2024年8月20日(火)の最後、二番目に訪れたのはPalermo、ジザ宮殿(Palazzo della Zisa)です。
ここは、イスラム建築の典型的な特徴(厳格なシンメトリー、幾何学的な装飾)とともに、ノルマン人がヨーロッパ(イングランドから南イタリアまで)に広めた西洋の記念碑的建造物の伝統に典型的な体積的・空間的な特徴も見られます。噴水の間(sala della Fontana)は必見です。
2024年、宮殿は火曜から土曜の9:00〜18:30に開いていました。有料(€7)でした。
Palermo では、10か所に行きました。以下のように10回に分けて書きます。
<1> Chiesa Santa Maria dell’Ammiraglio (Chiesa della Martorana)
<2> Chiesa di San Cataldo
<3> Chiesa San Giovanni dei Lebbrosi
<4> Chiesa di Santo Spirito
<5> Porta Mazzara
<6> Chiesa di San Giovanni degli Eremiti
<7> Cattedrale di Palermo
<8> Palazzo della Zisa
<9> Cappella Palatina (Palazzo dei Normanni)
<10> Sala di Re Ruggero (Palazzo dei Normanni)
目次
1. Palermo へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観(東側) .
5. 内観(噴水の間(sala della Fontana)) .
1. Palermo へ
パレルモ(Palermo)は、シチリア島最大の都市にしてシチリア州の州都であり、パレルモ県の県都です。首都ローマの約428km南にあります。
ジザ宮殿(Palazzo della Zisa)は、大聖堂(Cattedrale di Palermo)やノルマンニ宮殿(Palazzo dei Normanni)のある歴史的中心地の約1.2km北西にあります。
周辺は、一般的な住宅が並んでいます。

2. 概要
教会の外に案内板がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
ジザ宮殿(Palazzo della Zisa、その名はアラビア語の「EL AZIZ(素晴らしい)」に由来する)は、オートヴィル家のグリエルモ1世(1153-1166)が、自身の「sollatium(遺産)」として建設した。
「GENOARD」(アラビア語で「地上の楽園」の意)という広大な公園内にあり、その公園は、前任者で初代シチリア・ノルマン王のルッジェーロ2世(1130-1153)によって造園された。
この建造物は、グリエルモ1世の息子であり後継者であるグリエルモ2世(1172年-1189年)によって完成した。グリエルモ2世は、その数年後にクーバ宮殿(Palazzo della Cuba)を建設した。
これら二つの建造物には、イスラム建築の典型的な特徴(厳格なシンメトリー、幾何学的な装飾)とともに、ノルマン人がヨーロッパ(イングランドから南イタリアまで)に広めた西洋の記念建造物の伝統に典型的な体積的・空間的な特徴も見られる。
<12世紀>
ジサは、ノルマン王たちが、パレルモをヨーロッパの都市として再生したことを象徴する世俗建造物のひとつである。「若い女性の美しい喉元を飾るネックレスのよう」な王宮は、当時のアラブ人旅行者(イブン・ジュバイル)に賞賛されたが、彼らは「王以外の誰かが使うことができれば」と願ったし、「アッラーがシチリアの首都をイスラム教徒の手に戻してくださる」ことを望んだ。
宮殿は、町と海に向かって東に面しており、ジェノヴァード公園の中央の高台に位置し、古代ローマの水道橋と温泉複合施設に近かった。建物は周囲の庭園と一体の構想で設計され、その庭園には入口と一直線に並ぶ水槽、いわゆる「魚の池(peschiera)」が重要な要素として含まれていた。ノルマン様式で狩猟用に設計された公園内に、思索のためのアラブ様式の庭園が組み込まれたことは、都市計画の歴史という観点において、非常に興味深い景観芸術の一幕を象徴している。
<13世紀から18世紀にかけて>
ノルマン、シュヴァーベン、アンジュー家(12世紀と13世紀)の統治後、ジザは長い間放置され、荒廃し、建築の外観と環境は大幅に変化した。
14世紀には、要塞化された城へと姿を変えた。東側のファサードに二つの窓が付け加えられ、屋根の上にはクフィック文字で書かれた装飾が施され、胸壁が作られた。その後、ジサは農業の中心地として使用されるようになった。
15世紀には、ジサはアラゴン王から人文主義者アントニオ・ベッカレッリ(通称「イル・パノルミタ」)に与えられた。その後、ジサは個人間で何度か所有者が変わった。
1526年には、ドミニコ会の修道士レアンドロ・アルベルティがこの記念建造物について詳細な説明を残し、その荒廃ぶりを記録している。そして、1575年のペスト流行時には、隔離された物品の保管場所として使用されるに至った。
17世紀には、スペインの貴族サンドバル家がひどく傷んだ宮殿をわずかな金額で買い取り、構造と外観を変える修復工事を行った。サンドバル家による改修工事、とりわけ壮麗な階段(大規模な支持壁の取り壊しを伴う)、バルコニー、 窓の拡大、半円アーチの挿入、玄関の半地下、主アーチの破壊と屋根上構造物の追加などにより、ジサは貴族の邸宅および町の中心地として新たな命を吹き込まれた。
<18世紀から19世紀にかけて>
18世紀には、サンドバル家による改築にもかかわらず、ヨーロッパの学者や芸術家たちに賞賛されていた。19世紀には(中世研究と建築復元理論の復活により)、 外国およびイタリアの学者らによる調査や修復プロジェクトの対象となった。
<1950年から1970年まで>
19世紀から1950年まで、サンドバル家の末裔が住んでいたこの建物は、内外装の改修が続けられた。間仕切り、中二階、階段、ダクトや設備、床や漆喰の除去、窓やバルコニーを設けるための外壁への穴開けなどにより、当初の建築デザインの多くが失われた。1951年、ジサはシチリア州により接収され、修復工事が行われた。
この後も、案内板を引用する時に太字で書きます。
3. 平面図
案内板による平面図です。東が下です。
2人のグリエルモはアラブの芸術家(マグレブのファティミッド)を招き、10世紀と11世紀に北アフリカで確立されたイスラム建築思想と建築モデルをシチリアに取り入れた。
こちらは、ジサ宮殿の復元予想図だと思います。

