2024年9月7日(土)、二番目に訪れたのはRebolledo de la Torre、Iglesia de San Julián y Santa Basilisaです。
ここは、ポルティコが素晴らしいです。そして、南扉口がかわいいです。
2024年夏、教会は火曜から日曜の11:00〜14:00と17:00〜20:00に開いていました。有料(€1)でした。
目次
1. Rebolledo de la Torre へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 内観(洗礼盤) .
5. 外観(南扉口) .
6. 外観(ポルティコの西窓) .
7. 外観(ポルティコの持ち送り) .
8. 外観(ポルティコの入口) .
9. 外観(ポルティコの柱頭) .
1. Rebolledo de la Torre へ
レボジェド・デ・ラ・トレ(Rebolledo de la Torre)は、カスティーリャ・イ・レオン州ブルゴス県にある村で、県都ブルゴスの約56km北西にあります。
ここはブルゴス県の北西端ですから、パレンシア県との県界までは約3km、カンタブリア州との州境までは約20kmの近さです。
教会は、標高約1000メートルにある村の中で、さらに小高い丘の上にあります。

2. 概要
Románico Digital による概要です。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
レボジェド(Rebolledo)の教区教会は、不規則な石灰岩と砂岩で建てられており、基本的に16世紀の建築物である。ただし、元の身廊の南壁の一部は再建時に保存され、また、見事なロマネスク様式のポルティコも残された。このポルティコこそが教会に名声をもたらし、1931年に国定記念物に指定される契機となったのである。
この後も、Románico Digital を引用する時に太字で書きます。
3. 平面図
Románico Digital による平面図です。東が右です。

4. 内観(洗礼盤)
教会の中に入ります。

洗礼盤は、北側廊の西端にあります。

ライオンが彫られています。

洗礼盤の口部には1195年を示す銘文が刻まれている。その内容は「SUB ERA MCCXXXIII DOMINICVS ABAS EMI(T?)…」である。同じ表面には、非常に判読困難だが中世の文字で書かれた別の銘文「ERA … MCCC FVIT …C…」も存在する。この銘文が何を指すかは不明だが、1262年を示す日付を与えている。

5. 外観(南扉口)
教会から外に出て、ポルティコの中にある南扉口をみます。この教会の主扉口です。

実は、私がこの教会で一番見たかったのが、この南扉口です。

かわいい。

6. 外観(ポルティコの西窓)
この教会が高く評価されているのは、壮麗なポルティコがあるからです。
このポルティコは、この教会の中で間違いなく最も興味深い要素であり、こうした構造物の大半が集中するドゥエロ(Duero)川流域から離れているにもかかわらず、カスティーリャ・ロマネスク建築の最も成功した、かつ最も保存状態の良い例のひとつと見なすことができる。
これらに共通する特徴は、南向きであることだ。カラビアス(Carabias)のラ・トランシフィグラシオン(La Transfiguración)教会(グアダラハラ)、セプルベダ(Sepúlveda)のエル・サルバドル(El Salvador)教会およびドゥラトン(Duratón)のサン・フルトス(San Frutos)教会(セゴビア)などが該当する。これらの建造物の機能性に関しては、初期ロマネスク時代の起源から葬祭目的で使用されていたことが指摘されている。この用途は次第に、農村評議会の場としての市民的機能へと移行したが、アトリウムとしての典礼的役割は損なわれなかった。
そうした中、このポルティコは、いくつかの特徴的な点を持つ。第一に、そのかなりの大きさで、長さは約17メートル、幅は4.5メートル強である。同様に、アーケード上の壁の高さも相当で、この種の構造物としては通常より大きい。彫刻の質がこの建造物の魅力を高めているのは確かだが、その施工の質の高さ、優美さ、そしてリズミカルな建築デザイン自体が傑出しており、他に類を見ない模範を確立している。

ポルティコの西に、窓があります。
特に興味深いのは、ギャラリー西端にある、装飾が豊かな窓である。
その構造は意図的に不均一で、外側からは細長い縦枠窓が半円アーチに囲まれているように見える。

