2024年8月15日(木)、最初に訪れたのはSan Demetrio Corone、Chiesa di Sant’Adriano e Nataliaです。
ここは、身廊の床に残されている床モザイクが真の傑作です。壁面にフレスコ画も残っています。
教会は閉まっていました。私は教会の中に入りませんでした。
教会の扉に連絡先が掲示されていて「訪問日の前日までに以下の電話番号に連絡すると10:00〜12:30と15:30〜17:30の時間内であれば訪問が可能」とのことでした。
目次
1. San Demetrio Corone へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観 .
5. 内観 .
1. San Demetrio Corone へ
サン・デメトリオ・コローネ(San Demetrio Corone)は、カラブリア州コゼンツァ県にある町で、県都コゼンツァの約32km北東にあります。長靴のようなイタリア半島の爪先です。
教会は、町の南西端にあり、大きな広場に面しています。

私はGoogleマップに書かれていた電話番号(扉に掲示されていた電話番号と同じでした)に事前に連絡をしました。一度だけ連絡がつながり「確認してお知らせします」と言われたのですが、その後は連絡がつきませんでした。
私の予定がもっと柔軟で、複数の訪問可能日があれば良かったのかもしれないのですが、あいにく私は8月15日の他に候補日がなく、教会の中を訪問することができませんでした。
2. 概要
コムーネ(基礎自治体)のウェブサイトによる概要です。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
教会は、何世紀にもわたって、その本来の構造的・建築的な統一性を失ってしまったが、重なり合う様式と様式上のメッセージを維持し、示している。その洗練された優雅さは、専門家によって「怪物的なもの、神秘的なもの、そして幻想的なもの」の間と定義されている。
1856年に主扉口が閉鎖されたため、教会へのアクセスは二つの側面の入口からとなっている。南扉口は大きな石とレンガの鐘楼の下にあり、北扉口は隣接する Collegio italo-albanese から修道士たちの教会へのアクセスを可能にしていたため、「修道士の扉(Porta dei Monaci)」と呼ばれ、大理石の柱に二つの顔の浮き彫りがある。
内部には木製の天井に覆われた三つの身廊があり、四つのアーチが身廊を分けている。
壁面は12世紀から13世紀にかけての聖人たちのフレスコ画で覆われている。後陣では、より大きなサイクルの一部である「神殿でのマリアの奉献」の場面を見ることができる。
真の傑作は、部分的に残されている床モザイクである。
この後は、(Zodiaque) la nuit des temps『Calabre Basilicate romanes』を引用する時に太字で書きます。
3. 平面図
(Zodiaque) la nuit des temps『Calabre Basilicate romanes』による平面図です。東が上です。

黒色:建築当時
斜線:18世紀〜19世紀
4. 外観
「修道士の扉(Porta dei Monaci)」と呼ばれている北扉口に、二つの顔の浮き彫りがあるそうです。こちらは教会が閉まっていても見られると思うのですが、私は確認するのを忘れました。
(Zodiaque) la nuit des temps『Calabre Basilicate romanes』による写真です。
現在では、現存する教会はすべてノルマン時代に属するものと見なすのが妥当であるという意見で一致している。
北扉口には、建設当時の控えめな装飾が、右側の支柱(図92)と、ティンパヌムを支える二つの持ち送りに施されている。

5. 内観
(Zodiaque) la nuit des temps『Calabre Basilicate romanes』から、教会の中にある床モザイクの写真を二つご紹介します。
身廊の床モザイク。

身廊の床モザイク。

いつか再訪できたら、しっかりと見学しようと思っています。
Chiesa di Sant’Adriano e Natalia。身廊の床に残されている床モザイクが真の傑作です。壁面にフレスコ画も残っています。
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