スティロ(Stilo)

2024年8月16日(金)の最後、二番目に訪れたのはStilo、Cattolica di Stiloです。

ここは、岩山の斜面にひっそりと佇む、カラブリアにおけるビザンチン建築の最高傑作です。

2024年8月は毎日8:00〜19:30に開いていました。有料(€4)でした。

目次

1. Stilo へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観 .
5. 内観 .

1. Stilo へ

スティロ(Stilo)は、カラブリア州レッジョ・カラブリア県にある町で、県都レッジョ・カラブリアの約82km北東にあります。長靴のようなイタリア半島の爪先です。

教会は、スティロ(Stilo)の町の北西の端、山の上にあります。

南側外観

2. 概要

チケット購入サイトに訪問者用案内がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

独特の形状を持つ Cattolica di Stilo は、カラブリアにおけるビザンチン建築の最高傑作である。1911年に著名な考古学者パオロ・オルシ(Paolo Orsi)によって再発見され、著書『カラブリアのバシレイオス派教会(Le chiese basiliane della Calabria)』で紹介された教会は、今日では文化と精神の遺産であり、過去を静かに物語る証人であり、訪問者の思索の場となっている。

おそらくCattolicaの名称はギリシャ語の「Katholikon」に由来し、修道院や隠者の礼拝所を意味する言葉である。そして、10世紀から11世紀にかけてこの教会を建設したのは、モンテ・コンソリーノの斜面に定住した東方の修道士たちであった。

厳粛で神秘的な雰囲気に包まれた内部では、窓から差し込む光が、11世紀から16世紀に描かれたフレスコ画の壁に、影と反射の相互作用を生み出している。色あせてもなお輝きを放ち、宗教的な場面や天使の姿が生き生きと描かれている。

岩山の斜面にひっそりと佇む小さな教会からは、周囲の風景を一望できる。スティラーロ(Stilaro)渓谷、スティロ(Stilo)の村、イオニア海などである。内部には、この地域に長い年月をかけて暮らしてきたさまざまな民族の痕跡が残されており、ビザンチン、ノルマン、正教、キリスト教、イスラム教、さらにはユダヤ教など、多様な文化に属する象徴が残されている。 細部に至るまで、思索と内省を誘う。

この後は、現地のチケット売り場にあったQRコードのリンク先を引用する時に太字で書きます。

3. 平面図

(Zodiaque) la nuit des temps『Calabre Basilicate romanes』による平面図と断面図です。平面図は東が上です。

『Calabre Basilicate romanes』より

特徴的な立方体形状をしており、その平面図は正方形内にギリシャ十字の形をしている。

内部は典型的なビザンチン様式で、東の壁に三つの後陣があり、中央のドームを支える4本の円柱がある。

4. 外観

扉口は、南にひとつだけ。

南側外観

東に行って後陣を見たかったのですが、柵を越えて岩肌を東へと下ることは諦めました。

(Zodiaque) la nuit des temps『Calabre Basilicate romanes』による写真です。

美しい三後陣、窓の周りの装飾も素晴らしいです。

『Calabre Basilicate romanes』(南東側外観)

岩肌を西へと上るための道は、ありました。

その道を上ると、スティラーロ(Stilaro)渓谷、スティロ(Stilo)の村、イオニア海が一望できます。

南西側外観

教会の屋根には、五つの円筒形に五つのドームが重ねられています。中央のドームは、ギリシャ十字の重なりの上にあり、ひときわ高く聳えています。かっこいい。

5. 内観

教会の中に入ります。

三後陣、三身廊で、4本の柱はそれぞれ異なる材質です。

東を向く

柱頭を逆さまにして基盤として使っている柱もあります。

必見その1:再利用された柱
中央ドームは、素材や仕上げの異なる4本の柱によって支えられている。これはおそらく、既存のヘレニズム様式やロマネスク様式の建造物から転用されたものと思われる。現在、その土台部分に置かれている三つの逆さまの柱頭のうち、ひとつだけを見ることができる。パオロ・オルシ(Paolo Orsi)による修復工事により、床面がわずかに持ち上げられたためである。

北東を向く

南東の柱には、刻字があります。

必見その2:ギリシャ語の碑文
右端の最初の円柱は、端に宝石をちりばめた優雅な十字架で装飾されており、その上にエピファニア(主の顕現)に関する聖句が刻まれている。「神、我らが主は、我々の前に現れた」という意味の言葉である。

南東の柱
フレスコ画

壁には、11世紀から16世紀に描かれたフレスコ画があります。

必見その3:フレスコ画
1927年のパオロ・オルシ(Paolo Orsi)による発見後、少なくとも4層のフレスコ画が発見された。これらの重なりは、ローマ式の聖人の描写が、東方の聖人の描写を徐々に置き換えていったことを示している。

ロマネスク時代のフレスコ画をみます。

(Zodiaque) la nuit des temps『Calabre Basilicate romanes』によると、一番古い時代(10世紀末から11世紀初め)のものは、ビザンチン様式の影響を受けた2人の兵士姿の聖人と1人の聖女。11世紀のものは聖人たちの断片と主後陣に描かれた聖ヨハネス・クリュソストモスです。

より後の時代に描かれたものとしては、東側のヴォールトに描かれた、4人の天使に支えられたパントクラトル(全能者)のキリストの「昇天」(13世紀)と、山側の西の壁に描かれた「受胎告知」です。

「昇天」(13世紀)

「受胎告知」は、天使の手指が優美です。

薬指だけが短いですが、これは人差し指、中指と小指を立て、薬指を曲げて親指に触れさせるギリシャ式の祝福をしているのだと思います。

「受胎告知」

Cattolica di Stilo。岩山の斜面にひっそりと佇む、カラブリアにおけるビザンチン建築の最高傑作です。

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