2024年8月23日(金)、二番目に訪れたのはDuratón、Iglesia de Nuestra Señora de la Asunciónです。
ここは、三つの異なる彫刻工房による質の高い彫刻装飾が豊富に残されています。外観では身廊とポルティコ、内観では勝利アーチと後陣が素晴らしいです。
2024年、Googleマップには「閉業(Permanently closed)」と表示されていました。私はセプルベダ(Sepúlveda)役場に問い合わせて司祭の連絡先を得ました。司祭にWhatsAppで依頼したところ、司祭が鍵守りに話してくれて8月23日12時に予約することができました。
目次
1. Duratón へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観(ポルティコ) .
5. 外観(身廊) .
6. 内観 .
1. Duratón へ
ドゥラトン(Duratón)は、カスティーリャ・イ・レオン州セゴビア県にある村で、県都セゴビアの約53km北東にあります。
村は、同名の川の上流、広大な平野の中にあります。
教会は、集落から離れた北西にあります。

教会の周りには、古いネクロポリス(共同墓地)があります。
2. 概要
教会の外に複数の案内板がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
ローマ時代の都市(紀元前1世紀〜5世紀)
セゴビア県セプルベダ市にあるロス・メルカードス・デ・ドゥラトン遺跡は、1994年にカスティーリャ・イ・レオン州政府により文化財に指定された。この遺跡には、ローマ時代の都市の遺跡があり、古典資料に登場するコンフロエンタ(Confloenta)と同一であると考えられている。
西ゴート族の時代のネクロポリス(5世紀~7世紀)
ローマ時代のヴィラの遺跡の上に建てられているドゥラトン(Duratón)のネクロポリスは、ヒスパニアで最も注目すべき古代末期の墓地である。ネクロポリスは、5世紀から7世紀にかけて使用されていた。ロマネスク様式の教会は、この西ゴート族の時代のネクロポリスの隣に建てられている。この事実から、教会は、未だ特定されていない西ゴート族の教会に起源を持つ可能性がある。

ロマネスク様式の教会
西ゴート族の時代の後、ドゥラトン(Duratón)の遺跡は放棄され、イスラムの時代には文書記録が途絶えている。この時代には、この場所は無人化していたようである。文書記録の欠落は、12世紀にドゥラトン村が言及されるまで続いた。13世紀には「サンクタ・マリア・デ・ドゥラトン」がセゴビアで言及されており、一定の経済力を有していた。
12世紀の最後の数十年間に教会の内陣の建設が始まり、13世紀の最初の3分の1まで続いたと思われる。その頃、南側にポルティコが建設された。このアーチは近代にふさがれてしまったが、1970年代の教会修復により元のファサードの大部分が復元された。この修復により、後陣の外側に付随していた聖具保管室も取り払われた。
この後も、案内板を引用する時に太字で書きます。
3. 平面図
案内板による平面図です。東が上です。

4. 外観(ポルティコ)
見事な彫刻が続きます。
教会には、質の高い彫刻装飾が豊富に残されている。特に、ポルティコを飾るレパートリーが際立っている。三つの異なる彫刻工房による一連の作品である。伝統とそれぞれの特徴が融合し、幅広い図像表現が可能となった。

第一の工房は、いわゆる「公現祭の親方(Maestro de la Epifanía)」の指揮により、主に後陣を装飾した。
第二の工房は、身廊の二つの扉口、身廊の軒下の持ち送り、および、西側の窓を装飾した。この工房はおそらく、フエンテドゥエニャ(Fuentidueña)の装飾も手がけた。
第三の工房は、ポルティコの一部を装飾した。この工房はサン・ロレンソ・デ・セゴビア(San Lorenzo de Segovia)の装飾も手がけた。

最も完全な図像レパートリーを見つけることができるのは、間違いなくポルティコのギャラリーである。1970年代に行われた修復により、構造全体がほぼ完全に再建され、一部の作品が移設された。
12の柱頭は、セゴビア県におけるロマネスク芸術の最も代表的な例のひとつである。それらは、比喩的な場面、植物モチーフ、幻想的な生き物を描いている。

