭と南扉口が素晴らしいです。
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