ヴァランス(Valence)<1>

2023年9月24日(日)、最初に訪れたのはValence、聖アポリナリス大聖堂(Cathédrale Saint-Apollinaire)です。

ここは、教会内の柱頭彫刻が素晴らしいです。後陣の外観もいいです。翼廊の扉口にロマネスク彫刻が残っています。

2023年9月、大聖堂は聖ミサのために日曜9:30~11:00に開いていました。

Valence では、2か所に行きました。以下のように2回に分けて書きます。
<1> Cathédrale Saint-Apollinaire
<2> Musée de Valence

目次

1. Valence へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観 .
5. 翼廊の扉口 .
6. 内観 .

1. Valence へ

ヴァランス(Valence)は、フランスのオーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏ドローム県の県庁所在地で、アヴィニョンの約109km北、リヨンの約93km南にあります。

ローヌ河岸の駐車場に車を停めた私は、坂道を歩いて登り、大聖堂前の広場に着きました。

南側外観

大聖堂は南北ファサードの修復工事が行われていて、工程が掲示してありました。

修復工事に関する掲示

工事の期間中でしたが、聖ミサの前後に見学することができました。

2. 概要

教会の中に案内掲示がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

大聖堂の建設に関する最初の記述は、『ヴァランスの司教年代記(Chronique des Evêques de Valence)』(17世紀)に登場する。この写本によると、建設はゴンタール(Gontard)司教(1063年頃~1100年頃)によるとされている。「聖ステファノ教会の隣にあった聖十字架礼拝堂と聖キプリアヌス礼拝堂を取り壊し、礎石から棟までこの壮大なバシリカを建設させた」とある。

現在建物の南側にある献堂石には、残念ながら献堂の日付が読み取れない。とはいえ、ウルバヌス2世の名が引用されていることから、1095年の献堂と推定することができる。この献堂により、聖母マリア、コルネリウス、キプリアヌスが教会の守護聖人となった。

ヴァランスを建設した最初の偉大な司教である聖アポリナリス(492年~520年)の名前が採用されるまで、それほど時間はかからなかった。現在の建物に先立つ建物については、ほとんど知られていない。三つの建物が原始聖堂群を構成している:Notre Dame-La-Ronde(現在の後陣の東側)、Saint-Jean-Baptiste et Evangéliste 教会(現在の大聖堂の下か?)およびSaint-Etienne 洗礼堂(9世紀にSaint-Etienne 教会に取って代わられた)である。その見取り図は現在、大聖堂の南側の石に刻まれている。

この後も、案内掲示を引用する時に太字で書きます。

3. 平面図

ゾディアック(Zodiaque) la nuit des temps の『Dauphiné Roman』による平面図です。

ゾディアック(Zodiaque)より

東が上です。

4. 外観

後陣には、12世紀の放射状祭室が三つ残っています。

東側外観

北翼廊にも、半円形の祭室が残っています。

美しい姿です。

5. 翼廊の扉口

南北翼廊には、12世紀の扉口が残っています。

私が訪問したとき、北翼廊は修復工事のために見学不可でした。

ゾディアック(Zodiaque) la nuit des temps の『Dauphiné Roman』による写真です。

ゾディアック(Zodiaque)より、北翼廊扉口のまぐさ

北翼廊扉口のまぐさには、「受胎告知」、「ご生誕」、「東方三博士の礼拝」、「ヘロデ王と東方三博士」などの場面が描かれているようです。

南翼廊は見学できました。

南翼廊扉口(部分)

ティンパヌムに描かれているテーマは、『ヨハネの黙示録』4章2節〜8節から来ている。

『ヨハネの黙示録』4章
2: わたしは、たちまち“霊”に満たされた。すると、見よ、天に玉座が設けられていて、その玉座の上に座っている方がおられた。
3: その方は、碧玉や赤めのうのようであり、玉座の周りにはエメラルドのような虹が輝いていた。
4: また、玉座の周りに二十四の座があって、それらの座の上には白い衣を着て、頭に金の冠をかぶった二十四人の長老が座っていた。
5: 玉座からは、稲妻、さまざまな音、雷が起こった。また、玉座の前には、七つのともし火が燃えていた。これは神の七つの霊である。
6: また、玉座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。この玉座の中央とその周りに四つの生き物がいたが、前にも後ろにも一面に目があった。
7: 第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は若い雄牛のようで、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空を飛ぶ鷲のようであった。
8: この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その周りにも内側にも、一面に目があった。彼らは、昼も夜も絶え間なく言い続けた。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、/全能者である神、主、/かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」

