2024年8月9日(金)の最後、四番目に訪れたのはSquinzano、Abbazia di Santa Maria di Cerrateです。
ここは、西扉口の彫刻が素晴らしいです。ポルティコも教会内のフレスコ画もいいです。
2024年、修道院は以下の日程で開いていました。ただし終了時刻の45分前までに入場すること。有料(€8.5)でした。
2月は木曜から日曜の10:00〜18:00
3月、4月、5月、9月と10月は火曜から日曜の10:00〜18:00
6月、7月と8月は毎日10:00〜19:30
11月と12月は火曜から日曜の10:00〜16:00
*12月24日、25日、1月1日は閉まりました。
*12月30日、12月30日と1月6日は10:00〜14:00に開きました。
目次
1. Squinzano へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観(西扉口) .
5. 外観(ポルティコ) .
6. 内観 .
1. Squinzano へ
スクインツァーノ(Squinzano)は、プーリア州レッチェ県にある町で、県都レッチェの約14km北西、州都バーリ(Bari)の約129km南東にあります。
修道院は、田園の中にあります。
下の写真の、アーチの場所がエントランスです。

修道院の中にあった案内図です。

①エントランスから入り、②チケット売場で料金を支払うと見学開始です。
2. 概要
FAI(Fondo Ambiente Italiano)による概要です。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
チェッラーテ修道院(Abbazia di Cerrate)は、かつてギリシャ人修道士が住んでいたビザンチン様式の修道院であり、その後、オリーブ加工を専門とする農場となった。礼拝所と歴史的農場という二つの面を持つ魅力的な場所である。
オリーブ畑や果樹園、耕作地が広がる素晴らしい景観の中にあるこの修道院は、レッチェ伯タンクレード・ド・オートヴィルの、洞窟で小鹿を追いかけた後に聖母が現れたという、幻視に従って設立されたという伝説がある。
ノルマン人貴族のタンクレード・ド・オートヴィルは、ロベール・ギスカール(ロベルト・イル・グイスカルド・ダルタヴィッラ)の父です。
歴史的には、11世紀末から12世紀初頭にかけて、ロベール・ギスカールの息子であるアンティオキア公ボエモンが、ビザンチン帝国の偶像破壊運動から逃れてサレントに避難してきた聖バシレイオス(大バシレイオス)の教えに従うギリシャ人修道士たちの修道院を設立した。
ブリンディジとレッチェ、オトラントを結ぶローマ街道の近くに建てられたこの修道院は、南イタリアで最も重要な修道院のひとつとなるまでに拡張された。
1711年にトルコの海賊に略奪され、中心部全体が完全に廃墟と化した。1965年にレッチェ県が介入し修復工事を委託するまで、廃墟状態が続いた。レッチェ県による入札公募により、2012年、複合施設はレッチェ県からFAIに譲渡された。
現在、複雑な修復プロジェクトの後に修道院は再び訪れることができるようになり、教会も礼拝のために再開されている。ビザンチン世界でも類を見ない重要なフレスコ画で飾られたプーリアのロマネスク建築の素晴らしい例となっている。
この後も、FAI(Fondo Ambiente Italiano)を引用する時に太字で書きます。
3. 平面図
FAI(Fondo Ambiente Italiano)による教会の平面図です。東が左です。

4. 外観(西扉口)
プーリア・ロマネスク建築の重要な例であるサンタ・マリア教会(Chiesa di Santa Maria)は、チェッラーテ修道院(Abbazia di Cerrate)の要となっている。
中央に薔薇窓のあるファサードが特徴的で、外壁は、小さな吊りアーチを細いピラスターでつないだ洗練されたモチーフで横切られ、高い台座の上に落ちている。こうした装飾は、12世紀以降のサレント・ロマネスク様式の典型的なもので、レッチェのサンティ・ニコロ・エ・カタルド教会(Chiesa di SS. Nicolò e Cataldo)にも見られる。
ファサードの扉口の上部には、新約聖書の場面を描いた非常に質の高い浮き彫りが施されたアーチがある。

扉口をみます。
教会のファサードには、12世紀に作られた印象的な扉口がある。レッチェ産の石でできており、ビザンチン様式の典型的なモチーフである、様式化された花穂と葉で豊かに装飾されている。