西から順に、最初の柱頭には一対のネコ科の生き物、2番目の柱頭は修復時に追加されたシンプルなもので、3番目の柱頭にはアカンサスの葉と松かさの装飾が施されている。
4番目の柱頭にはキリストの幼少期の場面(受胎告知とご訪問、ご生誕、聖ヨセフ、羊飼い、ヘロデ王)が描かれている。

5番目の柱頭には、互いに向き合って果実をついばむ6組の鳥が描かれ、6番目の柱頭には植物、7番目の柱頭には8体のハルピュイアが描かれている。

入り口の東側に位置する8番目の柱頭には、アカンサスの葉を背景にした2羽の鳥が描かれている。9番目の柱頭には、角のある動物たちが立派な茎を食べている姿が見える。10番目の柱頭には、公現祭(Epifanía)のテーマが描かれている。そのテーマから考えると、もともとは「ご生誕」の柱頭の近くにあったはずである。

11番目の柱頭には怪物に弓を射るケンタウロスのグループ、そして12番目の柱頭には馬とともに戦う戦士が大きなネコ科の生き物に剣を突き刺す場面が描かれている。
最後に、ポルティコの軒下の装飾についても触れておくべきだろう。持ち送りとメトープ(浮彫石板)の両方が見事に装飾されている。中でも、とりわけ「月のサイクル」の場面(ブドウ畑の剪定、収穫、鷹狩り、暖炉で暖を取る男、宴会の参加者、豚の屠殺、畑の耕作、液体を注ぐ人物とそれを飲む人物)が際立っている。これらの要素に加えて、他の象徴的な場面、動物やさまざまな植物の豊かな表現もある。これらの図像は、セゴビアのサン・フアン・デ・ロス・カバリェロス(San Juan de los Caballeros)や、ソトサルボス(Sotosalbos)のサン・ミゲル(San Miguel)など、他の場所にも見られる。持ち送りには、身廊の軒下に施されたものと同様のさまざまなモチーフが描かれている。
こちらは暖炉で暖を取る男かな、と思います。

こちらは「獅子を裂くサムソン」(『士師記』14章)だと思います。

5. 外観(身廊)
次に、身廊をみます。

身廊の軒下には、おそらく身廊の二つの扉口を製作した工房による、見事な持ち送りがある。装飾モチーフは多様で、植物(籠編み、尖った葉やシダ)、動物(双頭の鷲、蛇を捕らえる鳥、イヌ科、ウシ科、魚類、ネコ科)、 怪物(人を食らう怪物、グリフォン、ハルピュイア、人魚)、何らかの活動に従事する人物(マントをまとった人物、手をあげる人物、陣痛に苦しむ女性、吟遊詩人、踊り子、音楽家、修道院長または司教)などが含まれる。これらには、フエンテドゥエニャ(Fuentidueña)で見られる装飾モチーフの多くが含まれている。
まず、軒下の持ち送りを六つご紹介します。これらは、第二の工房が装飾しました。ぎょろりとした目が印象的です。
持ち送り1:ハルピュイア、持ち送り2:音楽家、だと思います。

身廊の軒下の持ち送り3:踊り子、身廊の軒下の持ち送り4:怪物、だと思います。

持ち送り5:人魚、持ち送り6:音楽家、だと思います。

同じく第二の工房が装飾した、身廊の二つの扉口のうち、南扉口をみます。
非常に装飾が豊富です。アーチには花の装飾が施され、市松模様のモールディングで飾られています。
アーチは、左右に2本ずつ、計4本の柱によって支えられ、柱頭に装飾が施されています。左(西)側には、植物と、向かい合う2組のグリフォンが彫られています。右(東)側には、一対の騎士と、二股人魚が彫られています。

6. 内観
教会の中に入ります。

勝利アーチと後陣の装飾が素晴らしいです。
勝利アーチ右(南)側には、スフィンクスのような幻想的な生き物。

すました顔。

後陣の柱頭1には、騎士たち。

かっこいい。

後陣の柱頭2には、公現祭(Epifanía)。「東方三博士の礼拝」です。
東方三博士の1人は、ありえないくらい頭を下げています。

Iglesia de Nuestra Señora de la Asunción。三つの異なる彫刻工房による質の高い彫刻装飾が豊富に残されています。外観では身廊とポルティコ、内観では勝利アーチと後陣が素晴らしいです。
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