威厳に満ちたキリストは、頭部が失われているが、光背で確認することができ、玉座に座り、天蓋に守られている。柱は消えているが、アーチを支えるコリント式の柱頭はまだ見ることができる。右手で祝福し、左手で聖書と神の言葉を象徴する書を持っている。天蓋の四隅にはテトラモルフ、すなわち4人の福音書記者が象徴的な動物の姿で描かれている。左下は聖マルコの翼のあるライオンで、前足の間に碑文(Marcus)があることでも識別可能であり、右下は聖ルカの翼のある雄牛で、同じく碑文(Lucas)がある。左上は聖マタイの天使、右上は聖ヨハネの鷲である。

南翼廊扉口のティンパヌム(部分)

両側に4人の天使がいる。左側の天使はそれぞれ書物を携え、右側の天使は、最初の天使は書物を、2番目の天使は聖体の秘跡を象徴する聖杯を携えている。左側の2番目の天使は、開かれた書物を携えており、そこには、預言者イザヤの喝采と解釈される「SDS / RTIS」の碑文の断片が見える。(S(anctus) D(eus) S(anctus) / (Fo)rtis)。

南翼廊扉口のティンパヌム(部分)
南翼廊扉口のティンパヌム(部分)

テトラモルフに囲まれた威厳に満ちたキリストという主題は、ロマネスク彫刻に非常によく見られ、終末にキリストが地上に再臨するという信仰を描いたものである。

まぐさをみます。

南翼廊扉口のまぐさ(左部分)

キリストを中心に、三つの群像が描かれている。キリストは頭部が失われているが、十字の光背で描かれている。両手を広げ、両脇にいる2人の使徒が差し出す二つの籠に触れている。パンの奇跡である。福音書記者は、イエスがパン五つと魚二匹で約五千人を養うことができたこのエピソードを紹介している。教父たちはこれを聖体の秘跡の象徴と解釈した。ここでイエスは、パンと魚の入った籠に触れ、奇跡を行なっている。

南翼廊扉口のまぐさ(中央部分)

『マタイによる福音書』14章に、こうあります。

13: イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。
14: イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。
15: 夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」
16: イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」
17: 弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」
18: イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、
19: 群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。
20: すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。
21: 食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。
南翼廊扉口のまぐさ(右部分)

ヴァランスの図像は、1140年代以降、おそらくブリオネからプロヴァンスにかけてのローヌ渓谷に広がったピエール・ド・ブリュイ(Pierre de Bruys)とアンリ・ド・ローザンヌ(Henri de Lausanne)の異端と関連して発展した新しい図像テーマの典型である。この異端は、とりわけ秘跡を非難するものであったが、教会はこれに激しく反発し、コンドリュー(Condrieu、ローヌ)やシャンパーニュ(Champagne、アルデッシュ)に聖体や最後の晩餐などの秘跡の表現を増やすことで、その正統性を再確認した。

ロマネスク時代には、図像は教会の宣伝と肯定の道具であった。実際、ロマネスク思想において、図像は神や啓示へのアクセスを提供するだけでなく、文字の読めない人々が聖書を理解できるようにする教訓的、教育的価値も持っていた。

教会の目立つ場所に聖体や最後の晩餐などの秘跡の図像を描くことで、教義の正当性を表していたんですねえ。

6. 内観

天井がとても高い。

身廊にて東を向く

柱頭彫刻が素晴らしいです。

七つの柱頭をご紹介します。

柱頭1:「蛇と闘う男」

蛇と格闘する人物の主題は、ロマネスク彫刻では非常に頻繁に描かれる。これは東方古代に端を発し、ゲルマンやスカンジナビア世界で広く用いられた装飾に由来する。その意味は、地獄で呪われた者を罰することに関連しているようである。ここでは、短髪の男がしゃがみ込み、両腕で2匹の蛇を引き離している。蛇と格闘する人物像は欲望の寓意であると考えられているが、その場合、蛇は人物の胸を貪り食う。