アーチには、北イタリアのロマネスク建築の言語を体現する浮き彫りの人物像が配置されている。ここでは、六つの切石にわたって新約聖書の場面が描かれている。アーチの湾曲に沿って並ぶこれらの人物像は、下から順に、聖母マリアの左側に天使が立つ受胎告知、ご訪問、東方三博士、ご降誕の場面を表している。さまざまな解釈がなされた結果、今日では最後の場面は幼子に産湯を使う場面と解釈されている。
「受胎告知」(『原ヤコブ福音書』11章、『ルカによる福音書』1章)
マリアは左手に糸つむぎを二つ持っています。
糸を紡ぐマリアの描写は、2世紀頃に成立した新約聖書外典『原ヤコブ福音書』に由来します。後世に正典とされなかったために「外典」となりましたが、中世の時代までは広く親しまれていたようです。
「ご訪問」(『ルカによる福音書』1章)、「東方三博士の礼拝」(『マタイによる福音書』2章)。
「ご生誕」(『マタイによる福音書』1章、『ルカによる福音書』2章、『原ヤコブ福音書』19章と『偽マタイ福音書』13章)
飼い葉桶の隣の女性は聖母マリアだと思います。下半身をぐにゃりとさせているのは、産後の体を休めているからかも。
イエスに産湯を使わせている女性は産婆でしょう。外典によると、産婆がイエスの生誕に立ち会います。産婆の下に彫られている男性はヨセフだと思います。
扉口のアーチにこんな風に彫るの、興味深いです。
また、東方伝承の外典偽典(『原ヤコブ福音書』と『偽マタイ福音書』)に基づいて彫られていることも、印象的です。
5. 外観(ポルティコ)
教会の左(北)側には、13世紀に建てられたポルティコがあります。
このポルティコは、石工技術の研究や1269年製のチボリウムと同時代のものであることを示すいくつかの歴史的文献から、教会自体の建設よりも後の時代に追加されたことが明らかになっている。1968年には五つ(11〜15)の柱頭が盗まれた。そのうちの三つ(11、12と14)だけが後に発見され、修復されて元の位置に戻された。
上の文中の数字は、3. 平面図 に赤い数字で書かれた位置を示します。

ポルティコの中に入ります。

24本の柱は中世の動物寓話集から引用したモチーフで豊かに装飾されている。

また、特徴的な顔立ちの人物像は、背景から突出するように際立って彫られている。

6. 内観
教会の中に入ります。

内部は、12世紀後半から13世紀初頭のフレスコ画で飾られている。これらの絵画は、1970年代に後代のフレスコ画の層が「スタッコ(剥離)された」おかげで今日見ることができる。スタッコ(剥離)の技法では、絵画を漆喰の厚い層とともに剥離する。一方、ストラッポ(塗膜の剥離)の技法では、厚さ3mm以下の塗膜の薄い層を剥離する。
この教会では、12世紀〜13世紀のフレスコ画をあらわにするため、それらを覆い隠していた後代のフレスコ画を漆喰の厚い層とともに剥離しました。剥離された14世紀以降のフレスコ画は現在、隣の建物(案内図の中で「12」の建物)に保存されています。
フレスコ画は、12世紀末から13世紀にかけて南イタリアに広まったビザンチン具象文化の一部である。図像学的な構成、色彩そして数多くの文字が、この絵画装飾を非常に独特なものとし、芸術的熟練の水準の達成を示している。まず目を引くのは、12世紀後半に描かれたアーチ裏の聖人たちの豊かな多様性である。修道士や隠者の肖像画ギャラリーのようなもので、その上には預言者の半身像が描かれている。これは、この場所が修道院として使われていたことを示している。
後陣の装飾は、12世紀末に描かれた「キリストの昇天」を中心に展開され、パステル調の色彩、人物、自然主義的な要素が特徴的で、プーリアにおけるビザンチン絵画の中でも最高傑作のひとつとなっている。

南側廊のパズルのような壁面装飾は13世紀のもので、おそらく14世紀から15世紀にかけての崩壊の後に解体され、再び組み立てられた。

一方、北側廊には、13世紀初頭に描かれた聖人の行列がある。上から新たなフレスコ画を描く際、顔料を定着させるために使われたピッケッタトゥーラ(picchiettatura)と呼ばれる技法の跡が残っている。

Abbazia di Santa Maria di Cerrate。西扉口の彫刻が素晴らしいです。ポルティコも教会内のフレスコ画もいいです。
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