2024年9月13日(金)、四番目に訪れたのはLeón、サン・イシドロ教会(Basílica de San Isidoro)です。
ここは、スペインを代表するロマネスク建築のひとつです。南ファサードの二つの扉口、教会内外の柱頭に残された彫刻が素晴らしいです。
2024年、教会は月曜から土曜9:00〜21:00、日曜9:00〜15:00に開いていました。
León では、2か所に行きました。以下のように2回に分けて書きます。
<1> Basílica de San Isidoro
<2> Museo de San Isidoro
目次
1. León .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観(南小後陣) .
5. 外観(Puerta del Perdón) .
6. 外観(Puerta del Cordero) .
7. 内観 .
1. León
レオン(León)は、カスティーリャ・イ・レオン州レオン県の県都で、首都マドリードの約285km北西にあります。
教会は、旧市街の中にあり、教会の西側にはローマ時代に遡る城壁が残っています。

2. 概要
サン・イシドロ博物館(Museo de San Isidoro)のWebサイトによる概要です。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
レオン王国は、910年にガルシア1世が即位してから、1230年にアルフォンソ9世が亡くなるまで、この地を本拠地としていた。こうした背景から、サン・イシドロ王立教会(Real Colegiata de San Isidoro)は、ヨーロッパでも最も重要なロマネスク様式の建築群のひとつとなっている。
その起源は956年頃、肥満王サンチョ1世がこの地に修道院を建設し、妹である修道女エルビラ・ラミレスがパラト・デル・レイ(Palat del Rey)から修道女たちとともに移ってきたことに遡る。彼女とともにインファンタド・デ・レオン(Infantado de León)が設立された。これは、王女たちが修道院や領地に対する所有権を行使し、司法権さえも行使する法的機関であった。
初期の建物は、洗礼者聖ヨハネと、アブド=アッラフマーン3世によってコルドバで殉教した少年である聖ペラギウスに捧げられていた。その後、1063年12月21日、ここに宮殿を構えたフェルナンド王とサンチャ王妃は、セビリアから聖イシドルス(西:San Isidoro)の遺骨をこの地に移すことを決め、それ以来、この教会は聖イシドルスに捧げられるようになった。その遺骨は、現在は大聖堂の主祭壇で崇拝されている。
1148年、サンチャ・ライムンデス王女の要請により、聖アウグスティヌス修道会が設立された。1188年、アルフォンソ9世の治世下、修道院で評議会が招集され、ヨーロッパの議会制度が誕生した。
王室が宮殿を離れた後も、修道院は今日まで活動を続けている。
この後は、Románico Digital を引用する時に太字で書きます。
3. 平面図
Románico Digital による平面図です。東が下です。

フェルナンド1世(1037-1065)とサンチャ王妃が建築したロマネスク様式の建築物の中で現存しているのは、教会の北壁と西壁、建設当初から王家の霊廟(Panteón de los Reyes)として使われてきたナルテックス、王室席と付属の柱廊、そして塔の最初の2層だけである。
1063年に奉献されたフェルナンドとサンチャの古い教会に対して、その後に建築された教会を新しい教会と呼ぶ。
新しい教会は86年後の1149年に奉献された。奉献の石碑にそう記されている。11世紀の終わりに、インファンタ・ドニャ・ウラカ・フェルナンデス(1101年没)が、父親の教会が手狭になったため、この教会の建設を命じた。彼女の墓碑銘には「amplavi ecclesiam istam(この教会を拡張した)」と記されている。また、古い年代記や他の文書でも確認されている。
4. 外観(南小後陣)
東に行きます。
16世紀に主後陣は取り壊され、現在の主祭室に取って代わられた。
南小後陣にロマネスク様式が残っています。

5. 外観(Puerta del Perdón)
南ファサードの二つの扉口をみます。

まず、赦しの扉口(Puerta del Perdón)をみます。
「赦しの扉口(Puerta del Perdón)」は、南翼廊にあり、巡礼者を迎えることからその名が付けられた。

ティンパヌムには、三つの場面が彫られています。
中央には「十字架降架」(『マタイによる福音書』27章、『マルコによる福音書』15章、『ルカによる福音書』23章、『ヨハネによる福音書』19章)。

右(東)には、「イエスの復活」(『マタイによる福音書』28章、『マルコによる福音書』16章、『ルカによる福音書』24章、『ヨハネによる福音書』20章)。

左(西)には、「キリストの昇天」(『ルカによる福音書』24章、『使徒言行録』1章)が彫られています。
復活したキリストが2人の天使に抱かれて天に昇る場面が描かれている。アーキヴォルトに刻まれた文字が、この出来事を伝えている:ASCENDO AD PATREM MEVM ET PATREM VESTRVM。
「私は私の父、そしてあなたの父のもとへ昇る」というような意味かなと思います。
これは、衣服の愛らしいひだや髪の巻き毛で、紛れもないエステバン親方(maestro Esteban)の作品である。

