コン(Comps)

2023年9月23日(土)、五番目に訪れたのはComps、Église de Compsです。

ここは、素朴な浮き彫りが残っています。

前回にご紹介したシャブリヤン(Chabrillan)でマダム・リオタール(Mme Liotard)からこの教会のことを教えてもらったため、訪問しました。

案内掲示によると:教会は7月と8月の毎日10:30~12:30と14:00~19:00に開きます。また、9月から6月は復活祭、昇天祭、聖霊降臨祭、諸聖人の日と文化遺産の日(Journées du Patrimoine)に開きます。

目次

1. Comps へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観 .
5. 内観 .

1. Comps へ

コン(Comps)は、フランスのオーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏ドローム県にある村で、アヴィニョンの約70km北、ヴァランス(Valence、ドローム県の県庁所在地)の約45km南にあります。

東側外観

墓地に囲まれた教会は、山の上にあって、とても風が強かったです。

2. 概要

教会の中に案内掲示がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

コン(Comps)の歴史
カロリング朝時代、コン(Comps)は神聖ローマ帝国の支配下にあった小郡の所在地であったことが知られている。十字軍、特にオドン・ド・コン(Odon de Comps)が参加した1095年の十字軍で果たした功績に報いるため、ヴァランティノワ(Valentinois)司教区からコン(Comps)家に与えられたと考えられる。コン(Comps)家は、エルサレムの聖ヨハネ騎士団に複数の高官を与えた: アルノー(Arnaud、1163年)、ロスタング(Rostaing、1232年)、ベルトラン(Bertrand、1233年)である。13世紀、最後の相続人がダルマス1世・ド・ヴェスク(Dalmas I de Vesc)と結婚し、コン家は絶えた。

教会の歴史
1032年:Cartulaire de l’abbaye de Savigny に最初の記載「vicaria de Culmis」があり、コン(Comps)に教会があったことがわかる。
12世紀:現在の教会が建設される。
13世紀:コン小修道院(prieuré de Comps)がサウ修道院(abbaye de Saoû)の修道士に引き渡され、1732年まで管理される。

この後も、教会の中にあった案内掲示を引用する時に太字で書きます。

3. 平面図

案内掲示による平面図です。東が下です。

案内掲示より

扉口は南と西にあります。

4. 外観

身廊がすごく短いです。

(歴史家アンリ・デセーによる記録)
この教会の建設は12世紀前半に遡ると思われるが、ドームはおそらく後期(13世紀)に造られたものであろう。非常に短い「身廊」は、西側ポーチとより高い内部の床からわかるように、おそらく初期の取り壊し(宗教戦争?)に伴う後期の再建であろう。

南西側外観

西扉口の上に、たくさんの人の顔が描かれています。

西扉口の上

みなさん、いい笑顔です。

5. 内観

西扉口は開いていましたが、西扉口を入ると鉄柵がありました。

鉄柵の間から撮影した写真です。

西扉口より東を向く

後陣のフリーズは、「プリミティブな」技法で作られた切石の集合体で構成されており、おそらく(1032年に言及された)以前の建物の装飾が後年になって再利用されたため、論理的でない並びとなっている。

後陣のフリーズ

素朴な線で動物たちが描かれています。

後陣のフリーズ

動物たちの他に、幾何学模様もありました。

Église de Comps。素朴な浮き彫りが残っています。

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