モンテ・サンタンジェロ(Monte Sant’Angelo)<2>

2024年8月2日(金)の最後、四番目に訪れたのはMonte Sant’Angelo、Complesso di S. Pietro, S. Giovanni in Tumba, S. Maria Maggioreです。

ここは、価値の高い記念建造物群を形成しています。謎めいた建物のS. Giovanni in Tumbaには興味深い彫刻があり、S. Maria Maggioreには壮麗な西扉口とフレスコ画があります。

2024年、S. PietroとS. Giovanni in Tumbaは毎日10:00〜13:00と15:15〜19:00に有料(€1)で開いていました。S. Maria Maggioreは教区教会ですから毎日長時間にわたって無料で開いていました。

Monte Sant’Angelo では、2か所に行きました。以下のように2回に分けて書きます。
<1> Santuario di San Michele Arcangelo
<2> Complesso di S. Pietro, S. Giovanni in Tumba, S. Maria Maggiore

目次

1. Monte Sant’Angelo へ .
2. 概要 .
3. プラン .
4. サン・ピエトロ教会(Chiesa di S. Pietro) .
5. サン・ジョヴァンニ・イン・トゥンバ洗礼堂(Battistero di S. Giovanni in Tumba) .
6. サンタ・マリア・マッジョーレ教会(Chiesa di S. Maria Maggiore) .

1. Monte Sant’Angelo へ

モンテ・サンタンジェロ(Monte Sant’Angelo)は、プーリア州フォッジャ県にある町です。県都フォッジャ(Foggia)の約44km北東にあります。

Complesso di S. Pietro, S. Giovanni in Tumba, S. Maria Maggioreは、Santuario di San Michele Arcangeloの約50メートル南にあります。

Santuario di San Michele Arcangeloにある八角形の鐘楼から南を向くと階段がありますから、それを南へと下ります。

S. PietroとS. Giovanni in Tumbaへの扉

写真の中で右に写っているガラス扉から、S. PietroとS. Giovanni in Tumbaに行くことができます。

2. 概要

教会の外に案内板がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

サン・ピエトロ教会(chiesa di S. Pietro)と、いわゆるロタリ廟(Tomba di Rotari)は、サンタ・マリア・マッジョーレ教会(chiesa di S. Maria Maggiore)とともに、建築的価値の高い記念建造物群を形成している。

サン・ピエトロ教会(Chiesa di S. Pietro)

サン・ピエトロ教会(Chiesa di S. Pietro)は8世紀以前に建てられたが、中世後期に大きな建造物に建て替えられた。元の建物は洗礼堂として改築され、洗礼者ヨハネに捧げられた。そして何世紀にもわたって「ロタリ廟(Tomba di Rotari)」という誤った名称が付けられた。

