ヴァランス(Valence)<2>

2023年9月24日(日)、二番目に訪れたのはValence、ヴァランス博物館(Musée de Valence)です。

ここは、モザイク画と柱頭彫刻が素晴らしいです。

2023年は水曜から日曜の10:00~12:00と14:00~18:00に開いていました。有料(€6)です。

Valence では、2か所に行きました。以下のように2回に分けて書きます。
<1> Cathédrale Saint-Apollinaire
<2> Musée de Valence

目次

1. Musée へ .
2. 概要 .
3. 柱頭彫刻(12世紀) .
4. モザイク画(6~12世紀) .

1. Musée へ

ヴァランス博物館(Musée de Valence)は、聖アポリナリス大聖堂(Cathédrale Saint-Apollinaire)の南、旧司教宮にあります。

私はチケットを買い、「洗礼堂にあったモザイク画を探しています」と伝えました。すると、博物館の受付の方は、古代ローマ時代の立派なモザイクの場所を教えてくれました。

古代ローマ時代の展示室にいた博物館の別のスタッフは「あちらのエレベーターを上がってみてください、素晴らしい眺めですよ」とのこと。

Belvédère

おお、眺めがいいです。ローヌ川も、その向こうに見える山も、すっかり見渡すことができました。

ところで、私が見たい初期キリスト教時代やロマネスク時代に関する展示は「ヴァランスの旧司教座宮殿の記憶」の場所にありました。

2. 概要

たくさんの説明が置かれていました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

ヴァランス(Valence)、キリスト教における最初の司教区のひとつ
313年のミラノ寛容勅令と314年のアルル公会議の後、ヴァランスはアルルやマルセイユと同様に、司教によって統治されるヴィエンヌ司教区の一部となった。374年にヴァランスで開催された協議会の記録には、ヴァランス司教として知られるエミリアヌスが参加者の一人として記載されている。この時代以降、ヴァランスには司教区の施設が置かれ、キリスト教化が進むこの地方で、この種の集会を開催することが可能となった。その司教区はローヌ川の両岸にまで広がっていた。

自然段丘の南西隅に位置する司教座聖堂群は、ヴァランス(Valence)がキリスト教化された時代から組織されていた。おそらくアポリナリス司教によって始められたと思われる新しい建築運動の後、5世紀には司教の存在と結びついた、大聖堂を中心とする複雑な建物群が形成された。この複合施設の一部が発掘され、洗礼堂、いくつかの教会と礼拝堂、司教の住居、二つの浴場を含むその他の建物が含まれている。大理石の石棺や祭壇台、碑文、モザイク画、聖壇板など、初期キリスト教美術の証拠がこの時代にまで遡ることができる。

11世紀から12世紀にかけての新しい大聖堂の建設は、地区全体に影響を及ぼす大規模な再建計画を伴っており、数多くの建物が建てられた。1095年、ゴンタール(Gontard)司教の時代になると、新聖堂は教皇ウルバヌス2世によって献堂されるにいたった。

この後も、置かれていた説明を引用する時に太字で書きます。

3. 柱頭彫刻(12世紀)

柱頭彫刻を二つご紹介します。

柱頭彫刻1「東方三博士の礼拝」

12世紀末
石灰岩
ヴァランス、オルム広場(Valence, place des Ormeaux)
この柱頭は二面に彫られている。最初の面には、母親の膝の上に座る幼子イエスに、東方三博士の一人が贈り物を手渡している。その上には、六弁の花に似た星が描かれている。もう一方の面には、口から枝葉を出す仮面が描かれている。

柱頭彫刻1

聖母マリア、相当に巨大に描かれています。少し内股で、イエスを強くやさしく抱いています。

柱頭彫刻2「イエスの復活」と「冥府への降下」

二重の柱頭
12世紀後半
カッラーラ大理石
ヴァランス、旧サン・フェリックス修道院(Valence, ancienne abbaye Saint-Félix)
物語の装飾が施されたこの大理石の柱頭は、特に注目に値する。主面には「イエスの復活」が描かれている。後光を放つ天使が、空の石棺を納めた墓のそばに立っており、そこから聖骸布が出ている。反対側にいる聖なる女性たちは、遺体を防腐するのに必要な道具を運んでいる。墓の前で眠っている二人の番兵はアーチの下に描かれている。

柱頭彫刻2

柱頭の第二部分は「冥府への降下」を描いている。アダムとエバはイエスの傍らに跪き、アブラハムは立っている。

柱頭彫刻2(別角度)

