2024年9月13日(金)、二番目に訪れたのはSan Pedro de las Dueñas、Monasterio de San Pedro de las Dueñasです。
ここは、教会内の柱頭彫刻が素晴らしいです。
2024年の夏期、教会は火曜から土曜の11:00〜14:00に開くようでした。私は事前に修道院にメールを送り、9月13日(金)11:00に開いていることを確認してから訪問しました。
目次
1. San Pedro de las Dueñas へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観 .
5. 内観 .
6. マドリードのMANに移されたアーチ .
1. San Pedro de las Dueñas へ
サン・ペドロ・デ・ラス・ドゥエニャス(San Pedro de las Dueñas)は、カスティーリャ・イ・レオン州レオン県にある村で、県都レオンの約52km南東にあります。
教会は、村の中心部にあり、ベネディクト会修道女子修道院の一部を成しています。

2. 概要
教会の外に案内板がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
サン・ペドロ・デ・ラス・ドゥエニャス修道院(Monasterio de San Pedro de las Dueñas)の正確な起源をたどるのは複雑な作業である。17~18世紀の歴史学では、970年代に設立されたとするいわゆる初期説(Romualdo Escalona)、1048年の文書によるとする中間説(Miguel Solsona)、11世紀末のサアグン(Sahagún)におけるクリュニー会改革の頃とする後期説(Antonio de Yepes)の三つの仮説の間で揺れ動いた。このような異なる選択肢の論争は、現在に至るまで続いている。
石や煉瓦といった異なる材料が使われていることから容易に推測できるように、今日私たちが目にする教会は、様々な建設段階の結果である。石組みは、ロマネスク様式を明確に区別しており、それは後陣から始まったに違いない。サン・ティルソ・デ・サアグン(San Tirso de Sahagún)のように、石づくりで始まり、煉瓦で仕上げられた。しかし、後述するように、これは未完成のプロジェクトの完成というよりも、改修の結果と考えるべきであろう。
まとめると、建築と彫刻の両方の様式的特徴に加え、文献的証拠に基づくと、この修道院は、おそらく11世紀末、ディエゴ・デ・サアグン(Diego de Sahagún)大修道院長の在任中に設立されたと言える。最初の建物はロマネスク様式で始まり、1120年頃にバシリカ式で建てられたと思われる。12世紀後半には、典礼空間を広げるためというよりも、高さを増して塔の要素を取り入れるために、この建物の改修工事が行われた。また、特に主後陣と身廊において、ある種の美的改良も行われた。北側の壁を除いて、教会建物全体は石で仕上げられている。北側廊を切り離すために、このような非正統的な方法で空間の調和を犠牲にすることは、非論理的に思える。むしろ、修道女たちは、信徒を収容するという課題が生じて初めて、仕切り壁で隔て北側廊を手放したようだ。つまり、当初は想定していなかった必要性に応えるために、合理的に経済性を適用した結果だったのであろう。同じように経済的だったのは煉瓦の使用で、安価なこの建築資材は、採石場がないこの地域一帯に普及した。
この後も、案内板を引用する時に太字で書きます。
3. 平面図
Románico Digital による平面図です。東が右です。

4. 外観
東に行きます。
後陣は、下部が石づくり、上部が煉瓦づくりです。

5. 内観
北扉口から教会の中に入ります。
北側廊です。
北側廊は信者のための空間です。改修時に身廊との間に煉瓦の仕切りを設置することで、経済的な方法で教区教会としての空間を確保しました。
煉瓦の仕切りには木製の扉があり、ここから身廊に行くことができます。

身廊に行きます。

柱頭が素晴らしいです。
八つご紹介します。
柱頭1
教会内にある16の柱頭のうち、一番多く彫られているのは、球を抱く葉のような形です。

柱頭2
球を抱く葉のような形を持つ柱頭のひとつには、女性の顔が三つ彫られています。
私は、中央の顔のふっくらとした丸顔が好きです。
柱頭3
教会内にある16の柱頭のうち、球を抱く葉のような形の次に多く彫られているのは、ライオンです。
こちらは、4頭のライオン。

柱頭4
4頭のライオン。
人物の顔も彫られています。

柱頭5
4頭のライオンと4人の人物たち。
4人の人物たちがライオンにまたがる姿が、なんだかかわいい。

柱頭6
2体の幻想的な生き物と2頭のライオン。
彩色の跡が残っています。

柱頭7
4頭のライオンと1人の男性。
男性は自分の髭をつかんでいます。

柱頭8
7人の修道女。翼を広げた鷲も彫られています。

6. マドリードのMANに移されたアーチ
国立考古学博物館(Museo Arqueológico Nacional)には、修道院の回廊にあった小さな扉口(おそらく教会の出入り口にあったもの)があり、1945年に国が譲り受けた。その様式は、教会の柱頭の最高傑作とのつながりが明らかである。
MANは、これらの彫刻について、このように掲示していました:
ロマネスク様式のアーチ
石灰岩
12世紀前半
サン・ペドロ・デ・ラス・ドゥエニャス (レオン)
サン・ペドロ・デ・ラス・ドゥエニャス修道院(abadía de San Pedro de las Dueñas)は、元々近くのサアグン修道院(monasterio de Sahagún)に依存していた。このアーチは、教会堂の一部をなしていた。その柱頭は、サン・イシドロ・デ・レオン(San Isidoro de León)の身廊を担当した工房のもので、ライオンと戦う男、猛禽類を突く男、ライオン、武器を構える弩弓使い、馬に乗った狩人などが描かれている。

ライオンと戦う男性は、右手に短刀を持っています。

武器を構える弩弓使いは、サン・イシドロ・デ・レオン(San Isidoro de León)を思い出します。

Monasterio de San Pedro de las Dueñas。教会内の柱頭彫刻が素晴らしいです。
・
・
・