誤った名称でしたが、ロンゴバルド王国の最盛期をつくったと言われているロタリ王(在位636~652)の名前は、何世紀にもわたって人々をひきつけたことでしょう。

中世後期のサン・ピエトロ教会はバシリカ型で建てられ、三つの身廊が単一の半円形後陣で終わっていた。半円形後陣は今も残っており、洗礼堂とサンタ・マリア・マッジョーレ教会の間で風雨にさらされている。サン・ピエトロ教会の建物は数世紀にわたって何度も改築され、最終的に1800年代の終わりに解体された。後陣だけでなく、円柱の基盤とオリジナルの床の一部が残っている。 建物から取り外された古代後期から中世の彫刻作品の多くは、現在、サン・ミケーレの聖域(Santuario di San Michele Arcangelo)の中にあるラピダリウム博物館(Museo Lapidario)に保管されている。洗礼堂への扉口は、中世後期の身廊の左側にある。扉口には、まぐさとルネッタとして取り付けられた二つの彫刻がある。これらは、キリストの受難の場面を非常に表情豊かに表現した精巧な彫刻で、おそらく南フランスで働いて経験を積んだ地元の彫刻家の作品であろう。洗礼堂の地上階は立方体の形をしており、深くえぐられたアーチと東側の後陣が見られる。この構造は石ブロックで形成されており、壁が高くなるにつれてブロックのサイズが小さくなっている。下部は八角形のドラムと窓に続き、最後にイスラム建築の影響を受けたような素晴らしいクーポラへと続く。西暦1000年までは、建物は下の立方体部分のみで構成されていた。 ドラムとクーポラは、パガーノとロデルグリモ(Pagano e Rodelgrimo)の支援により12世紀初頭に追加された。この2人の名前は石碑に刻まれていたが、その文字の誤読が「ロタリ廟(Tomba di Rotari)」という誤った名称の由来となった。洗礼堂内部の円柱の柱頭とコーニスには、天使、旧約聖書と新約聖書からの場面、動物、人間の胸像、植物モチーフ、そして美徳と悪徳の寓意として描かれた神秘的な女性像など、豊かな彫刻装飾が施されている。また、南側の壁に描かれた有名な磔刑図(12世紀から14世紀)を含む、いくつかのフレスコ画の遺構も残っている。

サンタ・マリア・マッジョーレ教会(Chiesa di Santa Maria Maggiore)

サンタ・マリア・マッジョーレ教会(Chiesa di Santa Maria Maggiore)は「モンテ・サンタンジェロの大聖堂(Cattedrale di Monte Sant’Angelo)」とも呼ばれ、11世紀に創建された。伝承によると、シポンテ教区の司教レオーネが建設を命じたとされる。12世紀、神聖ローマ帝国の最盛期に、プーリア地方の典型的なシュヴァーベン・ロマネスク様式で大規模な改修工事が行われた。この工事は、皇帝フリードリヒ2世の母であり、プッリャのカピターナータの摂政でもあったコンスタンツァ・ディ・アルタヴィッラ(Costanza d’Altavilla)によって支援された。この時代には、シポント(Siponto)のサンタ・マリア教会に着想を得た素晴らしいファサードが建築された。ファサードは、聖母マリアと幼子イエスの浮き彫りがある素晴らしいルネッタを含む、優雅な彫刻装飾で飾られた扉口が中心となっている。建物は三廊式である。大きな中央の身廊は後陣で終わっており、十字形の柱が両側に並んでいる。これらは彫刻が施された柱頭で飾られ、13世紀の第2四半期にさかのぼる。この時期は、フリードリヒ2世が近くの「巨人の城(Castello dei Giganti)」の要塞を建設した時期である。城の建設には、イタリア中南部から一流の石工たちが集められた。サンタ・マリア・マッジョーレ教会の細部の装飾は、おそらく同じ人々によって行われた。壁や柱には、13世紀から15世紀にかけて描かれた素晴らしいフレスコ画が保存されている。これらは、かつては内部全体を覆っていたフレスコ画の一部である。

この後は、ジャカ・ブック(Jaca Book)PATRIMONIO ARTISTICO ITALIANO『PUGLIA ROMANICA』を引用する時に太字で書きます。

3. プラン

ジャカ・ブック(Jaca Book)PATRIMONIO ARTISTICO ITALIANO『PUGLIA ROMANICA』による S. Giovanni in Tumba のプランです。

『PUGLIA ROMANICA』より

その構造を隠すように頑丈な石壁に囲まれた聖ヨハネ教会(S. Giovanni in Tumba)は、この建物群の中で最も謎めいた建物である。ベルトー(Bertaux)は「南イタリアで最もミステリアスなモニュメント」と定義した。この謎、あるいは理解の難しさは、この独特な建物の名称、年代、機能、図像の起源、そして彫刻装飾の源泉や図像解釈にも及び、プーリアのロマネスク様式の多彩なパノラマの中で奇妙に孤立していることで、さらに謎めいたものとなっている。

