ロッサーノ(Rossano)<2>

2024年8月15日(木)、三番目に訪れたのはRossano、Oratorio di San Marcoです。

ここは、三後陣とドームが美しいです。また、幻想的な内陣と祭壇の彫刻が素晴らしいです。フレスコ画の一部も残っています。

Rossano では、4か所に行きました。以下のように4回に分けて書きます。
<1> Abbazia Santa Maria del Pàtire
<2> Oratorio di San Marco
<3> Duomo di Santa Maria Achiropita
<4> Museo Diocesano e del Codex

目次

1. Rossano へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観(北側) .
5. 内観(身廊) .
6. 内観(内陣) .

1. Rossano へ

ロッサーノ(Rossano)は、カラブリア州コゼンツァ県コリリアーノ=ロッサーノに属する分離集落(フラツィオーネ)で、県都コゼンツァの約44km北東にあります。長靴のようなイタリア半島の爪先です。

教会は、ロッサーノ(Rossano)の町の南端にあります。

わお。

東側外観

これです、この外観。これを見たかったんです。

北東側外観

私が熱心に後陣の写真を撮っていると、婦人が教えてくれました。「あちらから、教会の中に入ることができますよ。」

2. 概要

(Zodiaque) la nuit des temps『Calabre Basilicate romanes』による概要です。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

教会の起源に関する歴史的資料が存在しないため、その年代を特定できないが、研究者らは9世紀から11世紀の間と考えている。

スティロ(Stilo)の教会とのデザイン上の類似性から、この二つの建築物は10世紀から11世紀のいわゆる「第二次ビザンチン様式」の建築物と関連しているというのが一般的な見解である。

この教会は、より西方のモデルであることから、ビザンチン様式のスティロ(Stilo)の教会と比較すると、ノルマン時代初期の、せいぜい10世紀から11世紀のものかもしれない。

同様に、この建物の本来の用途もまだ特定されていない。おそらくは隠修士のものであったと思われるが、破壊された女子修道院である聖アナスタシア修道院に付属する礼拝堂であった可能性も排除できない。

もしこれが証明されれば、この記念建造物の年代を特定する手がかりとなる。聖アナスタシア修道院は、10世紀中頃にイタリアとカラブリアの判事であったロッサーノのエウフラシウスによって創設されたからである。

長い年月を経て、この建物は増改築や修復工事(1836年の地震による被害を修復する必要があった)を経験した。しかし、その外観を元に戻せないほどに大きく変えられることはなかった。バロック時代には、身廊の天井や新しい祭壇などが作られた。19世紀には、この教会はコレラ犠牲者の埋葬場所として使用されていた。

1926年から1931年にかけて修復が実施された。目的は、建築物の補強と基礎の強化(疫病の犠牲者のために掘られた穴によって損傷していた)だけでなく、元の姿への復元でもあった。

後から付け加えられた左側の鐘の破風、反対側の荒廃した聖具室、中央の半円形礼拝堂を覆っていた壁が取り壊された。バロック様式の天井と祭壇も撤去された。屋根は当初の設計図に従って再建され、舗装も同様に行われた。

閉ざされていたドームの窓と中央の半円形礼拝堂の窓は再び開けられた。この作業中に、孤立した彫刻の断片やフレスコ画の残骸が再び姿を現した。聖母子像は、かつてはより広範囲にわたっていた絵画装飾の一部であった。

この後も、『Calabre Basilicate romanes』を引用する時に太字で書きます。

3. 平面図

(Zodiaque) la nuit des temps『Calabre Basilicate romanes』による平面図と断面図です。平面図は東が上です。

『Calabre Basilicate romanes』より

4. 外観(北側)

婦人が教えてくれた方に歩いて行きました。

北側遠景

金属柵の門が見えます。坂を上ったところに、門に続く道があります。

門を通ると、教会が見えました。

左(東)側と右(西)側とは、造りがかなり違います。見るからに、石積みも違いそう。

北側外観

5. 内観(身廊)

教会の中に入ります。

わお。

後陣の窓から入る光が優しい。

北扉口にて南東を向く

身廊は、あとから増築されたもののようです。

修復により骨組みがむき出しになった天井のあるこの空間は、二つの石組みの間に明らかな区切りがあることから、教会本体に後から付け加えられたものであることがわかる。おそらく、増加した礼拝者の収容を目的として建てられたのであろう。一部では、玄関間に代わるものだったのではないかという推測もある。

身廊の壁に絵画があります。

漆喰塗りの壁にはもともとフレスコ画が描かれていたが、現在ではわずかな痕跡しか残っていない。最近行われた修復作業中に発見されたものである。身廊の壁には、13世紀半ば以前のビザンチン様式の聖母子像が際立っている(壁から取り外され、木枠が付けられている)。

フレスコ画

6. 内観(内陣)

主後陣の窓は、南北小後陣の窓より大きくて、溝模様で装飾された小柱が使われています。

北小後陣窓
主後陣窓
南小後陣窓

内陣をみます。

幻想的。

身廊にて東を向く

祭壇が水色の布で覆われています。

内陣にて東を向く

私は、失礼して、水色の布を外しました。

かっこいい。

祭壇

興味深い特徴として、祭壇天板がある。これは、修復中に他の彫刻の断片(教会に展示されている)とともに発見された石板を再利用したものである。この石板には、鋭い切り込みで縁に幾何学的な装飾が刻まれている。

祭壇

見上げると、美しいドームがありました。

ドーム

Oratorio di San Marco。三後陣とドームが美しいです。また、幻想的な内陣と祭壇の彫刻が素晴らしいです。フレスコ画の一部も残っています。

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