トラーニ(Trani)<1>

2024年8月3日(土)、最初に訪れたのはTrani、オンニッサンティ教会(Chiesa di Ognissanti)です。

ここは、テンプル騎士団の教会としても知られる、プーリア・ロマネスク建築の素晴らしい例です。ポルティコ、身廊と後陣が美しいです。

2024年、教会は金曜17:00〜20:00、土曜9:30〜12:00と17:00〜20:00に開いていました。(ただし開くのが遅れることがあります。私は土曜に行きましたが、10:00頃に開きました。)

Trani では、3か所に行きました。以下のように2回に分けて書きます。
<1> Chiesa di Ognissanti
<2> Basilica Cattedrale Beata Maria Vergine Assunta
<3> Polo Museale Diocesano Trani

目次

1. Trani へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観(西側) .
5. 内観 .
6. 外観(東側) .

1. Trani へ

トラーニ(Trani)は、プーリア州バルレッタ=アンドリア=トラーニ県の県都とされている都市のひとつで、アドリア海に面した港湾都市です。州都バーリ(Bari)の約42km北西にあります。

町は十字軍や海洋国家が隆盛を誇った時代には接岸、停泊、陸上げの重要拠点でした。

教会は、トラーニ港(Porto di Trani)の湾岸にあります。

西側外観

ポルティコが目印です。

2. 概要

教会の外に案内板がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

教会は、テンプル騎士団の教会としても知られ、プーリア・ロマネスク建築の素晴らしい例である。

その創建は12世紀の最初の数十年間に遡るようで、トラーニの教会 「ecclesia Omnium Santorum 」について明確に言及した最初の文書は、1170年7月6日の遺言で、ラヴェッリの公証人オルソ・ロガデオ(Orso Rogadeo)が教会にいくつかの資産を寄贈したものである。

この教会は、1312年に教皇クレメンス5世がテンプル騎士団を解散し、その財産のほとんどを聖ヨハネ騎士団に移譲するまで、テンプル騎士団(1143年よりトラーニに存在)の手に委ねられていた。

1378年以降、この教会は性質を変え、私的な礼拝堂となり、当時の最も名高い一族らがその後援者となった。これらの一族の紋章は、今日でも聖具室の入口のまぐさに残っている。

この後も、案内板を引用する時に太字で書きます。

3. 平面図

案内板による平面図です。東が上です。

案内板より

4. 外観(西側)

ポルティコをみます。

教会のファサードの前にはポルティコがあり、かつての騎士団病院とつながっていた。
ポルティコは、プーリア・ロマネスク建築の中で唯一現存する例で、教会の軸線に対して横方向に二つの身廊に分かれ、その上に居住スペースがあるため、北側の部屋とつながっている。

ポルティコ

このポルティコは、教会自体の建設後(12世紀後半から13世紀)のものと考えられる。身廊と後陣の建設、壮麗な扉口の建設、そして側廊の交差ヴォールトも同様であり、おそらくテンプル騎士団の寄進を受けた結果であろう。

ファサードには、身廊と側廊に対応する、装飾されたルネッタ付きの三つの扉口がある。主扉口は、装飾された柱頭を持つ2本の半円柱に挟まれ、豊かな彫刻が施されたアーチで囲まれたルネッタには「受胎告知」が描かれている。

主扉口のルネッタ

主扉口の両側の柱頭には天使が描かれています。

こちらは大天使聖ミカエルだと思います。ドラゴンに目もくれず、槍でひと突き。

柱頭

私が参照しているものとは別の案内板に「このポルティコの下で、第1回十字軍のノルマン騎士団が、ボエモン(Boemondo d’Altavilla)の指揮の下、誓いを立てたと言われている。」と書いてありました。

第1回十字軍(1096年〜1099年)の時には、このポルティコ(12世紀後半から13世紀)はまだできていないはず。でも、そんなことがきっと起きただろうと思わせてくれる美しいポルティコです。

5. 内観

教会の中に入ります。

内部は、この時代の典型的なバシリカ式プランに従っている。三つの身廊が6本の花崗岩の柱で仕切られ、その上に柱頭が乗っている。柱頭の一部は、バロック時代に施されたスタッコ装飾を挿入するために削り取られたため、修復作業後に再建された。

灰色と白色の落ち着いた色合いが魅力的です。

身廊にて東を向く

6. 外観(東側)

東に行きます。

細い石畳の道(Via Cambio)を通り抜け、港を望みます。

Via Cambio
Porto di Trani

港を背にして振り向くと、美しい後陣があります。

東側外観

建物の東に位置する後陣は、盲アーチで飾られている。主後陣には、様式化されたライオン、グリフォン、ワシで装飾された窓がひとつあり、アーチの上には、死に勝利したキリストの象徴である「獅子と戦うサムソン」の彫刻がある。

東側外観:主後陣

オンニッサンティ教会(Chiesa di Ognissanti)。テンプル騎士団の教会としても知られる、プーリア・ロマネスク建築の素晴らしい例です。ポルティコ、身廊と後陣が美しいです。

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