様々な仮説がある中で、トゥンバ(Tumba)という用語の解釈は、当然ながら、墓(tumba)、古墳(tumulo)、墳墓(sepolcro)のようなヴォールト式の建物、あるいは、単にヴォールト式の建物として理解されることとなった。

4. サン・ピエトロ教会(Chiesa di S. Pietro)

ガラス扉の隣の受付で入場料(€1)を支払うと、目の前に野晒しの後陣があります。これがサン・ピエトロ教会(Chiesa di S. Pietro)。

西側外観

案内板によると、サン・ピエトロ教会(Chiesa di S. Pietro)は、三身廊が単一の半円形後陣で終わっていました。半円形後陣は今も残っており、洗礼堂とサンタ・マリア・マッジョーレ教会との間で風雨にさらされています。サン・ピエトロ教会の建物は数世紀にわたって何度も改築され、最終的に1800年代の終わりに解体されました。後陣だけでなく、円柱の基盤とオリジナルの床の一部が残っています。

5. サン・ジョヴァンニ・イン・トゥンバ洗礼堂(Battistero di S. Giovanni in Tumba)

サン・ジョヴァンニ・イン・トゥンバ洗礼堂(Battistero di S. Giovanni in Tumba)は、サン・ピエトロ教会(Chiesa di S. Pietro)の左(北)隣にあります。

入口は、サン・ピエトロ教会(Chiesa di S. Pietro)後陣の左側にある小さな扉口からで、おそらく元々あった北小後陣の代わりであったと思われる。扉は、異なる材料で彫られた二つの石板で覆われている。

下の石板には、重厚な衣服をまとったずんぐりとした人物たちが、中央に座って頭上に十字ニンブスをまとった人物に向かって、迫るようなリズムで集結している。これは、キリスト捕縛の場面というよりも、その上の石板に描かれた「十字架降架」、「キリストの埋葬」、「墓のマリアたち」、そして「キリストの復活」に続く受難の予備段階と見なすことができる。

Battistero di S. Giovanni in Tumba

これらの魅力的な彫刻の洗練されたと同時に原始的な特徴をよりよく説明するのは、12世紀のアルハンゲルス市がそうであったかもしれない文化のるつぼの完全な表現である。
同様の形式上の特徴は、2つの不規則な彫刻、頭部を切断された聖母子像と、サンピエトロ大聖堂で見つかり、現在は聖堂内の宝石博物館に展示されている祈る人の像にも認められる。この像には、サンピエール・ド・ショヴィニー大聖堂の柱頭のような、洗練されたフランスやイベリア半島の作品を明らかに参照した部分があるにもかかわらず、より原始的で古風な痕跡がさらに顕著である。これらの事実から、モンテ・サンタンジェロで活躍した石工たちが、エルサレム、ローマ、コンポステーラを結ぶ巡礼路を旅しながら、西洋文化の巡礼の旅に関与していたことが裏付けられる。

洗礼堂(Battistero di S. Giovanni in Tumba)の中に入ります。

Battistero di S. Giovanni in Tumba内にて東を向く

上を見上げると、ずいぶんと高いことに驚きます。

Battistero di S. Giovanni in Tumba内にて上を向く

ドームを支えるアーチに柱頭彫刻があります。

柱頭彫刻は、トロイア(Troia)の大聖堂の身廊の柱頭や、モンテ・カッシーノの柱頭と比較することができれば、11世紀後半から12世紀初頭のものとすることも不可能ではないだろう。

連絡壁を縁取る南西と南東の柱には、具象的な装飾が集中しており、南西には、プーリアの建築装飾では珍しい連続した帯状の装飾が施されている。

Battistero di S. Giovanni in Tumba;南西の柱頭

柱頭には、アブラハムによるイサクの犠牲、ロバに乗ったバラム(あるいは、Fischettiが提案するようにキリストのエルサレム入城、Molaが提案するようにアブラハムの山登り)、その他の不明瞭な形象が描かれているが、その中でも、様々な解釈がなされているのが、扉の前にいる天使と円盤を手にした女性である。最終的な提案(S.Mola)によれば、柱頭の帯全体が「アブラハムの物語」で占められているという。この場合、女性の姿は、やはり仮定の話だが、ソドムから逃れるロトの妻として認識できるであろう。

