モンテ・サンタンジェロ(Monte Sant’Angelo)<1>

2024年8月2日(金)、三番目に訪れたのはMonte Sant’Angelo、Santuario di San Michele Arcangeloです。

ここは、岩窟(Grotta)の青銅の扉、デヴォツィオナーレ博物館(Museo Devozionale)の聖ミカエル像、ラピダリウム博物館(Museo Lapidario)の説教壇が素晴らしいです。

2024年は以下の日程で開いていました。博物館は有料(€3)でした。
<Santuario>
7月~9月:祝祭日は7:00〜20:00、平日は7:30〜20:00
4月~6月と10月:祝祭日は7:00〜13:00と14:30〜20:00、平日は7:30〜12:30と14:30〜19:00
11月~3月:祝祭日は7:00〜13:00と14:30〜19:00、平日は7:30〜12:30と14:30〜18:00
<Museo DevozionaleとMuseo Lapidario>
毎日9:00〜12:00と15:00〜19:00

Monte Sant’Angelo では、2か所に行きました。以下のように2回に分けて書きます。
<1> Santuario di San Michele Arcangelo
<2> Complesso di S. Pietro, S. Giovanni in Tumba, S. Maria Maggiore

目次

1. Monte Sant’Angelo へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 岩窟(Grotta) .
5. デヴォツィオナーレ博物館(Museo Devozionale) .
6. ラピダリウム博物館(Museo Lapidario) .

1. Monte Sant’Angelo へ

モンテ・サンタンジェロ(Monte Sant’Angelo)は、プーリア州フォッジャ県にある町です。県都フォッジャ(Foggia)の約44km北東にあります。

世界中から観光客や巡礼者がおしかける有名な場所だけあって、有料駐車場は巨大でした。

南西側外観

門を通り抜けて、入口へ。

入口

入ると、長い階段を下ります。

2. 概要

教会の外に案内板がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

この場所は畏敬の念を抱かせる。ここには神の家があり、天国への道がある。

ヨーロッパで最も古い巡礼地のひとつである。この地域全体の歴史は、大天使ミカエルの出現と、それに続く聖堂の建設に結びついている。その歴史はビザンチン時代、5世紀から6世紀にまで遡る。

神現の岩窟は国際的なレベルで重要な宗教的場所となり、ロンゴバルド王たちによって拡張され、巡礼宿も建設された。この国際的な名声は中世まで遡り、7世紀のルーン文字の碑文にはスカンジナビアからの巡礼者の存在が記録されている。

中世の時代には、エルサレムに向かう道の途中で必ず立ち寄る場所とされていた。大天使の聖遺物が発見されて以来、数多くの王、皇帝、王子、聖人がこの町を訪れた。

この聖堂に触発され、ヨーロッパ各地に数多くの教会が建てられた。その中には、スーザ渓谷のサクラ・ディ・サン・ミケーレや、ノルマンディーの有名なモン・サン・ミシェルなどがある。

この後も、案内板を引用する時に太字で書きます。

3. 平面図

案内板による平面図です。東が上です。

案内板より

5:青銅の扉、6:岩窟(Grotta)

博物館の受付は、赤い矢印で示したところにがあります。開館時刻になっても担当者が来ないことがありますが、気長に待つと来ます。

4. 岩窟(Grotta)

岩窟(Grotta)の中は撮影禁止でした。

岩窟(Grotta)の扉口です。信者、観光客や巡礼者など、たくさんの人が出たり入ったりしていました。

岩窟(Grotta)の扉口

私は青銅の扉をゆっくり撮影したかったのですが、ミサが始まったので、遠慮しました。

岩窟(Grotta)の扉口
岩窟(Grotta)の扉口

ジャカ・ブック(Jaca Book)PATRIMONIO ARTISTICO ITALIANO『PUGLIA ROMANICA』による写真です。

『PUGLIA ROMANICA』より

『PUGLIA ROMANICA』によると、右翼の最後の二つのパネルの上部に刻まれたラテン語の碑文によって、この扉の年代と起源が証明されています。

HOC OPUS COMPLETUM EST IN REGIA[M] / URBEM CO-STANTINOP [O]LI ADIUBANTE DNO/PANTALEONE QUI EAS FIERI IUSSIT /ANNO AB INCARNATIONE DNI MILLE/SIMO SEPTUAGESIMO SEXTO.

また、『PUGLIA ROMANICA』によると、場面はビザンチン銀細工の技法で描かれているが、各エピソードの意味を示す碑文はラテン語で書かれるなど、コンスタンティノープルで製作された作品ではあるが、11世紀にプーリアで形成されつつあった新しい文化の枠組みにふさわしく、ロマネスク様式の基礎を築いています。

ちなみに、岩窟の中はこんな感じでした。

『PUGLIA ROMANICA』より

5. デヴォツィオナーレ博物館(Museo Devozionale)

博物館の受付の奥にあるデヴォツィオナーレ博物館(Museo Devozionale)に行きます。

大天使聖ミカエル
12世紀前半
銅に金メッキ

なんだか、かわいい。

大天使聖ミカエル(12世紀前半)

6. ラピダリウム博物館(Museo Lapidario)

博物館の受付の右下にあるラピダリウム博物館(Museo Lapidario)に行きます。

Chiesa di San Pietro にあった彫刻の断片

古代末期(3世紀〜5世紀)の柱頭を含む、大量の彫刻が展示されています。

Chiesa di San Pietroにあった彫刻の断片
Santuario di San Michele Arcangelo の説教壇

現在、この作品はバラバラに展示されているが、博物館に収蔵されている破片を使えば、理想的な復元が可能である。

Santuario di San Michele Arcangelo の説教壇

大理石製のこの作品は1041年に彫刻家アケプトゥス(Acceptus)によって制作された。司教の依頼によるもので、アケプトゥスは2年前に同様の作品を作っていたが、Santuario di San Michele Arcangeloとシポント(Siponto)のバシリカの典礼上の尊厳が同等であることを証明するものであった。

この作品は様式的にビザンチン文化、特に象牙細工の要素を想起させるが、それはその制作方法と、鷲と頭部の図像的様式的特徴に見ることができる。

見事な彫刻です。

Santuario di San Michele Arcangelo の説教壇

Santuario di San Michele Arcangelo。岩窟(Grotta)の青銅の扉、デヴォツィオナーレ博物館(Museo Devozionale)の聖ミカエル像、ラピダリウム博物館(Museo Lapidario)の説教壇が素晴らしいです。

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