1166年から1175年の間に建てられたジサ宮殿(図3、4a、4b、4c)は、クーバ宮殿(図5)のモデルとなった。
ジサ宮殿は三階建てです。4aが地上階、4bがひとつ上の階、4cが最上階だと思います。



こちらは、クーバ宮殿の復元予想図だと思います。なるほど、ジサ宮殿によく似ています。

4. 外観(東側)
ファサードは、庭園や町に面した東側です。
かつて水を湛えていた場所は、修復中でした。

5. 内観(噴水の間(sala della Fontana))
宮殿の中に入ります。
私が心を奪われたのは、噴水の間(sala della Fontana)です。
床に水路があります。
不滅の象徴:噴水とモザイク
典型的な十字形のプランと中央のサルサビリ(水浴場)を持つ噴水の間(sala della Fontana)は、東方の伝統に倣い、この意味で「楽園の隠喩」(シュターケ)であり、宇宙論の基礎をなす要素である植物と水を建築的に表現したものである。儀式の場における噴水の中心的な位置と、その建築様式、そして噴水の上に配されたシンボルによって特徴づけられる建築様式は、東方の慣習に従って、王座、すなわち君主の最高の居場所、会合や宴会、レセプションにふさわしい高貴な空間として表現されている。
水が流れるための傾斜した石板が、まるで生きているかのようにきらめく効果を生み出し、生命を与える水源となる。ビザンチン様式のモザイク画、豊かな自然の中で狩りをする場面や孔雀を描いた装飾的な要素でさえも、 シリア・ペルシャの伝統を代表する狩猟の場面や孔雀は、祝祭的な雰囲気や神への捧げものといった高揚感と明確な関連性を持っている。

噴水の間(sala della Fontana)にある水槽と水路のシステムは、後ろの壁から水の流れが始まり、傾斜した石板を滑り落ち、部屋を途切れることなく横断し、玄関の下に消えてから再び現れる仕掛けです。
楽園のような演出で水の流れが始まる後ろの壁には、美しいモザイクがあります。

中央のメダイヨンには、弓と矢で鳥を狙う2人の射手が描かれ、両脇のメダイヨンには、ヤシの木の脇で向き合う2羽のクジャクが描かれています。
ヤシの木の下で矢を放つ2人の射手は、古代の東方の宗教に見られるように、戦士の力と軍事的優位性の象徴と解釈することができる。弓はまた、あらゆる文化において、王の武器として卓越している。
イスラム世界では、弓は矢によって悪や無知、あらゆる負の要素を排除する神聖な力と同一視されている。弓に矢を番える姿は、天に向かって、すなわち超越者に向かって張りつめる緊張感を表している。
棕櫚は世界中で勝利、再生、不死の象徴とみなされている。ローマの凱旋式で掲げられた軍事的勝利の象徴としての古代の本来の意味は、後に初期の教会によってキリスト教の死に対する勝利の象徴として解釈された。その後、聖人の殉教と同義語となり、今でも生命を再生し、死を克服する要素としての意味を持つ。
古代の人々は孔雀の肉は腐敗せず、劣化や分解も起こらず、時の流れにも耐えると信じていた。これらの理由から、孔雀は不死の象徴となり、王族や栄光の象徴ともなった。これが、古代の象徴や中世の図像の比喩的レパートリーで広く使われるようになった理由である。
キリスト教の伝統では、クジャクは太陽の車輪も象徴しており、この理由から永遠の光として不滅の象徴とされている。中東では、孔雀は一般的に生命の樹の脇に置かれ、自然と生命の原初の状態と再生の象徴とされている。イスラム教では、孔雀は宇宙の象徴として描かれ、車輪は永遠に変化し続ける宇宙全体を表し、円環する時の流れを象徴している。

シチリアに建てた城、数々の教会や大聖堂(チェファル、パレルモ、モンレアーレなど)で、西洋の建築様式を模倣していたノルマン王たちは、ジサとクーバの建設においてイスラム文化に対する開放性を示そうとした(これはすでに科学、詩歌、 中央ヨーロッパの伝統とアラブ、ラテン、ギリシャ・ビザンチン文化の融合を特徴とする新しい地中海王国の創設という政治的目標を象徴するものであった。
宮殿の外の案内板に、こう書いてありました。
この記念碑的な複合施設は、ユネスコの世界遺産「パレルモのアラブ=ノルマン様式の建造物群及びチェファルとモンレアーレの大聖堂」の一部であり、ノルマン人がシチリア島を支配していた時代(1130年~1194年)に建てられた九つの宗教的・市民的建造物群のひとつである。それらは、西洋、ビザンチン、イスラム文化の融合の優れた例である。この交流により、空間、構造、装飾の新しい概念に基づく建築的・芸術的表現が生まれ、地中海地域全体に広がった。
ジザ宮殿(Palazzo della Zisa)。イスラム建築の典型的な特徴(厳格なシンメトリー、幾何学的な装飾)とともに、ノルマン人がヨーロッパ(イングランドから南イタリアまで)に広めた西洋の記念碑的建造物の伝統に典型的な体積的・空間的な特徴も見られます。噴水の間(sala della Fontana)は必見です。
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