Battistero di S. Giovanni in Tumba;南西の柱頭(別角度)

一連の南西の柱頭に関連して、南東の柱頭があり、羊と犬が群がる中、十字架を持つ天使が羊飼いに告知する場面が描かれている。

Battistero di S. Giovanni in Tumba;南東の柱頭「羊飼いへの告知」

上部に「ANNU[NTIO] VOBIS GAUDIUM MAGNUM(大きな喜びを告げる)」という碑文が刻まれている。

ルカによる福音書2章10節
天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。

この彫刻は、様式的にも図像学的にも、入口の石板に描かれたキリストの死と復活の大叙事詩と直接結びつけることができ、フィスケッティ(Fischetti)は、この彫刻は内部から移されたもの、あるいは、おそらく元の扉口から移されたものだと推測している。

Battistero di S. Giovanni in Tumba;南東の柱頭「羊飼いへの告知」(別角度)

一方、後陣のくぼみの右側にある柱頭の彫刻は、キリスト教の天国には属さない。人間の姿をした人物が首から貨幣の入った袋をぶら下げ、獣の姿をした悪魔に腕や足を噛まれている。

Battistero di S. Giovanni in Tumba;後陣右(南)側の柱頭「強欲(Avarizia)」

そこには、サンティアゴ巡礼路の教会で繰り返し登場する「強欲(Avarizia)」の擬人像が表現されていることは、容易に認識できる。

悪魔、かわいい。

Battistero di S. Giovanni in Tumba;後陣右(南)側の柱頭「強欲(Avarizia)」(別角度)

この「大罪」と直接関係があるのは、ドームのフレームから吊り下げられた、解釈が難しいいくつかの人物像で、主に「邪淫(Lussuria)」と「怠惰(Accidia)」と解釈されている。これに並んで、Fischetti が「腕に子供を抱え竜に脅かされている黙示録の女」と認識することを提案している女性像が、かなり不自然に並んでいる。

青い丸で示した部分だと思います。

Battistero di S. Giovanni in Tumba;ドーム

望遠レンズで撮影された画像では「邪淫(Lussuria)」と解釈されている人物は、鳥の頭の柄がついたガルガーノの特徴的な棒にもたれて立っている人物であることが判明している。おそらく、長い髪を引っ張られ怪物に襲われている巡礼者であろう。これらの観察から何が導き出せるのかは不明である。

私には、何を描いたものかよくわかりません。

Battistero di S. Giovanni in Tumba;ドームのフレーム

6. サンタ・マリア・マッジョーレ教会(Chiesa di S. Maria Maggiore)

有料エリア(S. PietroとS. Giovanni in Tumba)を出て、S. Maria Maggiore に行きます。

案内板によると、12世紀に神聖ローマ帝国の最盛期に、プーリア地方の典型的なシュヴァーベン・ロマネスク様式で再建されました。

西側外観

扉口、壮麗です。

Chiesa di S. Maria Maggiore:扉口

サンタ・マリア・マッジョーレ教会(Chiesa di S. Maria Maggiore)の中に入ります。

Chiesa di S. Maria Maggiore:身廊にて東を向く

案内板によると。壁や柱には、13世紀から15世紀にかけて描かれた素晴らしいフレスコ画が保存されています。これらは、かつて内部全体を覆っていたフレスコ画の一部です。

Chiesa di S. Maria Maggiore:壁画

Complesso di S. Pietro, S. Giovanni in Tumba, S. Maria Maggiore。価値の高い記念建造物群を形成しています。謎めいた建物のS. Giovanni in Tumbaには興味深い彫刻があり、S. Maria Maggioreには壮麗な西扉口とフレスコ画があります。

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