2024年9月2日(月)の最後、三番目に訪れたのはUcero、Ermita de San Bartoloméです。
ここは、息をのむような自然に囲まれた、壮麗な建築です。身廊と後陣の軒下や窓の装飾が良いです。
Ermita は閉まっていました。私は Ermita の中に入りませんでした。通常、8月24日(聖バルトロマイの祝日)と週末に開くようです。
目次
1. Ucero へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 内観 .
5. 外観(南側) .
6. 外観(東側) .
1. Ucero へ
ウセロ(Ucero)は、カスティーリャ・イ・レオン州ソリア県にある村で、県都ソリアの約48km西にあります。
Ermita は、村の集落から北に5kmほどウセロ(Ucero)川をさかのぼった、自然保護区域内にあります。
途中まで車で行くことができます。Ermita の手前1kmほどの場所に駐車場(Parking Ermita de San Bartolomé)がありますから、そこに車を停め、ほぼ平坦な道を15分ほど歩きます。
Ermita は、石灰岩の尾根が切り立った険しい風景の中にあります。
金色の聖堂が美しい。

2. 概要
Románico Digital による概要です。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
その壮麗な建築、装飾的資料の一部、息をのむような自然に囲まれた立地、そして歴史的資料の強引で興味本位な解釈によって、この地は「テンプル騎士団」、「秘教主義者」、そして中世の宗教性の真髄、キリスト教のへそ、不可解なことを説明しようとする錬金術をここに見出そうとする大勢の好奇心旺盛な人々の巡礼の中心地となった。
しかし、サン・バルトロメ(San Bartolomé)にはそのようなものはなく、キリスト教世界に似たような聖堂が乱立した時代に建てられた、時には壮麗で、ほとんどいつもずっと貧しく、時には不可思議な地形学を探したような、ただの建物にすぎない。
サン・バルトロメ(San Bartolomé)について書かれた膨大なページは、サン・フアン・デ・オテロ(San Juan de Otero)のテンプル騎士団と同一視することから始まっている。しかし、それは単なる偶然の一致に過ぎず、聖堂そのものの献納とも関係がないことは明らかである。
テンプル騎士団ゆかりの聖堂については、いくつかの議論が紹介されていますが、いずれにせよ、別の丘にあった建物のようです。
サン・バルトロメ(San Bartolomé)の建築年代については、このように書かれています。
というのも、後陣のヴォールトが示すように、扉口を除く教会全体が同時期に、おそらく13世紀にはすでに建てられていたからである。扉口に関しては、構造的にも装飾的にも、おそらく13世紀中頃に建てられた完全なゴシック様式であると言えるが、特に屋根に関しては、伝統的な特徴も残っている。
この後も、Románico Digital を引用する時に太字で書きます。
3. 平面図
Románico Digital による平面図です。東が右です。

4. 内観
私は Ermita の中に入っていません。Románico Digital による画像です。
簡素な柱頭彫刻があるようです。
5. 外観(南側)
南に行きます。
美しい聖堂。

ごつごつとした岩の斜面にあります。

身廊南壁の軒下の持ち送りが良いです。四つご紹介します。
身廊の持ち送り1:2人の闘う男性、身廊の持ち送り2:笛を演奏する音楽家、だと思います。
音楽家は下半身を露出していたかもしれません。
身廊の持ち送り3:舌を出す顔、身廊の持ち送り4:男性の顔、だと思います。
6. 外観(東側)
東に行きます。

後陣には窓が三つありますが、そのうち北窓は、後につくられた聖具室のために隠れています。
後陣南窓のアーチを支える持ち出しには、男女の顔が彫られています。
後陣中央窓のアーチを支える持ち出しには、怪物たちの顔が彫られています。
後陣の軒下にある持ち送りも良いです。四つご紹介します。
後陣の持ち送り1:1組の男女、身廊の持ち送り2:怪物の顔、だと思います。
後陣の持ち送り3:右手を喉にあてる男性、身廊の持ち送り2:男性の顔、だと思います。
喉に右手をあてる男性は、左手を股間にあてています。もしかして「アダムとエバ」のアダムかしらと思ったのですが、蛇もエバもみあたりませんでした。
身廊と後陣とでは、彫刻の特徴が違うので、異なる親方が手がけたもののようです。
Ermita de San Bartolomé。息をのむような自然に囲まれた、壮麗な建築です。身廊と後陣の軒下や窓の装飾が良いです。
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