2024年8月30日(金)、三番目に訪れたのはSepúlveda、Iglesia de El Salvadorです。
ここは、セゴビア・ロマネスクを代表する教会のひとつです。ポルティコ、後陣、身廊や塔に多様な装飾があります。
2024年7月1日から9月8日は、カスティーリャ・イ・レオン州政府の資金援助による記念碑的建造物開館プログラムのため、火曜から日曜の11:00〜13:30と17:00〜20:00に開くとされていました。
Sepúlveda では、3か所に行きました。以下のように3回に分けて書きます。
<1> Iglesia de los Santos Justo y Pastor (Museo de los Fueros)
<2> Santuario de Nuestra Señora de la Peña
<3> Iglesia de El Salvador
目次
1. Sepúlveda へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 内観 .
5. 外観(北側) .
6. 外観(東側) .
7. 外観(南側) .
1. Sepúlveda へ
セプルベダ(Sepúlveda)は、カスティーリャ・イ・レオン州セゴビア県にある村で、県都セゴビアの約50km北東にあります。
教会は、村の西の丘の高台に位置します。
下の写真の中で、右上の塔がエル・サルバドル教会(Iglesia de El Salvador)で、左下の塔はサントス・フスト・イ・パストール教会(Iglesia de los Santos Justo y Pastor)です。

2. 概要
Románico Digital による概要です。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
サン・エステバン(San Esteban)とセプルベダ(Sepúlveda)の二つの町は、その戦略的性格において双子であり、10世紀以降、ドゥエロ(Duero)以遠のキリスト教王国の将来の拡大の先鋒となった。カスティーリャの伯爵、レオンとアラゴンの王たちは、その再繁殖と拡大を担当し、セゴビアの場合はその複雑な地形のために顕著であったが、最近の衰退においても同じ運命を共有した。つまり、11世紀から12世紀にかけて教会が建設されたとき、両町は、現在の県境を越えて、同じ地理的、政治的、芸術的空間を共有していたのである。
現在、サン・エステバン(San Esteban)はソリア県、セプルベダ(Sepúlveda)はセゴビア県に属します。
そして、この教会の身廊と後陣、サン・ミゲル・デ・サン・エステバン・デ・ゴルマス(San Miguel de San Esteban de Gormaz)の教会とポルティコを建てたのは、同じ職人によるチームではないにせよ、同じ陣容によるチームであった。
この教会の建設過程は、碑文に記された年代(1093年)によれば、11世紀から12世紀への移行期に近い時期に、後陣と全体的な配置から始まり、身廊まで大きな中断なく続いたようである。
12世紀、その最初の数十年の間に、塔が教会本体の北側に建てられ、ポルティコの建設とともに完成した。その柱頭は、おそらくブルゴス発祥の工房の作品であり、同世紀の中頃には、セプルベダ(Sepúlveda)内にあるサントス・フスト・イ・パストール教会(Iglesia de los Santos Justo y Pastor)の身廊を手掛けている。
この後も、Románico Digital を引用する時に太字で書きます。
3. 平面図
Románico Digital による平面図です。東が右です。

Románico Digital による断面図です。東が左です。

内陣の下には地下聖堂があるが、かなり厚い石灰岩の板で覆われているため、私たちはそこに入ることができなかった。身廊から続く階段と、後陣の基部に小さな採光窓を確認したのみである。
同じセプルベダ(Sepúlveda)内にあるサントス・フスト・イ・パストール(Santos Justo y Pastor)、サンタ・マリア(Nuestra Señora)、そして廃墟となったサン・フリアン・デ・ラ・オス(San Julián de la Hoz)に、ロマネスク様式の地下聖堂が集中していることは注目に値する。
4. 内観
教会の中に入ります。