イエスはサタンを倒し、サタンは冥府への扉の下敷きになっている。

柱頭彫刻2(別角度)

キリストの到来によって冥府から解放されたダビデとソロモンと思われる二人の男が、キリストの方に腕を伸ばしている。

この二重の柱頭は、回廊の双柱を戴くためのものであった。1974年、ヴァランスの中心部で、かつての修道院の跡地で行われた工事中に発見された。

1885年、もうひとつの二重柱頭がサン・フェリックス大修道院(abbaye Saint-Félix)の跡地から発見された。1885年に発見された柱頭は現在、ルーヴル美術館に保存されている。

この柱頭のことだと思います。写真は私が2022年9月にルーヴル美術館で撮影したもの。「ソロモン王の裁き」が描かれています。

ルーヴル美術館に保存されている、もうひとつの二重柱頭

サン・フェリックス修道院(abbaye Saint-Félix)についてはほとんどわかっていない。この修道院はもともと城壁の外にあり、4世紀か5世紀に破壊された後、城壁の内側に再建された。1363年に修道院の地位を得て、ローヌ河岸に設立されたサン=ルフ修道院(Saint-Ruf)に付属した。1562年、宗教戦争の間に廃墟となった。

いずれの二重柱頭も、建物や人物たちを二重柱頭に大胆かつ効果的に配置してあります。12世紀後半、この町には、素晴らしい柱頭彫刻を戴く回廊があったようです。

4. モザイク画(6~12世紀)

大聖堂の身廊の南隣には、むかし、洗礼堂がありました。

大聖堂の南側には、5世紀から6世紀にかけて十字形の建物があった。十字型のプランは、古代では葬祭堂として、後には洗礼堂として伝統的なものであった。ここでは洗礼盤は見つかっていないが、建物の中央に生きた水を運ぶパイプがあることから、洗礼堂であることがわかる。モザイクの図像はこの仮説を補強している。初期のキリスト教では、成人は水に完全に浸かることによって洗礼を受けた。そのためには、大きな洗礼盤を備えた特別な建物を建設する必要があった。8世紀以降、現在のような幼児洗礼が広まると、こうした建物は放棄された。

モザイクは三つの部分から構成されている。最も古いモザイクは「牡鹿のモザイク」として知られ、建物の中央を覆い、他の二つのモザイクは北側と南側を覆っていた。北側のモザイクは現在失われている。しかし、南側の「ネコ科の動物のモザイク」は保存されている。最も古い「牡鹿のモザイク」は6世紀の洗礼堂のものと考えられ、南側の「ネコ科の動物のモザイク」はロマネスク時代のもので、旧洗礼堂に建てられた聖ステファノ教会のものである。技術的および主題的な違いによって、これらの年代測定が説明されている。

「ネコ科の動物のモザイク」

12世紀
石、テラコッタ
ヴァランス(Valence)、旧洗礼堂に建てられた聖ステファノ教会
上段には、ライオンが前足を鉢の縁にかけ、水を飲む姿が描かれている。
中段は三つのパネルに分かれている。中央のパネルには、鹿が2頭のネコ科の動物(ヒョウか?)に襲われている様子が描かれている。

「ネコ科の動物のモザイク」

はじめ、私は立派な角を見て、こちらが「牡鹿のモザイク」かと思ってしまいました。こちらは「ネコ科の動物のモザイク」なんですねえ。

ネコ科の動物、爪が鋭いです。

「牡鹿のモザイク」

6世紀
石、テラコッタ
ヴァランス(Valence)、洗礼堂
両方のモザイクに共通する主な場面は、楽園の四つの川で水を飲む鹿である。右の隅には、鷲を思わせる形と色をした鳥に連れ去られた子羊(?)の姿が見える。おそらくカラスと思われる2羽の小さい鳥がこの場面を縁取っている。

「牡鹿のモザイク」(右)

左の隅では、鷲がカラスに襲われるウサギ(カテキューメン)を助けに来ている。
テーマ的には、この鹿のモザイクは洗礼の聖水、復活、永遠の生命を想起させる。

「牡鹿のモザイク」(左)

川の水を飲んでいるのが「牡鹿」でした。

そう言われてみると、頭に角(の根っこ)があります。

どの動物も、いきいきと描かれています。

ヴァランス博物館(Musée de Valence)。モザイク画と柱頭彫刻が素晴らしいです。

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