2023年9月16日(土)、最初に訪れたのは Saorge、Église de la Madone del Poggio です。
ここは、三後陣が自然にとけこむ姿が美しいです。
2023年9月16日は文化遺産の日(Journées du Patrimoine)でした。私が行ったとき、教会は開けられ、ガイドツアーが行われていました。なお、扉には「私有の教会。フラッシュの有無に関わらず撮影禁止。」と大きく貼り出してありました。
目次
1. Saorge へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 内観 .
5. 外観 .
1. Saorge へ
サルジュ(Saorge)は、フランス南東部のプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏アルプマリティム県にあるコミューン(自治体)で、ニースの約39km北東に位置します。
村の東縁は、イタリアとの国境です。
教会は、村の南東約300m、ロヤ(Roya)渓谷から100mほど高くそびえる岩山の上にあります。
2. 概要
教会の内外には案内などは見当たりませんでした。ゾディアック(Zodiaque)la nuit des temps の『Alpes romanes』(以下「Zodiaque」)による概要です。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
この教会が最初に言及されたのは、1092年1月4日である。それによると、その日、男女を問わずサルジュ(Saorge)の住民が、レランス修道院(monastère de Lérins)とアルデベール修道院長(abbé Aldebert)に、この場所に建てられたサント=マリー教会の礼拝堂と、その礼拝堂に付随するすべての権利と収入を与えた。
その礼拝堂は、おそらく教会内の小後陣のひとつであろう。教会は、住民が教区の礼拝のために建てたものであり、その一部を小修道院(prieuré)に寄贈したのである。
住民が建てたんですねえ。
その文書では、礼拝堂(capella)と教会(ecclesia)が明確に区別されている。したがって、この礼拝堂には、よくあるように、修道士が直接入ることができるような通用門があったと考えなければならない。
他にもいくつかの寄進によって修道院の資産は増加し、1652年まで修道士が住んでいた。
修道士の数は少なく、1353年の文書によれば、2人の修道士(moines)と1人の小修道院長(prieur)であった。1794年にフランス軍が到着すると、教会は閉鎖され、1795年にダヴォ(Daveo)家が購入し、現在も所有している。
この後も、Zodiaque を引用する時に太字で書きます。
3. 平面図
Zodiaque による平面図です。東が上です。
ロマネスク期の構造は、黒い部分(11世紀)と格子柄の部分(12世紀)です。
4. 内観
さほど大きくない教会の中は、見学者でいっぱいでした。
撮影禁止でしたから、Zodiaque による写真です。
この教会の内部は、かつて、壁画で飾られていたことが知られている。1966年、後陣にジャン・バレイソン(Jean Baleison、15世紀後半)の作とされる一級のアンサンブルが発見された。聖母の生涯の場面が描かれている。
特に注目すべきは、勝利アーチの上にある梁で、聖母と聖ヨハネに悼まれる十字架上のキリストが描かれている(pl. 10)。
5. 外観
外側をみます。
ファサードは、森に面しています。
切妻のオクルスは近代的なもので、粗雑に作られた尖頭アーチの扉は、1587年以降に開かれたものである。
多くの修道院がそうであるように、主扉口は側面にあり、かつては木枠の天蓋に守られていたが、現在は北側廊の第二柱間に面している。
北扉口の上には、聖母の戴冠と受胎告知という壁画の跡がある。非常に劣化した碑文から、おおよその年代がわかる: (M) ccccLxx…
15世紀の絵画のようです。
東側に行きます。
たぶん、当時は身廊の屋根が今よりも低い位置にあったのでしょう。三身廊の屋根を嵩上げした痕跡があります。
主後陣と南北の小後陣は、石材や積み方が同様なので、同じ時期につくられたものだと思います。三後陣がそろって残っていることが、うれしい。
この自然の中で、11世紀の住民が建てた教会です。
Église de la Madone del Poggio。三後陣が自然にとけこむ姿が美しいです。
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