2023年9月19日(火)、最初に訪れたのは Saint-André-de-Rosans、サン=タンドレ=ド=ロザン小修道院(Prieuré de Saint-André-de-Rosans)です。
ここは、床モザイクが素晴らしいです。
2023年は、7月と8月は火曜〜土曜の16:30と17:30に予約なしで見学可能、9月〜6月は前日までに予約することで見学可能でした。役場前集合、有料(€7)です。
目次
1. Saint-André-de-Rosans へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 廃墟となった教会 .
5. 床モザイク .
1. Saint-André-de-Rosans へ
サン=タンドレ=ド=ロザン(Saint-André-de-Rosans)は、フランス南東部のプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏オート=アルプ県にある、小さな村です。
私は役場(mairie)の前でガイドのAnneさんに会いました。
歩いて教会に向かいながら、すっかり廃墟となった姿を眺めます。
Anneさんによると、現在の村の人口は153人ですが、中世には800人ほどいたそう。
村には城壁や門が中世のまま残っていて、迷路のような小道で家々がつながっています。
2. 概要
教会の外に案内板がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
修道院は、聖職者リショー(Richaud)がブルゴーニュのベネディクト会クリュニー大修道院にサン=タンドレ教会を寄進したことを受け、988年に設立された。
考古学的発掘調査により、この最初のプレ・ロマネスク様式の建物の基礎が発見された。この教会は、11世紀に拡張され、三つの身廊と三つの後陣を持つ広大な教会となり、初期ロマネスク彫刻の非常に素晴らしいレパートリーが発見された。この新しい教会は、1170年から1175年頃に、力強い砂岩のアーチとバットレスが天井を支える単身廊の第3の教会へと改築された。
ガナゴビー(Ganagobie)の修道院に酷似した12世紀の床モザイク、プランと彫刻は、この建物をプロヴァンス・ロマネスク美術に結びつけ、最も北に位置する例となっている。
12世紀から13世紀にかけての大繁栄の後、14世紀以降、修道院は衰退した。1574年、デュピュイ・ド・モンブラン(Dupuy de Montbrun)によって焼き払われた。
デュピュイ・ド・モンブラン(Dupuy de Montbrun)は、ユグノー(カルヴァン派プロテスタント)で、宗教戦争の主導者です。1575年に斬首されました。
この後は、教会の中にあった案内を引用する時に太字で書きます。
3. 平面図
案内板による平面図です。東が上です。
白:11世紀末、赤:12世紀、緑:13世紀
立体模型もありました。
小修道院教会(église priorale)、修道士棟(Aile des moines)、回廊(Cloître)、貯蔵室(Cellier)、資料室(Salle des archives)、食堂(Réfectoire)、厨房(Cuisine)
現在、食堂(Réfectoire)は教区教会として、貯蔵室(Cellier)は床モザイクや彫刻の展示室として使われています。
4. 廃墟となった教会
廃墟となった教会をみます。
身廊にも三後陣にも、屋根はありません。
Anneさんによると、1983年に保存工事を始めたとき、6メートルもの土砂が積み上がっていたのだそう。
身廊の壁には、小柱の軸や柱頭、フリーズにまで、繊細な装飾があります。
他にも、彫刻が少し残っています。
奇妙な顔たちも。
三後陣は、ほぼ全壊。
いちばん保存状態が良いのが、南小後陣です。
柱頭彫刻がいくらか残っています。
5. 床モザイク
床モザイクをみます。
身廊の第一柱間南壁に展示室への入口があります。
壁には彫刻、床にモザイクが展示されています。
発見されたモザイクは、三後陣にあったもの。このような姿でした。
北小後陣にあった床モザイク。
主後陣にあった床モザイク。
南小後陣にあった床モザイク
白、黒、赤の三色が使われています。
図柄は、幾何学模様、植物、動物、幻獣などが描かれていて、ペルシャの布を思い出すような、異国情緒を感じます。
サン=タンドレ=ド=ロザン小修道院(Prieuré de Saint-André-de-Rosans)。床モザイクが素晴らしいです。
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