2023年9月18日(月)、唯一訪れたのは Marseille、サン・ヴィクトール修道院(Abbaye Saint-Victor)です。
ここは、地下聖堂、石棺と祭壇がすばらしいです。
2023年は月〜金9:00~19:00、土日8:00~19:00に開いていました。地下聖堂は有料(€2)です。
目次
1. Marseille へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 内観(全体) .
5. 内観(祭壇) .
6. 内観(石棺) .
7. 内観(地下聖堂) .
1. Marseille へ
マルセイユ(Marseille)は、フランス南東部のプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏ブーシュ=デュ=ローヌ県にある、フランスで2番目に人口の多い都市です。
修道院は、古い港(Vieux Port)のすぐ南にあります。
夫と私は修道院の前(港側)にある有料駐車場に車を停めました。
その建物は、修道院というより、まるで要塞です。
2. 概要
教会の外に案内板がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
5世紀にジャン・カシアン(Jean Cassien)によって創設されたサン・ヴィクトール修道院は、古代と中世の採石場とネクロポリスの跡地を占めている。
何世紀にもわたって拡張され、イザーン大修道院長(Isarn、1047年に死去)の時代、そして14世紀にはウルバヌス5世の名で教皇となったギヨーム・ド・グリモアール(Guillaume le Grimoard)の時代に大きな名声を博した。彼はこの修道院を華麗な塔で要塞化し、クワイヤを拡大した。
現在の教会は、13世紀にユーグ・ド・グラジニス(Hugues de Glazinis)によって再建されたもので、プロヴァンス・ロマネスク芸術の傑作である。修道院は1739年に世俗化され、革命の際に破壊されたが、教会だけは例外で、かつての栄華を今に伝えている。
地下聖堂の石棺は、この巡礼の地が聖遺物で有名であったことを物語る。
ノートルダム・ド・コンフェッション礼拝堂では、聖燭節に黒い聖母を祀り、緑色のロウソクと「ナヴェット(navettes)」と呼ばれる地元産のおいしいビスケットを食べる伝統が今も受け継がれている。
聖燭節(せいしょくせつ)は、マリアの清めの祝日とも、主の奉献の祝日とも呼ばれます。聖母マリアの産後の清めの期間が満ちるイエス降誕の40日後に、マリアと夫ヨセフがイエスを神殿に奉献したこと(『ルカによる福音書』2章)を記念して、2月2日に祝われます。
この後は、教会の中にあった案内を引用する時に太字で書きます。
3. 平面図
案内掲示による平面図です。
<建築年代図>東が右です。
灰色:5世紀、紫色:9世紀と10世紀、黄色と黄緑色と緑色:12世紀、青色:13世紀、薄橙色:14世紀、赤線:近代。
回廊と修道院の建物はフランス革命期に破壊されました。
<配置図>東が下です。
入口(Entrée)、出口(Sortie)と書いてありますが、どちらからでも出入りできます。
4. 内観(全体)
教会の中は、荘厳。
地上教会で私が気になったのは、ひとつの祭壇と、ひとつの石棺です。
5. 内観(祭壇)
その祭壇(5世紀)は、<配置図>の4の位置にあります。
静かに、厳かに。
そこにあります。
羊たち、かわいい。
6. 内観(石棺)
その石棺は南側廊(<配置図>の12)にあります。
この石棺は、様々な理由から特別なものである:
1. サン=ヴィクトールの他の石棺は、高位の死者を埋葬するために再利用されたり、聖遺物保管所として使用されたりした。
2. この石棺には、美しい衣服と宝石で飾られた若い女性の遺骨が永遠に保存されていた。
3. 旧約聖書と新約聖書の場面が組み合わされ、5世紀頃にマルセイユに住んでいたキリスト教徒の死後の世界への信仰と希望の証となっている。
石棺は1970年、修復作業中の発掘調査で、深さ2.35メートルの地点で発見された。ノートル=ダム=ド=コンフェッション礼拝堂(現在は地下聖堂)近くで発見された。無傷のまま、つまり略奪も再利用もされずに発見されたこの石棺は、250以上の墳墓があるサン=ヴィクトールの初期キリスト教ネクロポリスにおいて唯一無二の存在である。
旧約聖書と新約聖書の場面が描かれています。中央には律法の授与。キリストは楽園の四つの川が流れる山の上に立っています。左側にはアブラハムの犠牲。右側にはキリストが盲人を癒した奇跡。
石棺の中には、小児麻痺の後遺症に苦しんでいたと思われる20歳くらいの女性の遺体が入っていた。彼女の遺体は、保存処理され、特別に上質な衣服と特別な金の装飾が施されていた。彼女の額には金の十字架が置かれ、遺体は花束に囲まれていた。
額の上に置かれていた金の十字架は、とても小さく美しいもの。亡くなった若い女性の幸せを祈っていた人たちの気持ちが伝わってきます。
7. 内観(地下聖堂)
地下聖堂に行きます。<配置図>の1の位置からアクセスします。
夫と私は、扉の前で一人あたり€2を払いました。
階段をおりながら、びっくりです。石棺がいっぱいだし、とても広い。
地下聖堂の平面図です。
平面図に赤字で5と書いてあるところの下(南)、柱や石棺が示されている薄緑の場所が、ノートルダム・ド・コンフェッション礼拝堂です。
5世紀に、この場所に礼拝所が作られた。この初期キリスト教の記念碑は、採石場の奥の壁から切り出されたスペースに設置された。
身廊の下には、3世紀の殉教聖人たちの墳墓があります。
最初の教会がここにつくられ、そのあと数百年たってから、上部の教会が建てられました。
地下聖堂で見逃してならないのは、イザーン大修道院長の墓(La tombe de l’abbé Isarn)。
階段の近くにあります。
イザーン(1020 – 1047)は、サン=ヴィクトール修道院の最も有名な修道院長の一人である。アリエージュのパミエ(Pamiers dans l’Ariège)に生まれ、1005年までにマルセイユに来たイザーンは模範的な修道士であり、その精神的資質から修道院長となった。また、権利、土地、修道院を守ることに尽力した偉大な修道院長であり、修道士や農民を守るためにプロヴァンス地方を駆け巡った。イザーンは1047年9月24日、レランス修道院(abbaye de Lérins)の修道士たちの解放を交渉するためにカタルーニャ地方を訪れた帰りに死去した。
墓碑の字が素敵。
地下聖堂の中で、私が好きなのは、<配置図>のcubiculumのところ。
斜めに溝のある柱なども素敵ですが、、、
この浮き彫りの存在感。
彼は口をかたく閉じて、私をみつめます。
サン・ヴィクトール修道院(Abbaye Saint-Victor)。地下聖堂、石棺と祭壇がすばらしいです。
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