柱頭彫刻は、主に植物が彫られています。

南壁にある扉口近くの柱頭は、なんだか謎めいています。

5. 外観(北側)
外に出て、北に行きます。

身廊の北東側には塔がある。この塔は身廊と同時に建てられたのではなく、続く陣営によって建てられたに違いない。
サン・ミゲル・デ・サン・エステバン・デ・ゴルマス(San Miguel de San Esteban de Gormaz)の塔と共通する特徴として、塔は教会本体に直接取り付けられているのではなく、半円アーチの通路によって教会本体に接合されている。

身廊北壁の軒下に持ち送りがあります。
幾何学的な模様、動物の顔、人物の顔などが並んでいます。
人物たちは無表情。

動物たちは楽しそう。

6. 外観(東側)
東に行きます。

後陣に碑文があります。
数多くの碑文が残されているが、その中でも、半円形の土台にある二つの碑文(非常に摩耗している)は、特に、地方のロマネスク様式の建物に直接関連する最古の年代を示すもので、その関連性の高さから注目される。
ひとつは、カロリング文字で書かれた、ほとんど判読できない墓碑銘です。

もうひとつには、年代が刻まれています。
アルファとオメガを伴うクリスモンの下には、こう書かれている。「ERA / MCXXXI(キリスト1093年)」
この日付が何を意味するのかについては、歴史学で様々な意見が表明されているので割愛するが、この教会の芸術的特徴に沿った年代的な節目であり、サン・フルトス・デル・ドゥラトン小修道院(priorato de San Frutos del Duratón)の奉献の日付に非常に近いと考えられる。

内陣と後陣の軒下に素晴らしい持ち送りや柱頭があります。
内陣南の持ち送り
四分円の面だけでなく、側面や正面にも豊かな彫刻。

後陣南の持ち送りと柱頭
つるりとした軽妙な顔たち。

後陣中央の持ち送りと柱頭
幾何学模様の持ち送りは、ちからづよく、しっかり彫ってあるのに、、、
つるりとした軽妙な顔たち。

後陣北の持ち送りと柱頭
こちらの柱頭は、四足獣、人物、植物、動物の顔が並んでいます。

内陣北の持ち送りと柱頭
巻き毛の人物の持ち送り、斬新。

7. 外観(南側)
南に行きます。

身廊南窓の装飾が気になります。
植物やライオンたちが豊かに彫られています。
こんな目立たない場所なのに、きっちり装飾してあるので、驚きます。

ポルティコをみます。

身廊の南側と西側には、ポルティコが取り付けられているが、これは教会の建設や改築よりも後のものであるにもかかわらず、年代的には12世紀中頃を超えることはないであろう。

ポルティコの出入り口は東側にひとつだけで、南側にはアーチがあるだけです。

柱頭彫刻が良いです。
四つの柱頭を西から順にみます。
柱頭1:向かい合う鳥たちだと思います。

柱頭2:葉に包まれた丸い果実のような形だと思います。

柱頭3:角のある動物または怪物だと思います。

柱頭4:人物たちだと思います。四面にさまざまな人物が彫られていますが、何を表しているのかよくわかりません。

これらの柱頭は、サン・フスト(San Justo)の身廊にある柱頭と同じ工房の作品と思われ、その様式は、ブルゴスのカナレス・デ・ラ・シエラ(Canales de la Sierra)のポルティコにある柱頭、バルバディージョ・デ・エレロス(Barbadillo de Herreros)のサン・コスメ・イ・サン・ダミアン(Ermita de los Santos Cosme y Damián)の後陣にある柱頭、エスピノサ・デ・セルヴェラ(Espinosa de Cervera)の後陣にある柱頭、ロス・アウシネス( Los Ausines)のサン・キルセ(San Quirce)の内部にある柱頭、あるいはソリアのベルソサ(Berzosa)のポルティコにある柱頭の様式と関連づけることができる。
Iglesia de El Salvador。セゴビア・ロマネスクを代表する教会のひとつです。ポルティコ、後陣、身廊や塔に多様な装飾があります。
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