ティンパヌムを支える二つの持ち送りには、犬の頭とライオンの頭が彫られていると思います。
犬、かわいい。
左(西)には聖パウロ、右(東)には聖ペトロが彫られています。聖パウロの足元に「PAVLVS」と刻まれています。聖ペトロに刻字はみあたりませんが、左手に持つ鍵で彼だとわかります。
6. 外観(Puerta del Cordero)
次に、子羊の扉口(Puerta del Cordero)をみます。これは教会の主扉口です。
子羊の扉口(Puerta del Cordero)は、そのティンパヌムに神秘の子羊の戴冠が描かれている。

上部中央の神の子羊を2人の天使が支え、その両側に2人の天使が十字架を手にしています。
下部には、「アブラハムによる息子イサクの犠牲」(『創世記』22章)が彫られています。
右(東)端、アブラハムの家である天幕の入り口には、アブラハムの妻サラがいます。アブラハムは、ろばに鞍を置き、二人の若者と息子イサクを連れて家を出、神が命じられた場所に着くと、刃物を取り、息子イサクを屠ろうとします。そのとき、天から主の御使いが言います。「その子に手を下すな。何もしてはならない。」後ろの木の茂みに一匹の雄羊がいます。(アブラハムはその雄羊を息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげます。)
左(西)端の射手は、エジプト人の女奴隷ハガルが産んだアブラハムの子イシュマエルかもしれません。(『創世記』21章20節:神がその子と共におられたので、その子は成長し、荒れ野に住んで弓を射る者となった。)

左(西)には、牛の頭の上に、司教杖を持つ聖イシドルスが座っています。壁に「ISIDORVS」と刻まれています。
聖イシドルス像の隣に、剣と盾を持つ兵士がいます。もし聖人の斬首を暗示しているのなら、殉教者聖ペラギウスの隣がふさわしいので、配置を間違っているようです。

右(東)には、牛の頭の上に、殉教者聖ペラギウスが座っています。聖ペラギウスはガリシア出身の少年で、アブド=アッラフマーン3世に屈せず、キリスト教に忠実であったためにコルドバで斬首されました。

2人の聖人たちの上には、楽器を手にする音楽家たちが彫られています。ダビデを表しているのかもしれません。
音楽家たちの上には、黄道十二宮が彫られています。
ティンパヌムを支える持ち送りには、羊の頭が彫られています。
アーキヴォルトを支える柱頭には、幻想的な生き物たちや様式化された植物が彫られています。


7. 内観
教会の中に入ります。

交差部と南北翼廊との間には、特徴的な、多葉形のアーチがあります。

身廊の樽型ヴォールトを支える柱頭や、身廊と側廊との間のアーチを支える柱頭などに、多様な彫刻があります。
200以上もの大小さまざまな柱頭が、教会の内部と外部に配されているコレクションは、非常に興味深い。これらの柱頭の作者として知られる3人の石工は、その名を知らぬ「子羊のティンパヌム」の親方、パンプローナとサンティアゴのプラテリアス(Platerías de Santiago)で活動したエステバン親方(maestro Esteban)、そして1120年頃にミーニャ橋(Puente Miña)の修復を行い、この教会の建設を最後まで指揮したデウスタンベン(Deustamben)である。
3人はそれぞれ異なる好みを見せている。最初の親方は、戯れや逸話、幻想的で遊び心のある生き物や動物、向かい合う鳥たち、そして繊細な葉や絡み合う模様を好んだ。エステバン親方(maestro Esteban)は宗教的な題材から着想を得て、ライオンや蛇の象徴性を追求し、枝葉の間に小さな頭部を隠すことを楽しんだ。デウスタンベンは、シンプルさと様式化を追求し、大きな葉を多用した。
柱頭を六つご紹介します。
柱頭1
向かい合う鳥たちだと思います。

柱頭2
弩弓使いだと思います。
サン・ペドロ・デ・ラス・ドゥエニャス(San Pedro de las Dueñas)からマドリードの国立考古学博物館(Museo Arqueológico Nacional)に移されたアーチの柱頭を思い出します。

柱頭3
戦う男性たちだと思います。

柱頭4
ライオンに乗る者たちだと思います。

柱頭5
魂を運ぶ2人の天使だと思います。
魂の昇天の図像は、サンタ・マルタ・デ・テラ(Santa Marta de Tera)の柱頭を思い出します。

柱頭6
中央に右手で祝福し左手に書物を持つキリスト、両側に天使がいます。天使は「BENEDICAT NOS DOMINVS / DE SEDE MAIESTATIS(主が私たちを祝福してくださいますように / 主の御座より)」と示していると思います。

サン・イシドロ教会(Basílica de San Isidoro)。スペインを代表するロマネスク建築のひとつです。南ファサードの二つの扉口、教会内外の柱頭に残された彫刻が素晴らしいです。
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