この窓は、その彫刻の素晴らしさはもちろんのこと、その碑文のために非常に注目されます。

この有名な碑文は、1911年にルシアーノ・ウイドブロ(Luciano Huidobro)、1925年にルイス・トレス・バルバス(Luis Torres Balbás)、1948年にグディオルとガヤ(Gudiol y Gaya)、1959年にペレス・カルモナ(Pérez Carmona)によって研究された。
それらの転写は、読み順や芸術家の名前に関して本質的に異なっており、我々の見解では、ペレス・カルモナの解釈が最も妥当である。読み取りの問題は、テキストが、アーチやすぐ隣の石積みなど、一見無秩序な要素によって分断されていることに起因している。
テキストを整理した結果、以下のようになる。DOMINICVS AB[B]/AS POBLABI/T ISTVM SOLA/R DE B/ALEGO C/VM FRAT/ER MEVS PELAGIVS DE FV/NDAMENTIS SVB / ERA MCCXXIIII. / QVANDO / POBLADO / FVIT ISTV/M SOLAR D/E BALEG B[E]N/FETRIA DE / Q. GONGALV/O P[E]LAEG. +SVB ERA : M : CC : XX : IIII : NOTVM : DIEM : VIIII : CALENDAS / DECEMBR[I] : FECIT ISTVM : PORTALEM : IOANES MAGISTER PIASCA.
つまり、「修道院長ドミンゴは、1224年(西暦1186年)に、私の兄弟ペラヨとともに、このバレホの土地を基礎から開拓した。このバレホの土地が開拓されたとき、それはゴンサロ・ペラエスの所有地であった。1224年(西暦1186年)、12月の9日目(12月22日)に、親方フアン・デ・ピアスカ(Juan de Piasca)がこのポルティコを建てた」という意味である。
親方フアン・デ・ピアスカ(Juan de Piasca)については、7. 外観(ポルティコの持ち送り) に詳述します。
さて、同じ窓をポルティコの内側から見ると、外側とは違う構造になっています。
開口部に双子の多葉アーチがあり、アーチの上には「アダムとエバ」(『創世記』3章)が彫られています。

7. 外観(ポルティコの持ち送り)
ポルティコの西窓に「1224年(西暦1186年)、12月の9日目(12月22日)に、親方フアン・デ・ピアスカ(Juan de Piasca)がこのポルティコを建てた」と刻字があります。
フアン・デ・ピアスカは、ピスエルガ(Pisuerga)川流域における後期ロマネスク建築の最も成功した様式のひとつを体現している。彼の地理的出身地と芸術的ルーツは一致しており、彼が修業を積んだ場所はサンタ・マリア・デ・ピアスカ(Santa María de Piasca)教会と思われるのだ。
確かに、この教会の彫刻には、Piasca の工房の特徴があります。私が Piasca や Santillana del Mar のMuseo Diocesano Regina Coeli で見学した彫刻の図像が、この教会にもあるからです。

例えば、持ち送りです。
図像がそっくり。
特に、反らせた体や振り乱した髪の様子が特徴的です。ブルゴーニュからやってきた職人たちの影響を受けているように感じます。
8. 外観(ポルティコの入口)
フアン・デ・ピアスカ(Juan de Piasca)親方の工房の彫刻は、ポルティコのほぼ全体を覆っています。
ポルティコの入口をみます。
ポルティコの入口は、教会の南扉口とほぼ一直線に並んでいます。
滑らかな尖頭アーチで、アーキヴォルトには植物装飾や半円形のモールティングが施されています。
柱頭には、幻想的な生き物やライオンなどが彫られています。

9. 外観(ポルティコの柱頭)
13の柱頭がポルティコのアーチを支えています。入口の西に九つ、東に四つあります。

西から順に、ポルティコの柱頭をみます。

柱頭1と柱頭2
柱頭1は植物文様です。
柱頭2も植物文様ですが、鳥などの生き物も彫られています。
柱頭3
柱頭3は、貪欲の罪と罰を描いていると思います。
西面には貪欲の罪。守銭奴は首から財布をぶら下げて、両腕をあげています。悪魔は膝を曲げ、炎のような髪をしています。守銭奴の右側には、人物像があります。人物像の後ろには巻き毛の男性が、棍棒を携えています。
東面には貪欲の罰。守銭奴がベッドに横たわり、死を迎えています。その枕元では、彼の妻が悲しんでいます。守銭奴の口から出た魂は、その腕を悪魔につかまれています。
柱頭4
柱頭4は、向かい合うグリフォンが彫られていると思います。

柱頭5
柱頭5は、大天使聖ミカエルの魂の計量が描かれていると思います。

柱頭6と柱頭7
柱頭6と柱頭7は、植物文様です。
柱頭8と柱頭9
柱頭8は、怪物のような顔と植物が彫られています。柱頭の下には、溝に細かな装飾が刻まれた柱があります。
柱頭9は、植物文様です。
柱頭10
柱頭10は、2人の騎士の戦いが彫られています。

柱頭11
柱頭11は、幻想的な生き物と兵士が彫られていると思います。
西面では、ドラゴンが兵士の盾を噛んでいます。

東面では、グリフォンが向かい合っています。

柱頭12
柱頭12は、幻想的な生き物や動物が彫られていると思います。
西面では、ライオンがグリフォンを襲っています。

東面では、ハルピュイアが向かい合っています。

柱頭13
柱頭13には、「獅子を裂くサムソン」(『士師記』14章)が彫られています。
獅子の顔の先には、幻想的な生き物がいます。

獅子の尾は、右に立つ男性につかまれているようです。

Iglesia de San Julián y Santa Basilisa。ポルティコは、カスティーリャ・ロマネスク建築の最も成功した、かつ最も保存状態の良い例のひとつです。そして、南扉口がかわいいです。
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