「蛇と闘う男」
柱頭2:「アトラス」

このタイプのアトラスは、重そうな荷を支えてしゃがみ込むが、大聖堂でも非常によく似た様式と図像で、南側廊の第3柱間窓の柱頭に描かれている。アトラスの姿は古代神話に起源を持ち、永遠に天の丸天井を支えるよう宣告されている。ロマネスク彫刻において、アトラスは高所と低所、天上と地上をつなぐ重要な存在である。柱頭の建築的機能を強調する一方で、服従という側面を通して人間の状態を描き、目に見えない世界へ昇るために目に見える世界の束縛から逃れなければならない人々の内なる旅を象徴している。

「アトラス」
柱頭3:「アトラス」

大聖堂にはもう一つ、アトラスが描かれたものがあり、それは周歩廊の北入口窓の上部にある。

「アトラス」
柱頭4:「獅子の檻の中のダニエル」

この柱頭の識別にはまだ問題がある。最もよく見える面には、2頭の獅子を掴んでいる人物が描かれ、隣の面には2頭の獅子のうちの1頭に騎乗し剣を持っている人物が描かれている。この図像は、シュメール叙事詩『ギルガメシュ』の英雄を描いた古代東洋の図像と非常によく似ている。ロマネスクの彫刻家たちがダニエルを描くために採用した図像学的解決法は、ギルガメシュの図像に由来することが分かっている。したがって、ロマネスク彫刻におけるダニエルの姿は、ここでのように戦うのではなく、受動的な姿勢で描かれることが多い。とはいえ、これがダニエルである可能性は高い。この預言者ダニエルは、獅子に食われてしまうところを天使に助けられた(『ダニエル書』6章)。中世では、旧約聖書は新約聖書の伏線として解釈された。ダニエルは、キリストが墓場からよみがえり悪を征服することの予兆と見なされた。

「獅子の檻の中のダニエル」
柱頭5:「サムソンと獅子」

この場面は旧約聖書(『士師記』14章6節)に出てくるもので、英雄サムソンの数ある功績の中でも、獅子を「引き裂いた」超絶的な力の物語である。この物語は中世において、キリストが悪と死の力に打ち勝つ伏線として象徴的に解釈された。このテーマは、ロマネスク彫刻に非常に頻繁に表現されている。

「サムソンと獅子」
柱頭6:「トビアと魚」

この場面は旧約聖書続編(『トビト記』6章)に由来する。天使ラファエルの命により、トビアはチグリス川で魚を捕らえ、その魚からその後の試練に役立つ胆のう、心臓、肝臓を取り出した。中世においては、旧約聖書の物語は、新約聖書においてキリストという人物によって成し遂げられることの予兆であり、トビアが自分を吞み込もうとする魚と闘うのは、悪と闘うキリストの予兆と解釈される。

この大聖堂の柱頭彫刻は、ディ(Die)の鐘楼ポーチにある柱頭彫刻を思い出します。例えば、こちらのトビアの顔は、あちらのウンディーネの顔によく似ています。

「トビアと魚」
柱頭7:「ケンタウロス、グリフォン、雌鹿の戦い」

槍で武装したケンタウロスがグリフォンと格闘し、怪物に襲われている雌鹿を助け出そうとしている。この闘争の場面は、キリスト教における悪の力との闘い、すなわち、中世の主要な観念のひとつであり、ロマネスク彫刻にもしばしば登場する善と悪の闘いの寓意と見るべきであろう。この闘争のテーマは、大聖堂の多くの柱頭(「サムソンと獅子」、「トビアと魚」、「蛇と男」、「獅子の檻の中のダニエル」)に繰り返し登場する。

「ケンタウロス、グリフォン、雌鹿の戦い」

やわらかな線なのに、いきいきとした躍動感が伝わります。

聖アポリナリス大聖堂(Cathédrale Saint-Apollinaire)。教会内の柱頭彫刻が素晴らしいです。後陣の外観もいいです。翼廊の扉口にロマネスク彫刻が残っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です